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壁あての壁になる

他の伴走先生の授業の記録で
会話の「壁あての壁」になっていければと思います。
と書いている方がおられて
すごくいいなと思いました。

「壁当て」
私はバレーボールだったけど。
朝早く行くとパスの相手は誰もいなくて。
一人で壁に向かいます。

どうやったら一番いい球が返ってくるのかとか
さっきのは腰が高かったからよくなかったんだとか
いろいろと一人で考えながら
ひたすら壁に向かいます。

その一人の時間。
寂しいようで
案外好きだったかもしれません。

相手にとやかくいわれたりするよりも
一人黙々と
そういうスタイルが好きだったのだと思います。

授業をしていると
自分が何か与えなくてはならないと
思いがちです。
でもそれは自分の自己顕示欲からくるもので。
自分がこの授業を通して価値のある人間だと実感したいのだと思う。

子どもをベースに授業を考えたときには
その子が求めているものは何かということを
見極めることが大事だと思っています。


私が子どもだったころは
壁で十分でした。
もしも相手が人だったら
相手もとりやすいようにボールを出さなくてはならないとか
今の球はよくなかったから
ごめんと言わなくてはならないだろうかとか
少しは相手のことも褒めないといけないかなとか
自分のスキルアップ以外のことに
脳みそをフル回転させてしまう子だったので。

HSPとかいう言葉を最近はよく聞きますが。
もしかしらそういうところがあったのかもしれません。

人にどう思われているかとかいうことが
とても気になるので
その場所でどう振る舞うのがよいのかということを
よく考えてから行動に移す。
優柔不断になるし
疲れるし
自分自身のことにあまり時間を割けないし
目立つことはよくないことなので
何かに秀でるということもない。

私が子どもの頃に
もしも
伴走してくれる先生がいたならば。
私は自分の胸のうちを話したかもしれない。

でもその人に少しでも
違和感を感じたら
表面的な関わりをしたかもしれない。

壁になろう。
壁に。
そしてもしも、その子が
壁の引き出しの取手に触れたなら
少しだけ開けてみてもらおう。

そのぐらいでいい。

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