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自分の殻をぶっ壊せ

生まれてうん十年目にして、色んな意味で色々目が覚めそうです。

あまりに最低過ぎてヤバすぎる自分に卒倒しそうですが、同時に、今もし、何か困難を目の前にされている方がいらっしゃいましたら、どうか私のこの記事を読んで、「まだまだ」とか「大丈夫、出来る」とか、もう何でもいいので、とにかく「自分を諦めないで欲しい」のです。


そんな思いを込めて、書きます。


今、不安や悩みを抱えてる人の励みに、少しでもなりますように―


どんなにそれが死ぬほど怖いことでも、常識的に有り得ないことだとしても、「変わりたい自分」を何よりも優先させたくて、その自分の感覚にひたすら従った結果、ついにやって来ました。


貯金は相変わらずゼロのまま、今週訪れるカードの引き落としにとうとう目処が立たず、9万円をなんとか貸して欲しいと、死んでも両親だけにはバレたくなかった今の私の現状を「伝える」という流れが。


今回ばかりはもう本気で「無理だ」と思いました。だってそんなこと「死んでも」言いたくない。
もう悩むに悩みすぎて、ここ数日はまるで生きた心地がしませんでした。


「言ったら殺される」

「ただでさえ、結婚もしないで家に置いて貰ってる身なのに」

「これ以上(両親を)失望させたくない」

「そもそも、一瞬でも自分信じた私がバカだった」

「私が産まれてきたこと後悔させたくない」

「一生口聞いてくれなくなるかも」


…未だ残ってる小出しに出てくる罪悪感がしんどいですが、まさか自分がここまで、両親にとっての勝手な理想像に自分を当てはめることで「ギリギリ」自分の存在価値を保って生きてきたとは。


だいぶショックでしたし、何よりもそれを今から全力で裏切ろうとしてる、「両親を傷つける存在でしかない自分」はもう正直手に負えず、この際もう勘当でも何でも、「自分が変わるために目の前に来たであろうチャンスを逃したくない」、最後はただその一心だけだったと思います。


と、今ここまで書いて思いました。
私、何を勝手に、自分を両親の「期待の星」に仕立て上げてたのか。

いい歳して本当に痛いヤツでしかなかったです。



結果的に両親には色々言われたことで耳が痛くも、自分が色々思い描いたような結末には至らず、「そこまでつぎ込んだ(やりたい事に)なら何としてででも最後までやり遂げろ」という有難い言葉を貰えたことで、後々でジワジワとまた気付いてしまったことがあります。


私ずっと、「うちは両親が厳しいから」「閉鎖的だから」、「だから私には自由がない」「欲しいものは与えて貰えない」と、私のしたいこと、やりたいことが出来ないのは、「親のせい」だと長年ずーっとそう思って生きて来ましたが、それ全部が実は大間違いでしかなかったこと。

自分に自信がないばっかりに、それを「やりたい」という勇気が私に無かったばっかりに、両親に伝える前から勝手に「出来ない」と否定して「諦めた」のは私で、両親に「ダメ」って否定されてた訳では無かったということ。

そして特に母には、いつだって私に「何かある」のがバレバレだったこと。


そして、大学の一人暮らし時代、正月も成人式も祖父の葬式にも帰らないで、彼氏にフラれたショックからアパートに何ヶ月も引きこもった時のことがサッと頭をよぎってハッとしました。


以前母に聞いたことがあります。
よくあのとき、「何もしなかった」ねって。

そしたら母の答えは確か「警察呼ぼうかとも思ったけど、あんたのこと信じてたから」だったかと思います。


「(お金借りたら)また信じて貰えなくなる」とか、めちゃくちゃ思ってたのに、そんな私を誰よりも何よりも信じてないのも、私だけでした。


「信じたのに、結局(お金のこと)自分でどうにも出来てないじゃん!!」ということに心底腹を立てた自分もいましたが、今回の流れから気付いたこと、何より両親という存在があったからこそ今の自分があること、そしてこの先自分の才能を仕事にする事に負い目なく全力で取り組むことを決められた、この一連の出来事がもう、奇跡でしかないんじゃないかって。


このことが無かったら私、今もなんだかんだ言い訳をして、のらりくらりと動けずじまいだったと思います。


だからもう、ここからはどんなにつまづいても、どんなに怖くても、どんなにぶっ飛んでても、もう全力で自分を信じて「やる」、「来た流れに乗り続ける」ことを決めます。


自分の感覚を信じてれば、やっぱり「何があっても大丈夫」でした。


そして、一人でも多くの人がこれ以上自分を否定しなくて済むような世の中を夢見て、そのために自分を使う努力をし続けたいと思います。



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