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1996年 広島東洋カープ(3位)

横浜のマシンガン打線、阪神のダイナマイト打線、西武の山賊打線などなどものすごい成績を残した打線は伝説のように語られ、通称ができてしまうほどです。そんな中、今回紹介するのは1996年の広島東洋カープの「ビッグレッドマシン」です。



1996年 広島東洋カープ 野手陣(ビッグレッドマシン)

野手陣

まず野手陣ですが非常に強力です。なにせスタメン8人が全員規定到達。2番の正田耕三以外OPSが7を上回っており、4番の江藤智はOPS1.047、7番を打つ金本知憲はOPSが.951と非常に高いものとなっております。
1番の緒方孝市は23HR放ちながら50盗塁を決めるなど理想のリードオフマンといってもいいでしょう。全体的に出塁率が優秀ですよね。出塁率.350以上の選手がスタメンに6人でチーム出塁率もこの年.350でリーグトップをマークしています。新外国人ではルイス・ロペスを獲得。こちらも大活躍を見せました。
しかも贅沢なのが代打陣です。控えには左の代打の切り札・浅井樹、右の代打の切り札・町田公二郎がおり、両者ともに勝負強さを遺憾なく発揮。正直他球団なら余裕でスタメンになれるところですが、こういう選手が控えにいるのもビッグレッドマシンの層の厚さを感じます。得点数は670とリーグ1位。盗塁数・盗塁成功率もリーグ1位。打率は.281とこれもまたリーグ1位をマークしたとんでもない打線でした。


1996年 広島東洋カープ 投手陣

投手陣

投手陣はエース・紀藤真琴が12勝を挙げます。ただ防御率はそんなに良くはなく(4.27)、ビッグレッドマシンの下支えもあった感じがします。この年はダイエーから加藤伸一が移籍。実は加藤はテスト入団だったのですが4/17の横浜戦で2年振りの勝利を挙げるとシーズンで9勝し、カムバック賞を受賞しました。しかし高齢化はちょっと感じるところ。紀藤と加藤は31歳で大野豊は既に41歳(大野は翌年に最優秀防御率を獲得するが)。若手のホープとしては2年目で11勝を挙げた山内泰幸、24登板の高橋建がいました。
抑えは佐々岡真司が担い防御率1.70、23Sを挙げました。


シーズン概要

ビッグレッドマシンを擁した1996年の広島でしたが5月に16勝7敗、6月は16勝6敗と大きく貯金を作り、2位巨人に11.5ゲーム差つける首位に立ちました。しかし7/9の巨人戦、エースの紀藤真琴が巨人打線に打ち込まれると、7月中にチーム内で風邪が蔓延。罹患した佐々岡真司に代わり山内泰幸が抑えを務めますがチームは低迷。昨年15勝を挙げたロビンソン・チェコも戦線離脱し投手層の薄さが露呈。8月は五分五分ですが8/30に絶対的4番の江藤が仁志敏久の打球を顔面に受け離脱。(前田智徳ももう既に離脱していた。)9月中盤には巨人に首位を明け渡し、そのまま巨人が優勝。これが「メークレジェンド」です。勢いを落とす広島は中日にも抜かれ結局3位フィニッシュでした。

1996年のセ・リーグ(3強1普通2弱感)

その後

投手力不足が目立った広島はこの年のドラフトで逆指名を使って青山学院大学の澤崎俊和、専修大学の黒田博樹を獲得。みなさんご存知の通り澤崎は翌年新人王、黒田は後の広島のエースとなりメジャーリーグでも素晴らしいを残すことになります。しかしそれと入れ替わるように12勝を挙げた紀藤真琴が翌年はわずか1勝。この時期の広島は投手陣のピークがかみ合わなかったのが痛かったですね。
翌年こそ3位になりますが広島は1998年から2012年までAクラスに入らないという暗黒時代に入ります。江藤は1999オフにFA宣言で巨人へ、2002年オフには金本知憲が阪神へ移籍するなど金銭面では勝ち目がほぼない広島にとって冬の時代が到来してしまったのです。


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