見出し画像

何故、統一教会を辞めたのか?❸「アベル・カイン」問題(1)

教会を辞める理由として多いのは「人間関係」です。教会用語で言うところの「アベル・カイン」問題、または「カイン・アベル」問題ですね。

「アベル・カイン」とは旧約聖書に登場する人物の名前で、人類始祖・アダムの長男がカインで次男がアベルになります。長男のカインが次男のアベルを殺したのが、人類最初の殺人事件と言われています。

キリスト教では、人類の罪の出発を「人類始祖のアダムとアダムの結婚相手として創造された女性・エバ(イブと訳す場合もありますが、統一教会ではエバです)が、エデンの園にある”善悪を知る木”の実を食べたから」だと。これが「堕落(だらく)」であり、罪の根本、いわゆる「原罪」となって私たちに受け継がれてきたと信じています。

この原罪があるがゆえに、私たちの中に悪魔(サタン)が入る。サタンに支配されているから罪を犯す。「イエス様が十字架にかかって死んだのは、私たちをサタンから守るためである」と信じる事によって罪から救われる、と言うのがキリスト教の教えです。

統一教会では「木の実を食べて堕落するなんて信じられない。堕落の原因はもっと生々しい”愛の問題”である。エデンの園にはアダムとエバの他に、神の創造を手伝っていた天使の中の天使長・ルーシェルがいて、アダムとエバの教育係だった。その天使長・ルーシェルがエバを誘惑して肉体関係を結んだのが堕落の原因であり、これが人類最初の不倫だ」と信じています。

そして「イエス様の十字架の死は必然ではなく失敗だった。十字架の死を信じるだけでは原罪は清算出来ない。堕落に至る経路の反対の道をたどる事で、堕落する前の立場に戻る事が出来る。これを蕩減復帰(とうげんふっき)と言い、アベル・カイン問題は蕩減復帰に必要な条件である」と言っています。

カインとアベルはそれぞれ、神の前に捧げものをしますが、神はアベルの捧げものだけを受け取り、カインの捧げものは受け取りませんでした。神がアベルだけを愛した事に腹を立てたカインは、アベルを殺してしまいます。

これを蕩減する(元の状態に戻す)ために、堕落と反対の経路をたどらなければなりません。天使長・ルーシェルは堕落によってサタン(悪魔)になってしまいました。ルーシェルが堕落した動機は「愛に対する過分な欲望」です。

神はルーシェルを天使として愛していましたが、人間であるアダムとエバに対してはより多くの愛を与えました。人間は神の子であり天使は神の僕(しもべ)なので仕方ない事なのですが、ルーシェルは自分もアダムと同じように神に愛されたかったのです。

そのために、アダムの位置を奪う事を考えました。アダムはエバの夫ですから、アダムよりも先にエバの夫の立場に立とうとして誘惑したのです。天使は肉体を持ってはいませんが、霊的な体は人間と同じであったため、霊的な性行為が可能だったと言います。

ルーシェルと肉体関係を結び、夫婦の立場になってしまったエバは、神を裏切ってしまい大変なことをしてしまった恐怖心から、本来の夫であるアダムと肉体関係を結ぼうと誘惑します。最初のルーシェルとの行為が霊的堕落であり、二番目のアダムとの行為が肉的堕落でした。

この堕落の順番から、長男のカインをサタン側、次男のアベルを神側に分けて神は復帰の摂理をします。アダムは堕落の張本人であるため、アダム本人が復帰の摂理を担うことは出来ません。二人の息子がアダムの代わりを務めるしかありませんでした。

神はカインとアベルに捧げものをするように指示します。アベルは神側なので、神は直接受け取ることが出来ますが、サタン側であるカインの捧げものを神は受け取ることは出来ません。

そのため、カインはアベルを通して神に捧げなければいけませんでした。ところが神は、彼らにそのやり方を伝える事は出来ません。人間自らがそのやり方を見つけなければいけなかったのです。

天使長ルーシェルは、神の愛をより多く受けていたアダムを愛することができなかったことによって堕落しました。それによって「神と同じ立場をとれない堕落性」が生じました。それゆえに、天使長の立場にいるカインがアダムの立場にいるアベルを愛して、神の立場にあるのと同じ立場をとるべきでした。

第二に、天使長がアダムを仲保(ちゅうほ)に立て、彼を通じて神の愛を受けようとはせず、かえってアダムの位置を奪おうとして堕落しました。それによって「自己の位置を離れる堕落性」が生じました。ゆえに、天使長の立場にいるカインがアダムの立場にいるアベルを仲保として、彼を通じて神の愛を受ける立場をとることにより、自分の位置を守るべきでした。

第三に、天使長は自分を主管(しゅかん)すべく創られた人間、すなわちエバとアダムを逆に主管して堕落したので、「主管性を転倒する堕落性」が生じました。従って、天使長の立場にいるカインがアダムの立場にいるアベルに従順に屈伏して、彼の主管を受ける立場に立つことによって、主管性を正しく立てるべきでした。

最後に、善悪の果を取って食べるなという善のみ言を、神はアダムに伝え、アダムはこれをエバに伝え、エバは天使長に伝えて、善を繁殖すべきでした。しかし、これとは反対に、天使長は取って食べてもよいという不義の言葉をエバに伝え、エバはそれをアダムに伝えて堕落したので、「罪を繁殖する堕落性」が生じました。ゆえに、天使長の立場にいるカインが、自分よりも神の前に近く立っているアベルの相対となる立場をとり、アベルから善のみ言を伝え受けて、善を繁殖する立場に立つべきでした。

これが原理講論に書かれている内容です。教会の中では、私より神に近い立場の人がアベルで、私はカインになります。区域長や教会長はアベルになるので、私たちはアベルの指示に従う事で神の元に戻る事が出来ます。

ところが、アベル・カインの本質を理解しない人がアベルになってしまうと、カインの立場になる人が苦労するのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?