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【短歌】凌霄花|文語の定型短歌を詠む38


通勤に走る東名高速の防音壁に凌霄りょうしょう咲きぬ

凌霄りょうしょうが視界に入り今年もまた期末試験の季節と思ふ

濃緑の葉と凌霄花りょうしょうかに数週間コンクリートの肌装はる

凌霄りょうしょうの連想毎年同じなり期末の準備と目黒の母と

凌霄花りょうしょうか揺るるの庭 母のこと 弟のこと 姪たちのこと

2014年7月詠 『橄欖』2014年10月号 初出

目黒の実家は大正時代に母の祖父、私の曾祖父が買った家である。海軍工廠のあった横須賀から上京し、目黒の海軍技術研究所に赴任することが決まった時に、通勤に便利な場所で探した家だった。

私の祖母はその曾祖父のひとり娘だった。この家から女学校へ通い、養子を迎え、そのまま両親と同居して7人の子を産み育てた。曾祖父も祖父も戦前に英国へ単身赴任し、全国各地へ出張もしたが、帰る家はこの目黒の家だった。

祖母は1982年の夏に逝去した。残された79歳の祖父の世話をするため、私の母と父がこの目黒の家に住むことになった。庭のノウゼンカズラが毎夏咲き誇るたびに母は祖母の思い出を語った。

弟が結婚し、二人目のこどもができた時に、横浜から目黒へ移った。敷地内の古い二棟の家屋を壊して新しく二棟の家に建て替えたが、大正時代からの庭はそのまま残された。松も、梅も、柿も、皐月も、凌霄の棚も。

私の姪たちは、毎日庭を通って「おばあちゃん」の家へ遊びに行きながら新しい家で育った。小さい頃の姪たちはこの庭を「もり」と呼んでいた。

母の実家は私の実家になった。結婚後に愛知県へ転居した私は、毎夏、ノウゼンカズラの花を見るたびに目黒の家と、母と、弟と、姪たちのことを思う。