終わりが迫ってくる感覚
小さい頃、とてつもなく死ぬことが怖かった。
生まれて間もない奴が、無縁に近いほど遠い将来のことに怯えていた。本物の馬鹿だと思う。
(なんで死ぬのに、生まれて来たんだろう。)たまに想像するだけで、死の恐怖が迫ってくる。
生きるには理由があると考えたかったけど、考えても自分にはそんな理由もないと思うし。
なんの理由も無いくせに
死ぬ時は「苦しい」って認識をしていた。
「地獄だろ...」
楽しい事をしている時は良い。
ただ、一人になると考える。
今から思えば、考えても解決のしない事だとは思う。
一人で考えても解決しない問題を、永遠と頭の中で一人で考えていた。
ただ、誰かに言う事も恥ずかしかった。周りは子供、兄弟に「死ぬのが怖い」なんて言っても、絶対笑う、そんな認識くらいは出来る。
ある雨の日、たまたま、車で何かの送り迎えで父親と二人きりになった時
僕は助手席から、運転席に座る父親に向かって。
「生きる意味ってなんだと思う?」
と、本気で聞いたことがある。
「今は、お前達、子供をを育てる事だと思ってるかな」と即答された。
大した理由じゃなかったけど、
なんだか自分が一番信頼できる人から
そうやって思われてる事が、嬉しかったのか安心したのか。
なんだか少し怖さが和らいだ気がした。と、同時に少し泣きそうになった。
今でも、この時の感覚をたまに思い出す。
足かせが取れた様に身軽になれる。
大したことのない答えだったからこそ、そんなに人生を深刻に捉えずに楽しく生きれて、支えになってる。
理由がないからこそ。自分で今大事な何かを生きる目的にして、納得するだけで良い。
電線の上を歩く蟻には、電線が大きな道に見える、長い距離を綱渡りする様。
見る視点を変えれば、ただの電線の上にいる蟻。ちっぽけに見える様。
自分が立つこの地も、
意外と大した事ないのだ。
今、僕が自分の生きる目的としている事を考えたなら。趣味に没頭したり、楽しく生きる事だと思っている。
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