強がり

1人電車に乗っていると、記憶の中の人々の姿が蘇ってくる。
後ろ姿、横顔、そのときに私の目に映った遠くの景色、私たちの横を通り過ぎていった人、彼らの切る風。時計の針を一旦止めたくなる。

記憶に浸るのが好きなんだねと、ある人は言う。好きなのか知らないけれど、規則正しく進む時計と並行して脈を打つ身体の方が嘘くさくなる。

ソナタ形式の再現部。
中間部を通り抜け、冒頭と同じメロディーが流れ出す。過去の思い出が蘇ってきたときのような懐かしいメロディー。しかしリピート記号によって小節が戻ったわけではない。あくまでも再現部として、楽譜は進んでいく。
音符の動きは同じでも、音の響は違う。それは再生ではなく再現。前後の厚みがある。
今の生活も全てこれと同じことだと思いたい強がり。

くるりのブレーメンを読んで再生の意味を考えたくなった。この解釈は一方的なのかもしれないけれど、そう思わせる歌詞を生み出している日本語の文法を私は知っているからそう思えた。

少し走って立ち止まり呼吸だけが早まる。
この文章を書いたあと、文章を書いた時の気持ちは忘れている。書く行為によって動いた感情だけが時間の経過を知らせる。

明日は8時に家を出る。
こうしてまた、自分を含む世界が作ったらしい軌道に乗る。1日24時間で区切られたカレンダーに身を任せている。らしい、とか、任せている、とか言いたくなる癖が嫌い。

電車に乗り込んだ女性は出入り口の脇に立ち、ギターを窓側に立てかける。重そうに、けれど重さ以上の何かをその木に託している。かき鳴らせば多くの人の心を震わすメロディーを生み出すこの世のあらゆるギターの元素組成は単純。単純でいい。人を構成する元素記号も表にまとめられる。単純でいい。単純である。音を人はどう捉えているのか。それを考えることによって救われるのは私だけだったのか。
信じられるものは何も無いけれど、その女性はとても大切そうにギターを立てかけていた。

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