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何故、統一教会を辞めたのか?❹「アベル・カイン」問題(2)

教会では神に近い人がアベルと言う立場になり、組織上では上司になります。地区長、教区長、教会長、基台長、区域長、そして私となります。全国会議での内容が、上記の順に伝達されてきます。

私のアベルは誰であり、私のカインは誰かを明確に認識する必要があります。それは、アベルとカインは兄弟であり、運命共同体だからです。カインはアベルがいないと神の元に帰れませんし、アベルはカインがいないとメシヤ(救世主)を迎える事が出来ないからです。

堕落によって原罪が入り込んだアダムは、そのままでは神の元に帰れません。神は完全無欠の存在であるがゆえに、悪の要素がある存在とは相対する事が出来ないのです。

堕落によって、「この世の神」であるサタンが人間の所有権を主張するようになりました。「我が子」を奪われた神が人間を取り戻すための手段がアベル・カインです。

アダムは堕落によって、善と悪が半分ずつの存在になりました。生きている人間を半分に切り裂く事は出来ないので、アダムから生まれた長男・カインをサタン側、次男・アベルを神側として見る事によって、アダムを半分に分けます。つまり、アベルとカインは二人で一人なのです。

これは、夫婦でも同じです。男性と女性の両方の性質を備えた神が、最も愛したい存在として「自分に似せて」人間を創りました。男性は主体であり陽でありますし、女性は対象であり陰になります。どちらか一人だけでは神の半分にしかならず、二人が一つになって初めて神の似姿になるのです。

アベルがいくら善の側だと言っても、アダムの半分でしかありません。もう半分のカインを悪の側から善の側に導き、共に手を取り合って一つになるしか、堕落する前のアダムに戻る事は出来ません。

「アベル・カイン」問題(1)で述べたように、カインはアベルを「愛して」「仲保として」「屈服して」「善を繁殖する」事によって、少しずつ堕落性が脱げて神に近づいていきます。

これはカインの一方的な努力のように見えますが、実はそうではありません。アベルはカインが勝利しやすいように、助けてあげなければなりません。カインが勝利しなければ、アベルも勝利する事が出来ないからです。

全国会議で全国の目標が決定します。それが地区別に振り分けられ、その下の教区別に振り分けられます。更にその下の教会毎に目標が与えられます。教会の目標を達成するために区域毎に分けられた目標を、各家庭(あるいは個人)が努力していきます。

家庭の中にもアベル・カインが存在します。原理的に見れば夫が主体ですからアベルの位置に立つかも知れませんが、信仰的により神に近い人がアベルと言う事になりますので、妻がより信仰者であるならば、夫はカインの立場になります。そういう場合、妻は夫がより神に近くなれるように導いてあげなければなりません。

天国は夫婦で入る場所だと言うなら、妻一人だけであるいは夫一人だけで天国に行く事は出来ません。カインがアベルに従順に従って善の行動をとれるように協力しなければなりません。

例えば、献金の目標があったとします。献金は確かに個人の意思なので、してもしなくても自由です。たとえ上のアベル(教区長あるいは教会長、もしくは婦人部長)から甘い言葉で囁(ささや)かれてお願いされたしても、自分が確固とした信念でやらないと決めたなら、やらなくて良いのです。

やりたくないのに言われるがままに献金してしまい、それによって恨みになって信仰を失うとするなら、その方が問題です。外的な実績(献金や伝道)をいくら積み上げたとしても、内的な実績(どれほど人を愛したか)がなければ天国で生活出来るでしょうか?

霊界が「同じようなレベルの人が住む」場所であるなら、外的な実績をたくさん積み上げても心の中で人を見下していたとするなら、そういう人が集う場所に行く事になるのではないでしょうか?

実績を上げれば上げるほど、立場が上になればなるほど、人は謙遜でいる事が難しくなります。「〇〇長」と言う位置が与えられて、下の人たちが自分の言う事を聞くようになると、段々と傲慢になって尊大な態度を振る舞うのが人間です。だからこそ、常に「万民がアベル」と思って謙遜な態度で生きるのが信仰者の立場なのです。

組織の中でアベルの立場に立つと、自分がさも偉くなったように感じます。それは神により近い位置であればあるほど、神の愛をたくさん受けるからです。神により愛された存在は、自信に溢れエネルギーも強くなります。

エデンの園でアダムとエバを見ていた天使長ルーシェルは、我が子として愛される彼らと僕(しもべ)として愛される自分の「神の愛の量」を比較しました。

神は愛の方なので、天使たちにも彼らに相応しい愛を与えていました。天使長は天使界のトップなので、一番愛を受ける立場でした。人間が創造されるまでは、ルーシェルが一番神の愛を受けていたのです。

ところが、神が一番愛したいのは我が子として創造した人間です。人間に与える愛が100であるなら、ルーシェルには50くらいだったでしょう。この50は、人間創造の前からずっと変わらない量なのですが、ルーシェルには減ってしまったように思えたのです。これが堕落の動機「愛の減少感」です。

ゆえに、堕落人間が神の元に帰るためには、この「愛の減少感」を克服しなければなりません。カインがアベルを殺害したのも「愛の減少感」でした。アベルは自分だけ捧げものを受け取ってもらい、有頂天になっていました。兄の気持ちなど考える事もなかったでしょう。神に拒絶された兄がむかつくような態度をとっていたに違いありません。そうでなければ殺そうなんて思わないはずです。

もしアベルが、寂しいカインの心情に寄り添っていたなら、弟として兄を敬っていたなら、カインはアベルに助けを乞うて再び捧げものをして、その時はきっと神が受け取ってくれたでしょう。そこで初めてサタン分立が出来るのです。

統一教会の組織の中でも、同じような場面がたくさんあります。傲慢なアベルが強い口調で食口(シック)たちを罵り、命令してきました。どんなに酷いアベルでも、カインが信仰を立てて「愛して」「仲保として」「屈服して」「善を繁殖」すれば良いのですが、それが出来なくて信仰を捨てて離れていく人たちが多いのです。


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