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こどもから見た学校は。

夢を見ていて
私は学校の生徒だった。

新しく来た先生が自己紹介して
質問をしなさいと言う
質問が少ないから彼女は怒り
全員立たされて
質問を一つしたら座れる。

目が覚めて考えた。
自己紹介ではなくとも
授業では見たことのある光景で
それはもはや虐待ではないかと。。

興味のない話を延々とされて
もうその場から逃げ出したいけど
逃げられないので
仕方なく意識を別のところに飛ばしていたのに
立たされて
無理やり喋らせられる。

虐待でなければ人権侵害とでもいおうか。

彼や彼女の思いは聞いてはもらえない。
ただ従い
言われるがままに
どんなにそれがおかしいと思っても
反抗すれば罰を受ける。

そこに対話などない。


先生たちは自分もそのように
されてきたから
いやもっと厳しかったのかもしれない
だけどそれが当たり前で
人権侵害などとは
少しも思ってはいない。

むしろそれは教育という名の
至極真っ当なものであるという立場を
少しも譲ろうとしない。

もし譲ろうとするのなら
それは先生の権力の崩壊であり
学級崩壊へとまっしぐらだと
思っているからだ。





・・・・

ふりかえれば
先生になりたての頃の私は
そうだった。

どうやったら
上手にこどもたちをコントロールできるか
そればかり考えていました。

だけど
そもそも
コントロールするという考え自体がおかしい。

こどもだからといって
決して支配されてはいけないのです。


教員の最後の頃は
いかに学校生活を楽しくするか
そればかり考えていました。

この息苦しい
学校システムの中で
どうしたらこどもたちが
楽しいと思えるか。

学級会の時間は
会社活動という名の
自分たちで考えた
すきなことをする時間を作りました。
クラスが楽しくなることなら何でもいい
としました。
絵や新聞を描いて掲示したり
本を作って貸し出したり
みんなに遊びを提案したり
いろんな会社が生まれました。

不登校ぎみだった彼には
私の空き時間に来てもらいました。
そして好きなことをしようと言いました。
彼はプログラミングが好きだったので
一緒にscratchをやりました。
2人で試行錯誤しながら。
そして彼の作ったプログラムは
理科授業の導入のアニメーションとして
みんなにみてもらいました。

休み時間は
毎日こどもたちと鬼ごっこをしていました。
こどもと走り回って
帰ってくると息が絶え絶えで
初めの一言は
「・・・あぁしんど。
 ・・・ちょっと待ってな。」

ある彼は
「音楽行きたくない。」
そう言って、音楽室へ移動しようとしません。
音楽の授業は
彼にとっては辛いものなのでしょう。
だけど、行かせなくちゃならない。
何度も一緒に授業を受けました。


今日も大勢のこどもたちが
当たり前に学校に通っていきます。

教育には正解がないです。
こどもたちの日々が
その子たちらしく
楽しくあればいいなぁと思います。

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