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レッジョ・エミリアアプローチ。これをやると決めた。

子どもたちの100の言葉

「冗談じゃない。百のものはここにある。」

子どもは
百のものでつくられている。
子どもは
百の言葉を
百の手を
百の思いを
百の考え方を
百の遊び方や話し方をもっている。
百、何もかもが百。
聞き方も
驚き方も愛し方も
理解し歌うときの
歓びも百。
発見すべき世界も百。
夢見る世界も百。
子どもは
百の言葉をもっている。
(ほかにもいろいろ百、百、百)
けれども、その九十九は奪われる。
学校も文化も
頭と身体を分け
こう教える。
手を使わないで考えなさい。
頭を使わないでやりなさい。
話をしないで聴きなさい。
楽しまないで理解しなさい。
愛したり驚いたりするのは
イースターとクリスマスのときだけにしなさい。
こうも教える。
すでにある世界を発見しなさい。
そして百の世界から
九十九を奪ってしまう。
こうも教える。
遊びと仕事
現実とファンタジー
科学と発明
空と大地
理性と夢
これらはみんな
ともにあることは
できないんだよと。

つまり、こう教える。
百のものはないと。
子どもは答える。
冗談じゃない。百のものはここにある。

 ――ローリス・マラグッツィ(訳:佐藤学)
出典:JIREA/まちの研究所株式会社


●子どものたくさんの可能性や、たくましい能力や、多様な考え方・感性を「奪わないこと」

●子どもたちを「一つのゴール」に向かわせるのではなく、子ども一人一人が自分で感じ、自分で考え、皆と一緒に協力しながら共に何かに取り組んでいく、その「多様なプロセス」自体を大切にすること。

●「ゴール」を最初に決めず、対話の中からアイデアが出て、それを実践する中で次のアイデアにつながっていく。

●「答えのないこと」に対して「一人一人が自分で感じ、自分で考え、皆と一緒に協力しながら取り組む力」を育むこと。

出典:【教育研究家に聞く】世界が注目する幼児教育「レッジョ・エミリア・アプローチ」とは


はじめて、レッジョ・エミリアという言葉をきいたのは、今年に入ってから。
ある種の芸術の名前かなぁなんて思っていました。

それから、また別のところでレッジョという言葉を聞いて、どうもそれは教育のことらしい。
そして少し調べると、世界最高峰と言われているらしいということもわかりました。

それからまた少し本や動画から調べてみると、ようやくわかってきました。
これは素晴らしいメソッド。
私が本当にやりたかったもの、大事にしたかったことが、幼児教育法の中に存在していたのだということがわかりました。

これまで
教育技術
ヨコミネ式
プロジェクトアドベンチャー
イエナプラン
サドベリー
シュタイナー
モンテッソーリ
いろんな教育法を
調べたりみたりしてきました。

だけど
ここにきてようやく。
これなんじゃないかと思うのです。

風スタッフの方が
「子どもの人」
という言葉を使われるのが
好きです。

子どもも、大人と同じ人なんだ。
言葉こそ拙いかもしれないけれど
彼らにも彼らの考え方があり
一人の人として
もっと尊敬されるべき人なのだ。
そんな意味があるように思います。

大人が考えたものを
これをやりなさいと手渡すのではなく
子どもが見るもの、触るもの、話す言葉、その表情にもっと注目したいのです。
そこには私たちのまだ知らないすごいものが眠っているのではないかと思っています。

私は、このレッジョ・エミリア教育の実践者でありたい。

そのために
まず、本を読みます。
そうして、環境を整えます。
そして、記録を書き、共有します。
それから、実際の現場を見にいきたい。

まずは家庭で。
それから風で。
そうして私の実践の場をつくります。
それは小学生を対象とする場所。
未だ日本にはない場所。

地域を巻き込むとはどういうことか。
私の知らないことはまだまだあります。

学びます!

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