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You don't bring me flowers, anymore.

朝からずっと寺尾の往年の動画や記事や裏話が山のようにSNSにアップされるのを見ている。
昨日の夜、錣山親方が亡くなった。
同い年。
寺尾が活躍していたころが一番大相撲をよく見ていた。
胸が痛い。

今日は相方の祥月命日。
十三回忌。
先月相方の実家に戻って法事をしたので今日は特別何もしない。
彼は両親よりも先に亡くなったので法事はいつも実家で執り行ってきた。
その義母も8年前、義父は4年前に亡くなり、その後コロナもあってお墓へ参るのも4年ぶりだった。
雨予報だったが当日は晴れ、去年結婚したおにいちゃんのお嫁さんも一緒に来てくれた。
「苦労なさいましたね。早かったですか?長かったですか?」
「早かったですね。」
お坊様にはそう答えたが、どうだったろうか。
相方が亡くなった時のことを昨日のことのように思い出せる。
今でもキリキリと内側から体を引きちぎられるような気持になる。
いろんなことがあって、つらいこともたくさんあって、3年くらい毎日死にたいと思いながら暮らしていた。
でも、死ななかった。
こどもたちがいたからお父ちゃんのところに行こう、とはならなかった。
犬がいてくれたからどんなに嫌な目にあっても頑張ろうと思いなおせた。
「あと10年あったら. . .いや、5年頑張れれば. . .せめて1年. . .」
そう相方が思いをはせていた年月のさらに向こうまで、あたしは生き延びた。
お墓を拭きながら、ああ、あたしはここを目指してきたのだ、と思った。
(やっと約束を果たしたよ、あたしはやり遂げた!)

こどもたちを社会人にし、親を見送り、愛犬を見送り、諸々を整理して持ち家に帰ってきた。
でも、迎えてくれる人もなく、やり遂げたからと言って認めてくれる人も祝ってくれる人もなく、街はコロナ禍に沈み、あたしはやることがなくなってしまった。
褒められたくてやっていたわけではなく、放り込まれてしまった運命にあらがいながら、とにかくこどもたちを引っ張って何とか岸にたどりついたのだ。
全員無事に陸に上がって、さあ、祝宴だ!とはならなかっただけだ。
命がつながっただけでも感謝しければならなかったんだろうけど、あたしはつまらなかった。
戻ってきた場所に親や友人がいるわけでもなく、コロナで宴会をするわけにも旅行に行くわけでもなく、たった一人で頑張ってきたということは自分の苦労話を分かち合ってくれる仲間もいないということなのだ。
じゃあ、これからは一人自由に楽しもうかと思っても、あんなに熱中していたサッカーも応援していた選手たちが引退してしまい、老眼が進んで絵もあまり描けなくなり、病のせいで趣味だった料理や食べ歩きにも制限がかかってしまった。
今はもう傍らにたたずんで、いつも澄んだ瞳で見上げてくれた犬もいない。
(ここまでがんばってきた結果がこれかよ?)

あたしは60歳になった。
相方の十三回忌の法事を前に還暦を迎えた。
だからと言って何か変わるわけでもない。
年金保険料を払い終えられたのは支払期間の延長がうわさされる中では、まあ何とか逃げ切った、という感じだが、それ以外では60歳ぐらいでは割引もさほどないのがこの高齢化社会の日本である。
年々身体的不具合も増え、容貌たるやどんどん老け込んできている。
今年は特に自分が生きてきた中で影響を受けたり憧れたりした人たちの訃報が相次いでいて、もう自分もダメなんじゃないかと思う。
そこへきて今度は寺尾の訃報である。
勘弁してくれよ。
高齢化社会なんじゃないのか?
なんであたしの好きな人はあたしを置いていくんだ?
美人薄命なのか?
なんなんだよ。


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