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2008年 福岡ソフトバンクホークス(6位)

今でこそ福岡ソフトバンクホークスといえば常勝球団のイメージが強いですがそんなソフトバンクにも短いながら低迷期はありました。
特に王貞治監督ラストイヤーとなった2008年は球団最後の最下位に沈むことになってしまいました。そんな2008年のソフトバンクを振り返ります。

度重なる主力流出

上の写真は2003年ソフトバンクに球団売却前の福岡ダイエーホークスのダイハード打線です。得点数は822、チーム打率.297と21世紀最強レベルの打線であることは間違いないでしょう。
しかしこのオフ1番の村松有人がオリックスへFA移籍。3番の井口資仁は2004年オフにMLBへ、そしてその翌年は城島健司がMLBへ挑戦しました。
またバルデス、ズレータは退団とダイハード打線は徐々に解体されていきます。それでも大村直之をFAで獲得したり、2003年オフトレード放出した小久保裕紀をFAで獲得するなどチーム強化の策はしていましたが2003年以降だと優勝したシーズンはありませんでした。
またダイハード打線のメンバーも川﨑宗則以外の松中信彦、小久保、柴原洋が全員30代後半に差し掛かっており世代交代は急務でした。

スタッツ

野手陣

この年は主力の不振が目立ちました。
小久保は20HRを打つも前年から打率を2分ほど落とし試合数も減少してしまいます。大村もわずか79試合の出場でにとどまり、OPSも.700。
そして多村仁も(やっぱり怪我をしてしまい)わずか39試合の出場と主力勢が大きく響きチーム打率.265と4位、チームOPSは.702と5位

一方35歳の松中信彦は打率.290 25HR 92打点と年齢をものともしない活躍。
1,2番コンビの本多雄一、川﨑宗則はいずれも規定到達で本多は29盗塁、川﨑は19盗塁と前年より盗塁数は減ったものの一定の活躍は見せました。

また他の選手では25歳の松田宣浩が142試合の出場で17HRでチーム内2位の安打数でした。そしてこの年から長谷川勇也が出始めます。この年は71試合の出場で打率.235 4HR 24打点と苦しみました。
この頃は松田、長谷川、明石健志、髙谷裕亮などといった2010年代後半のソフトバンク黄金時代を支える選手がちらほら出てきます。

投手陣

2000年代のソフトバンクといえば杉内俊哉、斉藤和巳、新垣渚、和田毅の強力な先発4本柱が圧倒的ピッチングで勝ちを積み重ねていましたが斉藤が怪我で完全に投げられなくなると新垣は不調で4月に2軍降格。結局杉内と和田、そして2006年希望入団枠で入団した大隣憲司が規定到達。
杉内は213奪三振で最多奪三振のタイトルを大隣はチーム内トップの11勝を挙げました。しかし杉内も和田はこの年開催の北京オリンピックに派遣。五輪後は不調になるなど投手陣が総じて活躍できず。
2007年度ドラフトでは1位で6球団競合で東洋大学の大場翔太を獲得していましたが13登板で防御率5.42、3勝5敗と期待度的には今一つの結果に。
実は当時後にソフトバンクで大活躍するホールトンやスタンリッジは在籍していたのですがまだ花開く前でした。

リリーフは守護神の馬原孝浩が7月までかかる長期離脱となったため前述のホールトンが抑えをやったり流動的でした。(馬原は復帰後11Sを挙げる)
しかし全体的に指標が悪くチーム内最多ホールドは大社ドラフト3巡目指名のルーキー・久米勇紀で救援防御率は4.47とリーグ最下位。
先発防御率は3.91とリーグ2位でしたが救援に引っ張られる形でチーム防御率は4.05とリーグ5位。強みを活かしきれませんでした。

シーズン概要

「目指せ世界一!」のスローガンのもと始まった2008年。開幕5連勝も4月に9勝15敗の大失速。それでも交流戦では15勝9敗と優勝。その後は基本的に3位(たまに2位)でしたが、9月に5勝18敗と大きく負け越します。特に9月11日からは5連敗、1つ勝ちを挟んで7連敗とこれで一気に転落。
10月7日、宮城での対楽天戦(6位)は両チームにとっての最終戦で5位のソフトバンクとは0.5ゲーム差と敗れたほうが最下位となる試合。
ソフトバンク先発は杉内俊哉、楽天先発は田中将大。エース同士の投げ合いのためか9回まで0-0と締まった投手戦が繰り広げられました。
その後延長戦に突入。ソフトバンクは篠原貴行・佐藤誠、楽天は川岸強・有銘兼久・青山浩二とお互い無失点リレー。
ソフトバンクは12回佐竹健太を攻め立て1死1,2塁のチャンスを作り打席には松中信彦。しかし初球のど真ん中を打ちセカンドへのゲッツーという最悪の結果に。せめて引き分け…というソフトバンクファンの願いもむなしく、馬原孝浩が山﨑武司にサヨナラ打を浴び敗戦。14年間チームを率いた王監督の最終試合はなんともいえない結果に終わっただけでなく球団としては1996年以来の最下位という屈辱的シーズンとなってしまいました。

上記の真中中央のAA。本当にど真ん中
王貞治監督と楽天・野村克也監督
野村克也監督は実際に2009年に楽天を初のAクラスに導きその後退任している。


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