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自分という人間は正しく伝わっているのか?

 本日実家に帰省して気付いたことがあります。
 私は両親(特に母)に対して、「私のやりたいようにやらせてくれない」「私のことを分かってくれない」と、そういった凝り固まったわだかまりのようなものを抱えていました。
 一昔前の学生時代などは特に厳しく怒られたりしつけられたり、思い返せば当時の自分は今より馬鹿でちゃらんぽらんであほで聞き分けも悪く反抗的で人間のクズみたいな時期だったりしたので、ある種健全度の高い家庭にて育ったと感じています。アラフォーになったからこそ分かる、父と母は倫理観のある人間であると。

 しかし長年、「本当にやりたいことをやらせてもらえない可哀想な私」という拗らせ方をしていたため、その愛情に気付かずにいました。本当に申し訳ない。
 なので現在は、自分だけでなく父も母も歳を重ねて穏やかになったこともあり、また自分は結婚して別に暮らしているので、互いに比較的良好な関係を築けていると感じます。

 本題ですが、昔は怒りっぽくて怖いイメージのあった父や母、特に母に対して、不満も抱きつつ、恐れも抱いていました。お母さんが怖いというのは、子供心には結構重いストレスなのではと思います。
 そんな母相手だから、できれば機嫌を損ねないでほしい、怒らないでほしいと考えます。
 そうするとだんだん自分の意見が言えなくなってきます。

 こうすると母は喜ぶから。それが行動理由になります。
 
 私はずっと絵、特に漫画やアニメやゲームのイラストや漫画を描くのが好きだ。
 それは幼い頃から自分の中にずっとある。
 だから小さい頃から、同じクラスの絵の上手い子達に嫉妬して、自分もその描き方を真似して取り入れたり、そういうことを繰り返してきたつもりだった。

 しかし、今日母から聞いた話では、私が絵や漫画を描くのが好きだった、幼い頃から他人に嫉妬心を抱くほど描くことに焦がれていたことが、殆ど知られてなかったという衝撃があった。

 爆笑。

 全て私の中の勝手な一人劇場だったのだ。
 登場人物全て私の、勝手な悲劇の舞台を描いていただけだったのだ。

 これは多所で目にする話で、「家族とは1番近い他人である」ということを、ここぞとばかりに痛感することになった。
 そりゃ、当たり前と言えば本当に当たり前なんだけど、母と私は別の人間であり、私がもっと過度に積極的に絵に向っている姿勢が母に伝わっていなければ、そりゃ「この子は絵を描くのが好きだ」なんてことは分からないよなと思った。
 母の顔色を伺ってしまった自分もよくないんだけど、当時習っていたピアノはよく弾いていたから、母は「この子は音楽が好きなんだ」と思ったんだと思う。
 だから母は私が音楽をすると喜んでいた。それは母の中では「私は音楽が好きな子」だったからだ。
 私はずっと母が喜ぶから音楽を好きなふりをしていた。しかし人生の大半の時間をかけるほど好きなことは、イラストや漫画を描くことなんだ。だから私は今日々イラストや漫画を描いている。
 母は母で、「音楽が好きな子が音楽をやっている」ということで、私の幸せを祈ってくれていただけだったのだ。

 こういうすれ違いがあると分かっちゃったから、もうこれからはちゃんと自分の好きなものを好きだと言ってどんどん表に出していきます。

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