いも洗い(厚木市上荻野)

相模川は、神奈川県の中心にあたる厚木市の街外れで三本の川に分かれます。このうちいちばん西の川をさらに二キロあまり遡ると、小鮎川と荻野川に分かれます。

このお話は、その荻野川が流れる山裾の農村で、千二百年ほど前・・・時代でいいますと平安時代が始まる頃の物語です。


ある秋の日、ひとりの女が川で里芋を洗っておりました。水道などもちろんない時代のこと、たらいに汲んだ水に泥を払い落とした芋を入れ、そこにまな板のような板を突き立ててキコキコと回しますと、里芋同士が擦れて泥や皮がとれていきます。こうしてたらいの水を何度か替えるうちに、里芋は真っ白になっていくのです。

洗い上がった芋を抱えて家に戻ろうとしたところ、向こうから薄汚い身なりのお坊さんが近づいてきました。

「これは立派なお芋ですね。私は旅のものですが、このあたりには宿もなく、食べるものにも困っています。泊めてくれとは申しません。せめてそのお芋をひとつ分けてはいただけませんか」

女はお坊さんを一瞥すると、知らん顔をして立ち去ろうとしました。

お坊さんはもう一度丁寧にお辞儀をして頼みました。

「そのいちばん小さなお芋ひとつだけで結構です。どうかお恵みください」

女はいかにも嫌そうな顔をして

「悪いんだけんどもよぉ、この芋は石っころみてぇに硬ぇもんだからよぉ、人にやることは出来ねぇんだぁよぉ。おまけに今日は見な、川の水も少ねぇしなぁ、もう他の芋も洗やしねぇんだわ。」

と、まるで言い訳するように断りました。

お坊さんは悲しそうな顔でさらに頭をさげました。

そして川の方へと体を向けると、手を合わせ、静かにお経を唱え始めました。

するとどうでしょう。

川の水がみるみる干上がっていき、気がつくと、桶の中の里芋も石ころに変わっていました。女が言い訳した通りになったしまったのです。

一礼ののち山の方へと去っていくお坊さんの後ろ姿を、女はただ呆然と見送るよりほかはありませんでした。


お坊さんが向かって行った先には経ヶ岳があります。頂上には「経石」と呼ばれる大きな岩があり、弘法大師がありがたいお経を収めたと伝えられています。
このお坊さんは実は弘法大師だったのではないかということです。

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