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二次創作ってやらなくてもいいんだよなという話


 タイトルの通りです。自分は版権作品の登場キャラクター同士の関係性を妄想して、時に恋愛と解釈したり友情と解釈する作品を描いて同志に見せることを楽しむ、いわゆる同人女です。
 その解釈は作品や対象のキャラクターによって変わりますが、主に好きになるのは男同士の関係性の中にある大きな感情、これを恋愛と解釈して萌える、腐女子とカテゴライズされる人間です(男女カプや友情解釈のコンビ萌えもしますが、BLを好む頻度の高さから腐であることは間違いないです。)
 同人女、腐としてかれこれ20年近く生きてきて、自分で二次創作をしてからも同じくらいの年月が経ちます。
 私は主に個人サイト全盛期を経て、現在のSNSがメインとなるネット上の同人活動をして、ここに来て1つの考えに触れることになりました。

 それがこちらの、ばしでざ様の書かれた記事です。

 詳しくはこちらの記事を是非読んで頂きたいのですが、私の二次創作の考え方に大きな変化をもたらしました。
 私はそういえば何で二次創作をしているんだろう?と考えるきっかけにもなりました。

 そういえば自分にとって初めての二次創作といえば、小学生の頃「クレヨンしんちゃん」が大好きで、しんちゃんのオリジナルストーリーを自由帳に書いていました(割とシリアスなやつ)。
それを同じクラスの男の子が「いいなこれ、僕にも描いて」と言ってきて、その子のためにちゃんと綺麗な紙にしんちゃんの二次漫画を清書してプレゼントしました。
 今思えば、これは間違いなく同人活動であり、二次創作だと思いました。

 その他細かいものでいえば、当時は「マリオ」「カービィ」「ポケモン」などのゲームが好きで、そちらをテーマに発行されていた4コマ漫画もたくさん持っていました。
 そういうゲーム4コマに影響を強く受けていて、こちらもまた、自分で思いついたネタを自由帳に描いていました。

 そんな幼少期を過ごし、中学生でいわゆるBL漫画で腐に目覚めてしまうのですが、そうすると個人の方が発行している同人誌にも出会う訳です。
 同人誌はおそらく(中にはプロの方もいますが)殆どは素人の方が趣味で作っているものが大半です。
 しかし絵が凄く上手かったり綺麗だったり内容が面白かったり、凄い、凄い、と感動していました。
 そうなるとまた、自分でもやってみたくなります。高校生の間は部活を熱心にやっていたのでそちらにベクトルが向いていたので、大学生になり自由な時間が増えたのをきっかけに同人活動を始めました。
 当時はまさに個人サイト全盛期。自分もHPを作ったり、オフライン活動では同人誌を作成したり、同じジャンルや同じカプが好きな方々と交流していました。

 ただ、当時から暫くあまりにも長い間自分の心を支配することになる悩みとも出会ってしまいました。
 様々なジャンルで活動してきましたが、どのジャンルにも大手と呼ばれる同人誌の発行数が多かったりサイトの閲覧数が多い人たち、はたまた活動自体はこじんまりしているけど圧倒的な実力を持つ神絵師や神作家たち、そんな人たちへの羨望と嫉妬心を常々拗らせていくのです。
 自分もあぁなりたい、自分の描いた作品をたくさん絶賛されたい、人気者になりたい、けど残念ながら、自分は長らく活動してますが、大手にはなれませんでした。
 もしかしたら誰かしらの神にはなれたかもしれないので、それは自分でも凄いことだと思います(ありがたいことに、どのジャンルでも必ず好いてくださる方々に恵まれたので)。

 いわゆる大手になれないということについては、実力も足りてないですがいわゆる大多数受けするものが、自分の需要と一致してないのも大きいんだなと思いました。こればかりは仕方ありません。
 中には大多数に受けるジャンルやカップリングを早々に目を付けて活動する方々もいますが、自分は違うんだ、自分は本当に好きなものだけ描いて認められたいんだと考えてしまうところがあり、割り切って活動できないのも仕方ないことかなと思います。

 ただ、好きなものの中で認められたいという気持ちはかなり強固なものでした。
 活動ジャンルの中で、自分の描く2人が同カプ推しの方々から絶賛されたいという気持ちを常々抱くこととなりました。
 そのジャンル、そのカプが好きな気持ちは本当なのですが、その集団の中で1番になりたいと思っていたんですね。

 今思えば、何でそんなに拗らせていたんだろう?と思います。
 最初に紹介させて頂いたばしでざ様の記事から、そもそも二次創作って絶対に必要なものではないんだよなと、今では考えています。
 実際に好きな作品は世の中にたくさんありますが、大半のものは原作だけを見て満足しています。記事を読んだ後、原作を見ただけでは消化しきれない、そんな言葉にできないような気持ちを二次創作をすることで、自分の中できちんと向き合って消化する。それがある意味健康的な二次創作なんじゃないだろうかと思いました。

 それを、長年当たり前のように二次創作をする生活をしてきたから、二次創作で認められたいといった、そもそもの捉え方がどこかでひん曲がっていたのかなと感じました。
 二次創作は原作ありきの借り物なのに、何故かそこに自分の存在価値があるような気がしてしまい、作品が認められたら私も認められたという気になっていました。
 今思うと烏滸がましいと思います。

 タイトルに戻りますが、二次創作って絶対に必要という訳ではない。ただ必要になったら必要な分だけ摂取したり作成したりすればいい。
 そう考えたら、長年拗らせていた気持ちがスッとほどけた感覚になりました。

 実際思い返すと、自分が二次創作している時って、原作を見て「どういうことなの??」と強く思った時でした。だから自分の中で消化するために描く。
 シンプルにそれでいいんだと思いました。

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