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実録!合わない実家に帰省して、自分のルーツと向き合う

休職1か月、実家に帰省しています。私は大学入学と同時に近県の大学に進学し、一人暮らしをしていました。大学生からなのでかれこれ8年間は一人暮らしです。
思い返すと高校生の私はとにかく実家を離れたくて仕方なくて、必死でした。念願かなって(受験は失敗するわ、山あり谷ありでしたが)借りられたアパートの1室で大の字に乗っ転がって、初めて自由になれた気がした19歳の春。あの時は家を出られたことが本当にうれしかった。あの時の気持ちを私はすっかり忘れていたようです。


父と母。とほほな子供時代

私の実家は父と母の仲がよくありません。一時は別居もしていました。ただ祖父のとりなしで同じ家に住むことにはなったものの、幼少期は怒鳴りあいのけんかをしていたことはよく覚えています。
次第にけんかをする数は減ったものの、父は離れにすみ、家庭内別居状態。
食事だってめったに一緒には取りません。そんな状態で母は大荒れでした。ヒステリックに叫んで、私が泣くと「泣かないでよ!!」と。そんな母が怖くてこっそり父の部屋にいってパソコンを打つ父の後ろで体育座りをして声も出せずに泣いていました。父は追い出しはしないものの、声をかけてくれることはありません。そんな風に父のもとに行く私が気に食わなくて、母にはさらに突き放されました。学校で悲しいことがあって泣いていた私は母に、「あのね、」と話しかけますが、「私に相談しないでよ!」と突き飛ばされてしました。一生相談事なんかしねーと決めた習慣でした笑
お金もなかったので服などもあまり買ってもらえませんでした。困ったのは高校時代。私服校に進学してしまったので、着ていく服がなくてすごく焦った記憶があります。かわいい恰好がしたいなんて思ってもなくて、変じゃない格好がしたかった。毎月5000円のおこずかいのなかで服も買っていました。つねに変じゃないかなってびくびくしてた笑
高校生の時の私はとがったナイフみたいな性格で自分にも周りにも厳しくて優しくなかった。まぁそんな余裕がない環境だったので今はしかたなかったぁと思いますが、その時の経験から今はゆとりをもって生活すること、人にやさしくすることをモットーに生きています。

反面教師なわたしの生活

私の生活は常に実家での生活を反面教師にして構築されています。
家は整理整頓すること。一人暮らしを始めて数年、私はミニマリストさながらのもののない部屋に住んでいました。意図してものを減らしていました。というのも実家がゴミ屋敷さながらの状況だったので、物が増える=実家みたいになるのは嫌だ!という気持ちだったんでしょう。
掃除をすること。私の家はものを捨てない、掃除をしない、疑問に思わないをモットーにしていたので、家の中は腐海とかしていました。特に水場はカビが繁殖し、まな板包丁には自発的に触りたくない有様です。当時は掃除をするということもあまり想像できなくて(そりゃ見たことないんだもの…)、また使えるお金は常にかつかつだったのでなるべく触らないようにして生きていました。なので今は絶対にアパートの部屋はカビらせないをモットーに生きています。
自炊をすること。母は料理が好きではなく、ほとんど出来合いのスーパーの総菜が食卓に並んでいました。私は実はその総菜が好きではありませんでした。レンジで温めるということもなかったので、揚げ物は常にしなっとしていました。野菜を食べることはあまりなかった反動で今は野菜パラダイス。健康的になったかもしれません。

小話

書いていて気が付きましたが、今では当たり前にわかることが子供にはわからないんだなと。今だったらカビを退治する方法もわかるし、揚げ物がしなっとするならレンジで温めればいい。けど、子供は知らないんですよね。子育てって大人からしたら当たり前のことも子供に教えて伝えていかなきゃいけないんだ。うーん、子育てって本当に大変なんだな…。

ばちばちに影響をうけた人格成型

実家での生活は私の性格成形にも大きな影響を与えました。
小学生時代、私はびくびくした子供でした。自分の家庭がおかしい自覚があったので、外から見て変じゃないかなとずっとおびえていました。小4までは友達もあんまりいなかったように思います。
中学時代はとにかく自信がなかった。友達を作ることも相変わらず苦手だったなぁ。情緒の発達が遅かったのかな?本ばっかり読んでいました笑
高校時代は徐々に情緒が発達していったものの切れたナイフにメガ進化(大爆笑)
社内人になったってずっと迷ってばっかり、我を通そうとしたり子供でしたね。
やっと性格成形が終わったと思うのはここ2年です。成長が我ながら本当に遅い!まぁ今だって欠点もあるし、これからどんどん変わっていくんですが、家庭環境が悪いと自我の発達が遅れることはあるんじゃないかな。

これまでの指針、これからの指針

新社会人の時の私は以下のことを指針に就活をしました

  • 実家には帰らない

  • 一人暮らしを継続

これだけでした。一人で生きていけるだけの収入があればいいと思っていました。
けど、思いがけず人生の岐路に立った今、過去を振りかえって見えてきた指針があります。
やっぱり私は母のようにはなりたくない。お金がない、理解者がいない、子供とも疎遠、私に母の人生をなじったり哂ったりする権利はありませんが、身近で見てきてこんな風にはなりたくないと改めて思います。
今私が新たに人生の指針を掲げるなら下記になるかな。

  • 一人で生きていけるだけの収入

  • 人生のパートナーとは理解者同士であること

  • 人のことを理解しようとすること

  • 人とのつながりは大事にすること(無理のない範囲で)

小話

もともと私は実家で3畳の部屋に住んでいました。今の私からすると、え?おかしくない?と思うのですが当時の私は他を知らないので、特に疑問に思わずに生きていました。
小さい部屋から始まった私。次の目標はワンルーム脱出も掲げたい。私は原点から離れてどれだけ遠くに行けたかが、私の人生の価値だと思うので、いつか、自分の家を買いたいですね笑

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