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ダルカーウィーの助言

 ダルカーウィー教団はシャーズィリーヤ教団と呼ばれるスーフィー教団の分派である。モロッコ出身のムハンマド・アラビー・ダルカーウィー(1823年没)によって創設された。ダルカーウィー教団はフランスやイギリスの改宗ムスリム・インテリ層にも浸透しており、彼らの思想の影響を受けたスコットランド出身のイアン・ダラス(改宗名アブドゥルカーディル・スーフィー)はイスラム国家再興運動「ムラービトゥーン世界運動」を組織。アメリカの著名なムスリム説教師ハムザ・ユースフもムラービトゥーン運動の元メンバーであり、ナクシュバンディー教団に並び欧米で最も活発なスーフィー教団の一つである。

『ダルカーウィーの助言』はダルカーウィー教団の基本的な教えをまとめたものとして有名である。

 アッラーの御許における全ての同胞、導師、求道の貧者たちよ、平安と、アッラーの慈悲と恵みがあなた方の上にあらんことよ。

 同胞よ、事の成り行きというのは他の何者でもない、アッラー唯独りの手の内にあるのだ。アッラーが望むならば、事は成され、望まれないならば、成されない。我々に降りかかった[苦難]によって狼狽えてはならぬ。このことを心にとめておけ。我々に起こったことは、アッラーの御許におわし、我々をはるかに超える力をお持ちである方々が経験した苦難に他ならない。その方々は我らの指導者である諸預言者-彼らに祝福と平安があらんことよ―とアッラーの親しき友―アッラーが彼らを嘉みし給いますように―である。

 ああ、私の愛する同胞よ、もし彼ら(預言者とアッラーの友)に降りかかったことのない苦難が我々に降りかかるならば、それは確かに我々を狼狽えさせ、不安にさせ、締め付け、震え上がらせ、恐怖に襲わせるだろう。しかし、我々に降りかかっている苦難は彼らが経験したことに他ならない。だからこそ我々は心を躍らせ、幸せに包まれ、安心するのだ。不安はいずれ消えよう。アッラーこそが我々が述べるところのものの権威であらせられる。

 知りなさい。私たちには我々の師匠、導師から受け継いだ知識がある。アッラーは[人間に宿る]この知識によって、我々の締め付けられた心を広げ、安堵を我々の胸に染みわたらせ、我々の弱さを力に変え、淀んだ絶望を清純な[希望]へと変えるのだ。

 預言者ムハンマドの足跡(スンナ)の上にしっかりと立ちなさい。このスンナこそがあらゆる苦悩からお前たちを守る砦、救済の船、様々な神秘、善なるものの原鉱なのだ。あなた方に確信が訪れる時まで―つまり、死が訪れる時まで―いかなる時も、スンナから逸れ、別の[迷いの]道に足を踏み外してはならない。アッラーは以下のように言い給う「もしお前たちが傷を被ったとしても、彼らも同じように傷を被っている」、「それともお前たちは、お前たちより以前に逝った者達に降りかかったようなものが未だお前たちに訪れていないのに楽園に入るとでも考えたのか。」(2:214)、「それともアッラーがまだ知り給うていないのに、楽園に入れると思っていたのか」、「忠義とは、自らの顔を[東や西に]向けることではない。そうではなく忠義とは、アッラーと最後の日、諸 天使、啓典、諸預言者を信じ、その愛着にもかかわらず財産を近親たち、孤児たち、貧者たち、旅路にある者、求める者達に与え、奴隷たちに費やし、礼拝を遵守し、浄財を払い、約束を交わした時にはそれを守り、困窮と苦難と危難の時にあって忍耐する者である。そしてそうした者が真実の者であり、彼らことが畏れ身を守る者である」(2:177)。

 タリーカの民の言葉も心にとめておけ。彼らこそ我々だけでなく他の同胞たちをも導く偉大なる師である。アッラーが彼らを嘉みし給いますように。また我々にも恵みを与えたまえ。二つ世において彼ら(導師)の祝福があなたがたにあらんことよ。アーミーン。

 また[導師たち]曰く「人は、試練によってその価値を上げるか見下げられる」、「峻厳なる御方によりもたらされる苦難を味わう前に優美なる御方を目にすることを望むものがいたならば、その者を拒絶せよ。彼は偽りの救世主である。」また使徒は教友のうちのある男に対して以下のように問いかけられた。「お前は均衡を保てているか」。男が「使徒よ、どうやって均衡を保つのでしょうか。」と問い返すと、使徒はこうお答えになった「与えることと、与えないこと、威厳と卑下、富と貧困、生と死、高さと低さの[間に]均衡はある。」

 同胞よ。スーフィーとは、あらゆるものの価値に囚われず、持たざるものであるからといって絶望することなど決してない。これこそが他の誰でもなく、我々が述べる言葉である。ムハンマド・ブザイヤーン師-アッラーが彼の恩寵を我々に与え給いますように―は以下のように仰った。彼にある者が「アッラーよ、私にラクダを与えたまえ」と言うと、ブザイヤーン師は「アッラーにこそ称賛は属す。ズフルの礼拝もアスルの礼拝も逃さずに済んだ」と言った。またある者が師に「王があの先生やその先生を審問し、財産を取ってしまったそうです。あなたは王を恐れないのですか」と問うと、師はこう答えた「畏れはアッラーに対してのみ。水と[マッカを指し示す]キブラは[アッラー以外]誰もこの世から消し去ることなどできぬ。残りは、望むものに残されたものだ[からくれてやれ]。」その他諸々[の言葉]は偉大なる確信の民―アッラーが彼らを嘉みし給いますように―のものである。彼らが受けた恩寵があなたがたにもあらんことよ。

 例え果物半分でもよいから、毎日、毎晩、施しを忘れないように。祈りもまた同様に。なぜならそれこそが崇拝の賜物なのだから。偉大なるクルアーンにあるように、「言え、もしお前たちの祈りが無ければ、わが主はお前たちを気にかけ給わない。」(25:77)

 あなたたちの望む場所に行きなさい。どんな者であれ彼の行くべき場所に行くべきである。我々は皆、アッラーの手の内にある。平安あれ。

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