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本を読むことについて

 本が好きだ。読書が好きだ。
たまに本を読まない時代もあったりと少々のムラはあったけど、生きてきて大体は本を読む生活をしてきた。本を読むことは自分にとって当たり前であり自然なことだ。この場合の本は、漫画を含まない活字の本のことだ。
 
 幼少期まで記憶を遡れば、幼稚園生の時に「おとなになったらなりたいもの」というテーマで、母親たちの前で発表するという催しがあった。
 私は当時から本が好きだったのか、その時「本屋さんになりたい」と思っていた。しかし当時の自分、自己主張が不得意だったのか、「本屋さんになりたい」が言えず、「それじゃあのびのびちゃん、ピアノやってるでしょ。だったらピアノの先生とかどうかな」と、先生が提案してくれて、母もそれに賛同するということになった。
 しかし幼少の私は納得がいかず、いざ発表本番の時に「わたしはおおきくなったらほんやさんになりたいです」と言った。
 そのことを母は怒っていた。「何でパン屋さんなんて言ってるの?」
 パン屋じゃねぇ。本屋だ。母の聞き違いを心の中で何でだよと思いつつ、母は怒ると怖いので特に言い返しはしなかった。話は逸れるけど、母は多分「何でこの子は決められたことができないんだろう」ということが不満だったのかもしれない。それはそうとして、そんな訳で小さい頃から本は好きだった。

 幼稚園にあった絵本も、基本的にはあれば片っ端から読んでいた。毎月購入できるキンダーブックの類の薄い冊子も好きだった。何かと買ってくれるから家には童話や昔話の子供向けの本も大量にあった。
 子供が理解できる本なら、家にある本も全部読んでいた。
 学校の国語の教科書、道徳の教科書は内容が気になって新学期になる前に全部読み切ってしまっていた。

 読書好きの血は、確実に父親からの影響だ。
 父は無類の本好きで、片時も何かしらの本を手放さない。どこへ行くにも必ず本を持っていくし、家にいる時も必ず手元に本がある。
 母曰く、「本好きというより活字中毒のレベル」で、私もそう思う。
 しかし私はそんな父のことを尊敬している。本をたくさん読む人はかっこいいと思っていた。
 自分が本を読む理由には、面白いから、楽しいから、ということに加えて、この「読書家=かっこいい」というイメージがあるのだなと思う。
 尊敬を抱く人たちは大体みんな読書家だし、何故か二次元ではまるキャラクターも読書好きが多い。本に導かれているのだろうか。

 世の中読書離れという言葉を度々目にする。確かに、自分も本を読まない時はネット上の記事を読んでいたりしたから、本に代わる情報源やエンターテイメントが溢れている中、敢えて本を読むという選択をする人たちも減っているのは仕方ないのかなと思う。
 私にとっては、それでも今まさに本が自分が求めているエンターテイメントになっている。
 自分が読む本は種類は様々だけど、主にノンフィクションのものが多い。様々な人たちの様々な人生の軌跡や考えを知るのが好きだ。それを知りたいという好奇心を埋めてくれるのが本だ。

 これまで本は、冊子しか認めない派だったのに、いざiPadを購入したらKindleの圧倒的な手軽さ、場所の取らなさに格段に読書量が増えた。購入はしているけど、本に関するお金は惜しまないので、1冊読み終えたらはい次とどんどん読み進める無限図書館状態だ。

 ここまで本が好きでたくさん読んでいる自分だけど、若干腑に落ちないというか、いまいちピンときてないことがある。
 よく読書する人はこうだ、本から得られるものはこうだという記事を見たことがあるけど、本当かなぁ?自分はそうじゃないけどと、疑いの目を向けてしまうのだ。
 そもそも本を読むだけでみんな頭良くて素晴らしい人間になれるなら、誰だって本読むんじゃない?と思ってしまう。何事も魔法みたいに簡単に劇的に変わるなんてことはないのだ。

 私は本を読むにあたってやめたことがある。
 それは「勉強になるから」という理由で本を選んだり読んだりすることだ。
 本を楽しく読んで結果的に勉強になったならそれはそれで良い。最初から「勉強のため」と思うとどうしても構えてしまうし、損したくないと思ってしまうし、何より楽しくない。根っから勉強が嫌いなのだ。

 本は面白いから読む、本は好奇心を満たしてくれるから読む、本読んでるとかっこいいから読む。
 こんな頭空っぽで軽い感じで読書が好きな人間もいるのだ。そんな訳で、何かやることなくて暇だなという方、おやつ食べる感覚でカジュアルに読書するのもいいですよという話。

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