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先生としてやってきたのはつながりづくりだった。

先生の時代に大事にしていたことに

つながりづくり

というものがあります。

それには3要素あって

①子どもと子ども

②先生と子ども

③先生と保護者

の三つです。

保護者と子どもという要素は

とっても大事だと思ってますが家庭のことなので

一教員が介入することではないと思っています。


大人になったときに

一番必要な力って

つながれる

ということだと思っているのです。

生活が困窮したとしても

助けてもらえる関係性の人がそばにいれば

生きていけるので。


子ども同士の繋がりは以前の記事にも書きました。

この他にも、会社活動もその一つです。


②先生と子ども

というところで登場したのが

振り返りジャーナルでした。

岩瀬直樹先生、ちょんせいこ先生はリスペクトです。


毎日、学校から帰る前に

今日あった出来事を書いて帰るというものです。

どうしても時間が取れない時は

書ける子だけでいいという日もありましたが

基本的に毎日です。


子どもでも大人でも

話すより書く方が得意な人がいます。

私はまさに書く派です。

子どもの頃は学校の先生と話すなんて

声の大きくて目立つ子がやってて

私は話したくても話せませんでした。


5年生の頃

自分の母の故郷に遠足にいった日。

言いたくなったので

勇気を持って先生に話しかけました。

私「先生、ここうちの親戚がいるんやで。」

先生「へ〜なんていう名前?」

私「佐藤。」

先生「嘘やろ〜。」

終了。。

私の勇気は、見事に崩れました。

なんだかとてもショックだったことを覚えています。


先生は普通の会話をしただけだと思います。

でも私にとっては先生に話しかけるなんて

とても勇気のいることだったのです。


そんな経験から

私は先生として

できるだけ自分から話すようにしていました。


だけど、話すのが苦手な子は

話しかけられてもうまく言葉にできないこともあります。

なので、言いたかったけど言えなかった。

そんなことを書いてくれたらいいなと思ってやっていました。


大学ノートは自腹で買って

毎日子どもたちへの返事を書く。

これはただでさえ忙しい日々の中で

首を絞めることはわかっていましたが。

それでもやってました。


一年続けた年の最後の日のノートには

一年間の振り返りがびっしり書いてありました。

楽しかったことをたくさん。

ありがとうも込めて。

それだけで充分、救われました。


担任させてもらう一年間を

楽しい一年間にする

そのために先生続けていましたね。


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