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世界の広さと私の生きづらさのこと

学校にいてもアルバイト先にいても、社会人になっても友達といても、生きづらいと感じるのは何故だろうと長年思ってきた。
同時にきっとみんな、そんなものだろうとも思ってきた。
生きていれば何かしらの苦労がある、少しはストレスがないと人間は生きられないと心理学の授業の先生が言っていた。私だけが苦労しているわけではない。

ところがSNSが普及し、何者でもない一般人の同世代の女の人の生活を見ると、私よりもずっと楽に生きている人がたくさんいるような気がしてきた。

もちろん、その人たちにだって苦労や困難はあるだろう。

だけど、それにしても、私の苦労、多くないか?と思うようなった。
 
自分なりに色々と調べた結果、インターネットの簡易的な診断ではアダルトチルドレンというものらしい。


アダルトチルドレンという言葉から、子供っぽさが抜けない大人を指す言葉だと思っていたが、そうではなく、子供の頃になんらかの心理的なトラウマを与えられ大人になり、何かしらの生きづらさを抱えている人をさすそうだ。

私はいわゆる毒親育ちではないが、客観的に見ても歪な環境で育ったなという実感はある。しかし、ありがたいことに、三食きっちり与えられ、しっかり教育も受けさせてもらい、お金に困ることもなく(過剰に甘やかされ贅沢でもなく)育ててもらった。

このような身分で、私はアダルトチルドレンだのなんだのと言っていると本当に大変な思いをした人からは呆れられるのではないかと思う。だが、私の生きづらさの原因とぴったりと当てはまっているのだ。

暴力をふるう、食事を与えない、学校に行かせない、清潔な暮らしができない、介護をさせる、という行為ははっきりと目に見えて、子供の生きる権利を奪っている。

しかし、精神的な支配かどうかの境目は難しい。
端からみたらどんなに理不尽なことでも、「あなたのためを思って言っている」という魔法の言葉を言われてしまえばそれまでだ。

私はそういった面では、やはり親から精神的な支配を受けてきたし、今でも受けていると感じる。
 
自分がアダルトチルドレンだと気づいてしまった以上、少しずつ向き合って改善していきたいと思う。

くらいのパトロンになりたいという奇特な方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いします。その際には気合いで一日に二回更新します。