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【日記】11歳の冬|こどもの頃の日記から 17

197X年1月X日 Y曜日

大使のこうていで日本人会があった。

Nちゃんたちも来ていた。

200人も人がくるので食事をするのもたいへんだった。
くりきんとんがおいしかった。

パーティーのあと、ARさんと AD さん、TさんとYさんがうちにいらした。


197X年1月X日 Z曜日

明日から学校なのでじゅんびをした。

日本からおくられて来たテストをやった。
むずかしかった。

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前回までは10歳と5カ月の冬の日記だったが、そのちょうど一年後の
11歳の冬の日記から。

日本語を忘れないように、親による国語の家庭教育は厳しかった。
のちに親に感謝したが、こどもの頃はとてもつらかった。

特に、夏休みやクリスマス休暇(冬休み)はインターナショナルスクールの宿題が無いので、遅れがちの日本語学習が挽回できるよう、いつもより多めに漢字の練習帳や国語の問題集が課された。

日本大使公邸でのお正月の日本人会には、外交官と企業駐在員が家族ぐるみで集まるだけでなく、ウィーンで音楽を学ぶ日本人留学生たちやウィーン大学で研究をしている学者の先生がた、国連など国際機関のスタッフなど大勢が招待されていた。

慣例で「君が代」を歌う時のピアノ伴奏を一度だけしたことがある。
この年の日記には書いていないので、翌年だったかもしれない。

参加者の中にはウィーン留学中のプロの日本人音楽家がたくさんいたが、
その中から誰か一人に依頼するわけにはいかない、
というお考えの大使だった。
日本大使館がその人を特別扱いしていると誤解されるからだ。

それで、大使館書記官や企業駐在員のこどもたちが持ち回りで「君が代」の伴奏をしていた。