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失敗は経験という糧になる

 私はいっぱい失敗してます。もう本当に自分でもバカジャネーノ!?と思ったり、人様に多大なる迷惑をかけたり、何かもう本当にすみませんという気持ちです。

 他人に迷惑がかかったり、あるいは命をなくすほど重大な失敗はできるだけちゃんと避けるとして、しかし自分だけが恥ずかしいという失敗は案外たくさんすればするほど、それがレベル上げになるのではと思いました。
 具体的にいうと例えば服に関する失敗とか。凄く気に入って買ったはずが自分には似合わなかったり、着心地が悪かったり、そういう時は私は主に古着買取屋さんに持ち込んで、縁があった方の手に渡れば〜という気持ちで手放します。(買い取ってもらえない、もしくは古過ぎる場合は潔く捨てる)
 服に関する失敗は物凄くしています。それだけ試行錯誤の期間も多く、だからこそ今は服で迷わなくなりました。失敗した分だけ、自分にとっての最適解が選べるようになったからです。

 そしてこれは服だけじゃなく、様々な選択において同じようなことなんだなと近頃感じます。
 思い通りに絵や漫画が描けなかったという期間がなければ、最適な線や作画はできないし、描いて形にするから上達する。
 味付けに失敗したから、次からはおいしい料理が作れておいしく食べられるようになる。
 人間関係で辛い、苦しい思いをしたから、誰かに優しくできるし、自分が好きな人たちと出会える。

 こうやって考えるとこれまでの失敗や間違いは、いつか自分にとってだんだん幸せな選択ができるようになるための修行期間なんだろうかと思いました。
 何かを選ぶということについても、数値化されていないから分かりにくいけど、レベルがあるんだと思います。

 ここ最近、失敗したくない人といった話題を目にして、おいおいそれじゃいつまでも何も手に入らないのでは?と思ってしまいました。
 考えて考えてその時の最適解を選んで、それで「失敗した!」ってなったら、じゃあ次はどうしようかというステップに移れるように、柔軟な気持ちで過ごしていきたいです。

 ちなみに私のグッドポイント診断の結果で最も割合が高かったのが「柔軟性」です。
 私は切り替えが得意な方なので、こういう思考回路をしていると参考になればと思い書きました。

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