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ぬるいコーラ、デニーズの看板、陶でできたひよこの置物(日記)

 私はおばあちゃん子だった。いや、おばあちゃん子だ。今までもこれからも、おばあちゃんのことが大好きだ。

 おばあちゃん――と書くとなんだかちょっとしまりがないというか、甘ったれたかんじが出てしまうので(ヘヘ)、以下、祖母、と表記しようと思う。

   祖母は、詳しくいえば母方の祖母は、私が十七歳の高校二年生の時に肺癌を患って亡くなった。

 私は難儀な子どもだった。そしてその難儀さをずるずる引きずって、今ではすっかり難儀な大人になったように思う。家族との仲があまり良好とは言えなかったので、しょっちゅう祖母の家に転がり込んでは構ってもらった。でも、家に帰りたくないのだと言うと心配をかけてしまうと子供心に思って、本当の気持ちは一度も口に出さなかった。

 祖母は、私が小学生の時に祖父を亡くし、それ以来高齢者向けのマンションの一室で一人暮らしをしていた。

 今でも鮮明に思い出せる。

 美しく整頓されたあの部屋。レースのカバーのかかった鏡。薄い水色の扇風機。ぺしゃんこだけれど良いにおいのする布団。かぎ針編みで作ったクッションカバーに、病院の予定が細かく書き込まれたカレンダー。よくわからないお菓子がたくさん供えられたお仏壇と、知らない誰かが大勢写る集合写真。

 祖母は厳格な人だった。言葉遣いや礼儀が不作法だととても厳しく叱られた。一度、私が靴を揃えずに家に入って、案の定叱られた際に「本当は嫌われたくないからこんなこと言いたくなんだよ」と、悲しそうな顔をして言っていたのが印象的だった。その出来事以来、私は祖母の前ではきちんと振る舞うようになった。礼儀作法がどうというより、祖母を悲しませるのが嫌だった。

 祖母は厳格だけれど愛情深く、私のことをとても、それはもうとてもとても大切にしてくれた。胸を張って言いきれる。私は祖母に愛されていたと。そして、祖母があんなに愛してくれたからこそ、私は今でも二本の足できちんと立って生きていられると言っても過言ではない。

 美しく筋の通った清潔な大人に愛された記憶というのは、ものすごく大切だと私は思う。ここでいう“清潔な”というのは身だしなみのことではない。魂が清潔な人ということだ。これはまあ、でも、自分でも上手く説明できないので、なんとなくで感じ取っていただければそれで良い。

 あの幻のような二人での生活の中、祖母は私のために、いつもコーラを買い置きしていてくれた。子供は皆コーラが好きだと思っていた節がある。まあ、実際に好きではあったけれど。しかし祖母は、それを冷蔵庫には決していれず、常温で保存しておくのだ。ぬるいコーラなんておいしくないに決まってる。でも祖母は、「冷たいものを飲んでお腹を壊したらどうするんだ」と、病に倒れる直前、私が高校生になった時までずっとそう言って聞かなかった。

 祖母の家にはいわゆるキャラクターグッズのようなものは一切なかった。そういった類に興味を惹かれない性質の人だったのだ。でも、私が幼い時に好んで使っていたキティちゃんのコップと、それから、私が気まぐれに百円ショップで買ってプレゼントした陶製のひよこの置物だけは、亡くなるその時まで律義に手元に置き続けてくれていた。あの、ほとんど色のない、不自然なほど整頓された部屋の中で、切って貼られたように存在の浮いたキティちゃんとひよこのことを思うと、今でもちょっと笑えてくる。

 祖母の家はマンションの三階に位置し、夜になると少し離れた所にデニーズの看板が煌煌と光るのが見えた。祖母は夜の十時にもなるといぐうぐうごおごおといびきをかきながら眠りについてしまう人だったので、私は祖母を気遣い電気を消して、暗い部屋の隅でカーテンをそっと開き、デニーズの明かりをぼうっと眺めた。そうしているのが好きだった。デニーズの黄色の看板は、ここにいれば安全だと教えてくれるようで、夜の静寂の中でその明かりを見つめていると泣きたいくらいにほっとした。

 祖母が死んだ朝、私は十七歳の子どもだった。

   病室で、母に「おばあちゃんの家から、遺体に着せる服を持ってきて。遺体はこのまま葬儀屋さんに持って行ってもらうから」と言われ、覚束ない足取りでふらふらと祖母が暮らしていたマンションの一室に向かった。ちょうど、通勤通学ラッシュの朝の時間だったので、今から仕事や学校へ向かう人たちの波に紛れて、遺体に着せる服を選びに行く自分の異質さが奇妙に思えた。

 長く入退院を繰り返していた祖母の部屋はうっすら埃が舞っていて、そしてそれが朝日に照らされきらきら輝いて見えて、私はその光景を目にしたときはじめて、ああ、もうここにもうおばあちゃんが戻ってくることはないんだなあ……と思い、呆然とその場にへたり込んでしばらく動けなかった。あの時の、「置いていかれてしまった」という絶望感と悲しさを、今でも時折思い出しては叫び出したいほど悲しい気持ちになる。そしてそれが、親しい人と死別するということなのだと、生まれてはじめて思い知った。

 私はその後しばらくして家を出て、一人暮らしをはじめた。祖母の家にあったケトルを貰い受け、それは今でも大切に大切に使用している。家の窓からデニーズの看板は見えないけれど、少し離れた所に電車が通っているから、耳を澄ますとカタン、カタン、と線路の軋む音が聞こえて、その音を聞いているとほっとする。

 私は私の人生を歩み始めている。祖母の家に転がり込んで構ってほしがった幼い自分はもうどこにもいない。 

   それでも、たまに思い出す。

 冷蔵庫の前に追いやられるように置かれたコーラという絵面のまぬけさ。眩しく光るデニーズの看板。どこかよそよそしいキティちゃんのコップと、ひよこの置物。

 何かきらめく言葉を貰ったわけでも、目に見えて価値のある希少な贈り物をもらったわけでもないけれど、そういうものを思い出す度、愛されていたという事実が私を包んで、もう全部大丈夫だという気持ちにさせてくれる。

  そしてそういう、胸にぽわんと浮かぶ光の玉のような記憶は、生きていくうえで何よりも大切なものなのかもしれないな、と、祖母から譲り受けたケトルでお茶を沸かしながら、そんなことを思うのだ。

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