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劉智 天方典礼(1) 序文

劉智(1730年没)は清代のイスラーム学者。字は介廉、号は一斎。南京の生まれ。15歳で学に志して以来、8年間は儒学関係の書や雑家の書を読み、6年間はイスラームの経典、3年間は仏教経典、1年間は道教経典を読み、さらにはキリスト教の書籍も読み込んだという。
天方典礼は、いわゆる六信五行の五行である信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼や倫理道徳、日常倫理などイスラームの「礼」についての概説書である。

天方典礼
劉智

序文

私は亡き父の遺志を継ぎ、ついに『天方典礼』の漢語訳を完成させた。『天方典礼』は一般の読者が読むには大著なので、その中から重要な項目を選び、初心者向けに編集した。
編集において日常の実践の項目に重点を置き、『天方典礼要解』と題した。読者からはより読みやすくなったとの感想をいただいている。とはいえ、やはり初心者は理解できないのではないかと心配なので、基礎的な項目については章を設けて解説している。いくつかの章は『天方典礼』の原本からの完全な引用だが、他の箇所は別の資料を用いながら解説を行った。

『天方典礼』の解釈において、文の理(ことわり)は明確でも意味が分からない箇所があるため、そこについては加筆し意味の補足を図った。解釈の過程でそれでも意味が十分に明らかにならない場合は、新たに章を設け実際の意味の解説を行った。また『天方典礼』の文章には、何を言わんとしているかは分かるが、イスラーム学に詳しくない人にとっては分かりにくい箇所もある。その場合は、儒教の経典から対応するような内容を探して捕捉することで、人々の疑問を払しょくするように努めた。

本書で述べられている様々な儀式や儀礼はどれも日常生活に関わるごく普通のものだが、そこには天命の理が秘められている。生涯にわたって実践に努め、忘れることがなければついには天の理と一体になったかのような感覚を味わうことができるだろう。これらの実践はイスラームの書物に収録されているものではあるが、内容は儒教の典籍と大差はなく、イスラームの実践とは儒教における聖人の教えに従うことと同じである。
聖人の教えは東洋でも西洋でも本質的には同じであり、古今東西で変わりは無い。ただ東の地では後世の人々がその教えを受け継がなかったことで古の教えが軽んじられるようになっただけだ。幸いにも、イスラームではまだその古の儀礼の作法が保持されている。

本書はイスラームの起源に始り、イスラームの様々な側面を解説する。すなわり、天に至る道である五行、人間が守るべき五つの道徳、窮理の教え、修身、家族、国家、天下太平の法、ムスリムとしての生活規範、服装、食事など日常習慣などである。最後は結婚と葬儀の解説で終わっている。

本書は二十冊二十八章で構成されている。数は多くないが、内容は多岐にわたる。イスラームの全ての儀礼を網羅するものではないが、人生の指針として一生役立つであろう。

聖人曰く、儀礼は現世における人間の存立を定めるものである。礼と人間はいわば甘さと蜜のようなもので、蜜は甘くなければ蜜ではないように、礼こそ人を人たらしめるのである。人にとって、儀礼がいかに大事かが分かるだろう。

亡き父は、中国においてイスラームの儀礼が十分に理解されていないことを嘆いていた。彼は天方典礼を書きたかったのだが、その夢が実現する前に亡くなった。私は偉大な父のような才覚には恵まれていないが、父の跡を継ぐ志を立て、今まで学んだことを活かして父の願いを叶えたい。読者の皆さまも、イスラームの儀礼を自らの心と体で学び、自らの意思で実践されるとき、古の賢人の教えと、本書を訳し紹介したいという私の心からの願いに応えてくださることになるのだ。本書の構成、使われている言葉の適切さなど、専門家の方々が本書に目を通しご指導くだされば幸いである。

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