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2005年 福岡ソフトバンクホークス(2位)

2005年から親会社がソフトバンクとなり「福岡ソフトバンクホークス」として迎えた最初のシーズン。この年は勝率は1位ながらもCS優勝チーム=パ・リーグ優勝チームというルールでCSでソフトバンク負けたため勝率1位ながら2位という悔しいシーズンになりました。そんな2005年ソフトバンクを見ていきましょう。


ダイエーからソフトバンクへ

2004年10月、経営再建をしていたダイエーは自主再建を断念して産業再生機構への支援を要請。これによりダイエーからの球団売却が濃厚になりました。2004年といえば近鉄・オリックスの合併などといった球界再編問題が巻き起こった年。ダイエーもロッテと合併して1リーグ10球団制となる構想もあったようですがご存じの通りそうはならず、最終的に11月にソフトバンクが200億円で球団を買収。無事申請は受理されここに「福岡ソフトバンクホークス」が誕生しました。
引き続き王貞治監督が指揮を執り、FAで近鉄から大村直之、新外国人でトニー・バティスタを獲得するなど補強も怠りませんでした。

打撃陣

2005年  ソフトバンク 野手陣

2003年のダイハード打線から村松有人や井口資仁が抜けましたが、依然打線は強力。中軸のT.バティスタ、前年三冠王の松中信彦、城島健司はそれぞれ20HR以上、特に松中は46HR、121打点で打撃2冠。これに.412と高い出塁力もありますからね。さすが三冠王。しかも6番のズレータは3割43HR、99打点と100打点に迫る大活躍。
新加入の大村直之は切り込み隊長として1番起用、31盗塁と(出塁率はアレだが)リードオフマンとして機能しました。(どっかで見たことある成績だなと思ったけどルーキー時代の近本光司みたいだなこれ)
ただ控えが少し心もとないのは気になります。捕手の城島の代えが打力に劣る的場直樹だったり、大道典嘉や柴原洋はいましたがそこまで控え組は厚くないのが実はこの後響いてきます。

投手陣

2005年 ソフトバンク 投手陣

ダイエー末期からソフトバンク草創期はなんといっても先発4本柱が大活躍。25歳の杉内俊哉、24歳の和田毅、28歳の斉藤和巳、25歳の新垣渚と全員20代と若い4人がこの年は全員が二桁勝利。
杉内は18勝、防御率2.11・218奪三振とまさにエースの投球。沢村賞とMVPを同時受賞しています。また斉藤が16勝1敗という圧巻の成績を残し.941と最優秀投手(最高勝率)を獲得。
救援陣では吉武真太郎がセットアッパーとして32Hを挙げる活躍。
抑えでは2年目の三瀬幸司、馬原孝浩が18S、22Sを挙げるなどダブルストッパーとして機能しました。

最後の最後で…

開幕5連勝と最高の開幕ダッシュを切ったチームは特に大きく負けることはなく、この年から始まった交流戦でも2位でフィニッシュ。6月14日の横浜戦から7月6日の楽天戦まで15連勝ととんでもない勢いで白星を積み重ね、ロッテの追い上げもかわしてシーズン「は」優勝。89勝45敗2分と貯金44、3位西武には23ゲーム差をつけています。しかし気がかりなのは2位のロッテ。この年のロッテは84勝49敗3分でソフトバンクとは4.5ゲーム差で2位になっていましたが、先発6人が全員二桁勝利を達成するというもう今後もできないであろうとんでも記録を作り、打線もボビーチルドレンの西岡剛や今江敏晃、ベニーやフランコといった外国人、福浦和也・サブローといった現有戦力が合わさりソフトバンクと対抗していました。
さらにソフトバンクは終盤戦で不動の捕手城島健司が自打球で怪我離脱。チームに暗雲が垂れ込めます。

プレーオフ第1ステージは2位ロッテvs3位西武のカードで勝ち上がったのはロッテ。
どちらもリーグ屈指の戦力を持った2位ロッテvs優勝したソフトバンクのPO(プレーオフ)第2ステージが幕を開けます。
当時のルールでは2位チームの5ゲーム差以上ついていた場合、1位チームには1勝のアドバンテージがついていましたがこの年の2位ロッテとのゲーム差は4.5と僅かにアドバンテージはつかず。(ちなみに2004年も同じような感じで西武に4.5ゲーム差しか付けられなかった結果2勝3敗でPO敗退して優勝を逃している。)
ロッテはD.セラフィニ、ソフトバンクは杉内の投げ合いでした。2回にJ.カブレラのHRで先制も4回に追いつかれ、7回に里崎智也のHRで勝ち越されるもその裏に城島の代役・的場直樹はタイムリーで同点に。しかし8回に堀幸一・福浦の連打で杉内を降板させると1アウト後代わった吉武からベニーが決勝の2点タイムリー。その後はYFK(藪田安彦・藤田宗一・小林雅英)の勝ちパターンに抑えられ2-4で敗戦。
2戦目はロッテ清水直行vsソフトバンク斉藤の投げ合い。
カブレラが2試合連続HRで先制するも6回にロッテは斉藤を攻め1アウト満塁にするとフランコが逆転タイムリー。その裏に川崎がHRを打つも追いつかずに2-3で敗戦。ロッテに王手をかけられます。
しかし3戦目(ロッテ渡辺俊介vsソフトバンク新垣)は4点ビハインドの9回、ここまで抑えられた小林雅英を攻め立て1アウト1,3塁とすると大村のタイムリー、川﨑が繋ぎ満塁とすると代打荒金久雄が2点タイムリーで1点差に。
2アウト2,3塁で絶不調の松中を迎えるとロッテは敬遠で歩かせ満塁に。そして続くズレータが押し出しの四球を選び同点に。ソフトバンクはその後も相手の小野晋吾からチャンスを作り、川﨑が小野から交代した藤田をからタイムリーでサヨナラ勝ち。
4戦目(ロッテ小林宏之vsソフトバンク和田)は1点ビハインドの4回にズレータが2打席連発の逆転2ランを放つとそのまま試合は終わり3-2と逆王手をかけます。
迎えた第5戦は第1戦と同じセラフィニvs杉内の投げ合いに。鳥越裕介の犠飛と絶不調だった松中の待望のタイムリーで7回まで2-1とリード。
しかし8回表、先頭はこの年引退する初芝清の三ゴロをバティスタと川﨑が交錯して初芝が出塁。福浦が繋ぎ、サブローは凡退するも迎えるは里崎智也。馬原孝浩が投じた初球をたたくと打球は左中間を割るフェンス直撃の2塁打になりこれで初芝・福浦がホームに生還。ここで逆転を許してしまいます。その後もソフトバンクはチャンスを作るも凡退。9回もランナーを出すも最後は川崎のレフトフライでゲームセット。
この時のルールではプレーオフ優勝チームがシーズン関わらずパ・リーグ優勝チームとなったためロッテが優勝。シーズン勝率1位のソフトバンクは日本シリーズにも行けなかった上に2位と涙のシーズンとなりました。

今回のサムネの写真は第5戦里崎の決勝ツーベースのときの写真
雄たけびを上げる滑り込む福浦、拍手で迎えるベニー、アピールをする的場直樹と三者三様。
この後的場はベンチで大泣きしたそうだが城島は「胴上げを見てその悔しさを心に留めておけ」
と話したそう。なお的場は2010年にロッテに移籍。
まさかその因縁のあるロッテで日本一を経験することになるとは

しかもロッテはこのまま日本シリーズでセ・リーグ優勝した阪神を4連勝で倒し(334)、日本一になったため、1位球団やPO未実施だったセ・リーグとの不平等性が目立ち、翌年からは1位の球団のアドバンテージはゲーム差関係なく導入されました。(なお2000年代のソフトバンクはそれ以降も短期決戦で敗れ続けます。)

さらに長年チームを支えた捕手の城島健司がメジャー挑戦を表明。
あの伝説的ダイハード打線から村松、井口、城島と抜けていきだんだん戦力が低下していくも2006年,2007年はギリ耐えていましたが2008年には球団12年ぶりの最下位に。低迷期と呼ぶには全然低迷していませんが2005年から数年は近年のホークスにとってみれば苦しんだ期間を迎えることになります。

2005年 オールスターゲームでHRを打つ城島健司。
城島は2010年のメジャー帰国後はソフトバンクではなく阪神に入団。
ソフトバンク時代の城島としては最初で最後のシーズンです。

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