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a new kid in town

結婚生活22年の中で7回転居した。
その間に子供3人に恵まれ、みんな保育園・幼稚園を2園、小学校を3校、中学校を2校と経験した。
あたし自身、パパの仕事の関係や自分自身の都合で結婚前までに12回ほど引っ越したので幼稚園2・小学校4・中学校1・高校2と渡り歩いた。

相方の最初の赴任地は北海道の地方都市で、とにかく天候があまりにも厳しく、美しかった。
親は経験したことのない大雪と雪国の生活にたいへんだったけど、こどもたちは雄大な自然とおおらかな人々に囲まれて楽しい生活が送れたと思う。
末っ子がまだ乳幼児だったし、親も地域に不案内だったので保護者活動もいろいろと配慮してもらえた。
あたしもできる範囲で行事等には末っ子をおんぶして積極的に参加した。
地域の役目も班長程度のことは順番が来た時にはやらせてもらった。
小さなコミュニティで、よそ者なりに貢献もしながら、疎外感を感じることもなく過ごさせてもらった。

あたしが地方社会とPTAの厳しい現実を知らされたのはその次の赴任地でだった。
その町の小学校は4年生になるときにだけクラス替えがある3年間同じメンバーで過ごすシステムだった。
転入した時点でおにいちゃんが5年生、娘が3年生。
新年度を迎えてもお兄ちゃんの方は担任もメンバーも変わらず、娘の方がクラス替え、というタイミングだった。
その頃末っ子は年中だったので園にお迎えに行き、その足で娘のクラスの懇談会に出席し、お兄ちゃんのクラスの方は欠席届と委任状を事前に提出しておいた。
その日の懇談会のメインテーマは新年度のPTA役員決めだったのだが、会則で未就学児が下にいる場合は免除されるということで、運動会の設営お手伝い係に立候補だけして無事帰宅した。
帰宅してすぐにお兄ちゃんの担任から電話がかかってきた。
「今年度の学級会長にお母さんが選出されましたのでよろしくお願いします。」
何を言われているのかわからなかった。
「下の子がいるのでと理由を書いて、欠席届と委任状を事前にお出ししておりますが?」
「えっと、そうなんですが、まあ、もう、決まったことですし. . . それからその後に開かれたPTA全体の総会もご欠席なさったので、学級会長会の代表にもお母さんが選ばれまして. . .」
「はあ!?」
あたしは人に向かって「はあ?」などという人間ではなかったはずなのだが、この時ばかりは大きな声で思いっきり聞き返してしまった。
「PTA会則には下に未就学の兄弟がいる場合は役員は免除されるとあるはずですが?それに私はこちらに転入してきてまだ1年もたっていませんから学校を代表するとか、無理です!」
「でしたらやはり懇談会や総会にはご自分で出席なさってできない理由をご自分でおっしゃらないと. . . 。」
「ですから委任状を提出しています。」
「委任状には決議には結果に関わらず賛同する、と署名なさっていますよね。」
「いや、待ってくださいよ、委任状ってそういう使われ方するんですか?」
結局担任相手に電話であーだこーだ言ってもらちが明かず「もうこれは決まってしまったことなのだ」ということだけはわかった。

これがこの学校のPTAだった。
何も知らなかったし、あたしが甘かったのだろう。
うちが引っ越しご挨拶に来なかったと町内会長からうちの大家さんが叱られたような土地柄だ。
会則などあってなきがごとしで、背中に乳飲み子を縛り付けて総会に出席し、なぜ役員ができないか切々と理由説明をしなければいけないのだ。
あとでPTA活動で親しくなったほかの役員の人によると役員はくじ引きで決められ、その人が「欠席の人は入れない方が良いのではないか」と言ったらクラスを仕切っている大地主の奥さんかなんかが「そんなことしたら欠席が増える。もう最終学年だから今まで役員やってない人は欠席だろうが委任状出してようがくじに入れる。」と言われたそうだ。

嫌なことは忘れる主義なのであまり細かいことは覚えていない。
元々こども達の役に立てるならボランティアなど積極的に参加したい方なので、もう腹をくくって1年間頑張るしかない、と思った。
振り返ってみれば全体代表としての活動はさほど苦ではなかった。
会議がたいてい夜なのはめんどうだったが、これ見よがしに子供3人を同行させ、「うちは転勤家庭で見てくれる人もいないし、こどもだけでは不用心なので♡」と会議室の奥で遊ばせ、けがをした時も包帯ぐるぐる巻きで足を引きずりながら「代わって出席してくれる人いないんで★」と出席した。
実は学級副会長と気まずくなっていたのだ。
新学期が始まり、最初の懇談会で思いっきり嫌みな新会長ご挨拶を披露し、その後新役員全体の顔合わせ会があったのだが、なんと小学校の体育館に
軽食と日本酒が用意されていたのだ!
もうびっくりして呆然としちゃったわよ、あたし。
で、その後二次会もあるっていうから副会長に「下の子どもがいるので先に帰らせてもらっていいですか?」って言ったら「だからやりたくなかったのに。会長の補佐してればいいだけだから、って言われたからやってるのに。」と泣かんばかりの勢いで、しょうがないから二次会にも行きましたよ。
ところがその翌日に運悪く実父の訃報が入りあたしは実家に帰省することになって、後片付けもあって2週間ほど不在することになったんだけど、その間はとりあえず副会長さんにお任せしたの。
まあ、その間に副会長から電話がかかってくること、くること、あたしも急なことで、しかも年度が始まったばかりで申し訳ないとは思ったんだけど、葬儀の真っ最中に「次の懇親会のお弁当の内容」についてかかってきたときは思わず「父親が死んだんです!」と電話口で大声出しちゃったわ。
そんなこんなですっかり副会長に嫌われ、あたしももう意地でも仕事代わってもらうまいって年度終わりまで何も頼まなかった。
でも、講演会の企画考えたり研修会で街のこと学べたのはためになったし、例の「子供に見せたい・見せたくない番組アンケート」とか(本当にやってるんだあ)って嬉々として「クレヨンしんちゃん」こそ子供に見せたいです!とかって記入するの楽しかったし、全体代表の活動はいい勉強になったと思う。

問題はクラスの方。
そもそもこいつらはあたしをはめやがったんだ、っていうスタートだったからあたしも敵意丸出しなうえ、あたしは知らなかったんだけど4年生のころからあまり仲の良いクラスではなく、とうとう6年生になるころには学級崩壊してしまったんだよ。
こうなると毎月のように「緊急保護者会」を開催して担任を糾弾したり、問題児の保護者をつるし上げたりと. . .正直まだクラスの子どもとその親の顔と名前が一致していないようなあたしには(知らねーよ!知ってたらこんなとこ転校してこねーよ!)としか言いようのない状況だった。
それでもなんとかお母さん方をなだめたり、担任を励ましたり、わけわからん会議内容をまとめたりと、意味不明な会議を何度もあたしの名のもとに開催したわ。
もちろん卒業式に向けてやらなければならないことも諸々あり、でもそんな雰囲気はクラスになく、でもなにもしないと「今年度の会長さんはなにをやっているのか!?」とやり球に上げられる日々。
もうね、トラウマになりましたよ、しっかり。
あとね、めっちゃ筋トレして、後ろ姿オールヌードで男に間違われるほど絞れました。
全大会で仲良くなった役員さん全員に「やせたわよね。クラスもめてるもんね。大変だったよね。」と言ってもらい、さすがに週3ジム通ってるとは言えなかったわね。

振り返ればあっという間で、よくよく考えれば子供の小学校最終学年に変な会長に引っ掻き回されてろくなクラスの思い出作り作りもできなかったお兄ちゃんのクラスメイト達には申し訳ないと思うわね。(でも君たちのお母さんたちが選んだ会長さんなんだよ~)
そんなにだれもやりたくない役員なんだったらと仕事を減らしたり作業の効率化を図ったりもしたけど、翌年にはすべて元通り。
そして次の年にはあたしたちまた転勤しちゃったからあのあとあの学校がどうなったかしらないわ。
引っ越すとき大ボス奥様から「せっかく頑張って会長なさったのにもったいなかったわね」みたいなこと言われたけど、(そういうことじゃあないだろう?)って心の底からこいつとは話にならんなと思った次第。

まあこれがあたしの経験した田舎のPTA怖いお話。
だいぶ頭が整理できたかな。
また書き足したり、改定したりするかもだけど、これがあたしのトラウマの原因でした。
次はこの経験を生かして今後どうするかを書いてみたい。






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