見出し画像

何故、統一教会を辞めたのか?❷

私は「人のせいにしたくない」性格なので、「誰かに言われたからやった」「マインドコントロールされていた」という風に他人のせいにしたくない人間です。

自分の判断で決めた事なので、責任は自分にあると思ってきました。なので「何のために信仰しているのか」「何のために献金するのか」を常に自問自答してきました。

「アベル(上司)に言われたから」なんて言い訳はしたくなかったのです。実際、やれと言われてもやりたくない事はしませんでした。献金するにしても「このお金をささげても生活していけるだろうか?」と何日も考えてから献金しました。

すべての行動に根拠があり、誰に対しても説明できるように常に頭の中で考えていました。献金したからと言って教会が私の人生に責任をとってくれるはずがありません。自分の人生は自分で守るべきなのです。

元教会員の方たちの発言を見ていると、少し誇張しているように思います。感情的になってしまうがゆえにそうなるのでしょうが、できるだけ冷静になって伝えないといけないのではないかと私は思っています。

ネット上で元教会員と言う立場で発信している人たちは、ほとんどが元献身者だと思われます。献身者とは「独身で学校も仕事も辞めて、24時間すべての時間を神のために捧げる人」です。

1988年の6500双までは献身者でなければ祝福を受ける事は出来ませんでした。1992年の3万双以降は、献身していなくても祝福を受ける事が出来るようになりました。

もちろん、勤労青年(働きながら教会の活動をする人)だった方や、壮年壮婦(教会の祝福を受ける前に結婚した人)の中にもネットで発信している方はいらっしゃると思いますが、恨みの度合いで考えると献身者が強いようです。

霊感商法、あるいは高額献金で多くのお金を捧げたのは圧倒的に壮年壮婦の方たちですが、たとえ教会を辞めたとしても、私が見てきた中では強い恨みの感情を持った人はそんなにいなかったように思います。

家や土地を売り払い、数千万、あるいは数億単位で献金された事を後悔しているでしょうが、だからと言って声高に言いふらしたりネットで発信したりしません。おそらく「自分の失敗を知られるのは恥ずかしい」と言う思いがあるからではないでしょうか。

献身者あるいは勤労青年だった人で、脱会後に熱心にネットで発信している人は「強い恨み」が動機となっているからでしょう。「普通なら人生の花の時期であり一番楽しいはずの青春時代。教会に関わらなければ普通の人と変わらない青春を過ごしていたはずなのに……」という恨みです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?