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やっぱり神はサイコロを振らない

久しぶりに、短めの投稿。
「神はサイコロを振らない(さいころ遊びをしない)」これは、かのアインシュタインが、量子論における物質の不確定性原理に反論するために使った言葉ですね。

この言葉にはいろいろな解釈がありますが僕は「観測するまではどこにあるか分からないとか。だから確率的にしか解釈できない」という量子論を否定的にとらえた発言と解釈しています。

ニュートン物理学では、例えば大砲の弾を敵陣に向けて撃ちこむ場合、このとき、弾の初速度、発射角度、空気抵抗値等等、関連するあらゆる物理量がもしわかっているなら、「理論上」は弾の着弾点は100%の精度で予測できます。これは、条件が全く同じなら何回繰り返しても弾の着弾点は変わらないということです。(あくまで計算上)

しかし量子論では、実験を始めたときには実験結果がまだ”決まっておらず”、結果を”測定”した瞬間に結果AになるかBになるかなどが”確率的”に決まる、という現象が起きます。
有名なのは「シュレディンガーの猫のパラドクス」ですね。
ある種の毒ガスが発射される装置が入った箱の中に猫を入れる。その毒ガスが噴霧されるかどうか、つまり猫が死んでいるかどうかはふたを開けてみるまでわからない。ということです。ちなみに割りと勘違いしている人が多いのですが、シュレディンガーはこのパラドクスを例えに、アインシュタインと同じように確率論を否定しています。
シュレディンガーは「ふたを開けるまで猫の生死はわからないのだ」ではなく「ふたを開けるまで猫の生死がわからないとでもいうのか?」という疑問を投げかけたのです。

まあちょっと横道にそれましたが、この量子論を先ほどの大砲の実験に重ね合わせると、「条件が確定していれば砲弾は同じ場所に弾着する」ではなく、「砲弾が弾着した瞬間にどこに弾着したか決定する」ということです。

感覚的には非常に分かりにくい理論です。
観測したときにはじめて物質の位置が決まる。
それが量子論です。

アインシュタインは、確率で物質の振る舞いは変わらない。
といった否定を込めて「神はサイコロを振らない」と発言しました。

僕はこれを間違っているとは思いません。
もちろん、電子の世界では、次の瞬間それがどこに出現するか、現在は確率でしかわかりません。決まった振る舞いをしません。
観測した瞬間、その位置が決定するのも事実です。

だからと言って、神がサイコロを振っていると言えるのかどうか。
それは確率で決まっているのではなく、我々がまだ発見していないある種の物理法則によって、確率的でなく確定的に決まっていたとしたら、やはり物質は確率的なふるまいではなく、確定的なふるまいをしていることになります。

現段階では、神はサイコロ遊びをするのかもしれませんが、数年後、週十年後、「やっぱり神はサイコロを振らない」と、再びアインシュタインの言葉が脚光を浴びる日が来るかもしれませんね。

「あなたが月を見ていない時、そこに月があるかどうかは不確実である」もちろんあんな巨大なものが存在しないなんて考えられませんし、アームストロングの足跡もある。それでも、観測者が観測していない時、本当に自分の後ろにあるものが存在してると自信を持って言えますか?
それが現代物理学の拡大解釈です。

この領域まで来ると物理学はすでに哲学の領域に突入していますよね。

僕が生きているうちに解明されることはないでしょうが、人間がどこまで解明できるのか見てみたいですね。

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