好きなもの 田中達也①

好きなもの サッカー、というか田中達也さん

「田中達也さん」なんていうのはよそ行きの呼び方だ。
普段は「達也」と呼んでいる。恐れ多くも今日は普段の呼び方をさせていただく。

達也の肩書はサッカー元日本代表。
帝京高校卒業後、浦和レッズに入団、アテネ五輪の代表、日本代表にも選ばれ、アルビレックス新潟で現役生活を終えた。
私は達也のおかげで人生が変わったといっても過言ではない。

達也との出会いは、高校2年生のとき。アテネ五輪が開催された年だ。
もともとサッカーは兄の影響で代表戦や五輪の試合くらいは見ていた。
そこで兄が「五輪予選で活躍したすごい選手がいる」と紹介されたのが、達也だ。
そこは女子高生のわたし、「かっこいい」というなんとも不純な、でも立派な動機で、彼を応援するようになった。

兄はプレイスタイルはさることながら、達也の人柄も称賛していた。
当時達也が所属していた浦和レッズから五輪予選に出場していた選手は、達也の他に、闘莉王、山瀬功治、鈴木啓太の4名。
しかし、五輪本戦の出場メンバーに選ばれたのは、達也と闘莉王の2名だった。山瀬と啓太は落選したのだ。
代表メンバー発表後の会見に、達也と闘莉王が出席した。そこで2人が来ていたのは、山瀬と啓太のユニフォームだった。2人の思いとともに五輪本戦に行く、そんな覚悟と達也達の気遣いを感じた会見だった。
兄からこの会見のすばらしさを熱弁され、「かっこいい」と「性格もイケメン」という刷り込みも行われ、ますますファンになった。

プレイスタイルは、というと、サッカーに詳しくないわたしには詳細に語ることはできない。専門的な話もできない。ただ、見ていてワクワクするのだ。完全に素人の感想だが、そう表現するしかできなかった。でも当時の達也を見ていたら、共感してくれる人は多いと思う。

五輪本戦の出場時間はわずかだったが、それでもワクワクした。そして、五輪が予選敗退で終わったのでわずか3試合しか見ることができず、もっと見たいと思うようになった。
当時、Jリーグ中継はNHKのBSや、BS-TBSでも放送されることが多かった。地上波で見られる試合もあった。その年の浦和は昨年のナビスコ杯優勝の勢いのまま調子もよく、上位争いのカードということで中継されることが多かった。おかげでわたしは、家のテレビで浦和レッズで活躍する達也を見ることができたのだ。

当時の浦和にはエメルソンがおり、エメルソンと達也のツートップは、これまたワクワクさせるプレイばかりで、見ていてただただ楽しかった。それ以上の見続ける理由はないだろう。おかげでわたしは浦和の中継がある日はテレビの前を陣取り、ひたすら達也を目でおいかける週末を過ごした。

その年、浦和はナビスコ杯は決勝で敗れたものの、Jリーグのセカンドステージは優勝した。「応援したら結果につながる」という成功体験をしてしまったわたしは応援に明け暮れる日を過ごすこととなった。

#浦和レッズ #田中達也

※記憶を頼りに書いているので、少々の逸脱はご容赦ください。


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