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FISHMANSを聴きながら(前編)

新しい小説が毎年、毎年、たくさん世の中に出ても、すでに夏目漱石が恋愛も青春も葛藤も、大抵のことは書いてくれているなぁと思う。

だからといって、他の小説を読まなくていいというわけではなく、すでに100年前の夏目漱石がだいたい言っているということが言いたい。

同じように、FISHMANSがだいたいのことは歌ってくれている、と思う。

その音楽を知ったのは2016年の夏。
奇しくも婚活を介してである。

その頃アプリにも少しずつ慣れて、やりとりをしていくなかで何人かに実際に会った。
つまらなくもないが、楽しくもなかった。楽しそう、と思う人とはなかなか仲良くなれずにいたというのもある。

なにか、突拍子もないような楽しいことがほしい、夏なんだし。

ちょうど、その頃メインでやりとりをしていた男性が、建築やデザインが好きだと言う。
色々とメールをしているうちに、運転するのでなにか建築を見に行きましょうという話になった。
お互い、ひとりで美術館以外の図書館やホールを見に行く建築好きだということは知っていた。

「ドライブがてら、美術館に行きましょう。その途中にも有名な葬祭場があるので行きませんか?」

日本には伊東豊雄が作った瞑想の森 市営斎場や、NAPの中村拓志の狭山湖畔霊園があることは知っていた。

その時、彼が提案した葬祭場も世界的に有名な建築家が手がけていた。

初デートに葬祭場。おいおい、最初からアクセル全開ではないか。

偶然電車で出会った男女がウィーンの街を一晩中歩きながら話続ける映画、『ビフォアサンライズ』でも墓地は歩いているけれど、さすがに葬祭場ではなかった。(その墓地もドナウ川の事故で亡くなった人のための名もなき者たちの墓地という、なんとも詩的な場所である)

葬祭場の(建築の)見学。調べてみると、利用していなければ自由に見学できるそうだ。しかも、国内外から見に来る人がいるらしい。とはいえ、初対面でこのデートを取り付けるっていったいどんな人なのだろうか。

暑い夏の日だった。

なんとなく気持ち的に全身黒っぽい服装で、待ち合わせ場所へと向かった。

そこには普通のお兄さんが普通の車でやってきた。

葬儀、やってないといいですねなどと話ながら、車は高速道路を軽快に走っていく。田舎の山道の途中に、それは、ぽつんとあった。

運よく、見せてもらうことができた。写真も可という太っ腹建築。

待合室は明るい空間、というわけではないが静かで落ち着いていて不思議と怖さはあまりなかった。シークエンスと呼ばれる部屋から部屋に移るときの空間の見せ方のようなものがすごいと、彼は言っていた。

私はそこまでの専門的なことはわからないので、好きなデザインの階段があったので階段の写真をスマホで撮った。

さすがに火葬するところは、コンクリートに光が射していて怖かった。

弔いのためのモニュメントのようなものを見た。本来ならば水が張られているのだろうけどすっかり枯れていて、クモの巣がはってしまい、残念なことになっていた。

こんなところで火葬されたいなぁと彼は言った。私は取り立ててそうは思わなかったけど、そうですねぇと言った。

そのあとは美術館や図書館に行った。このデザインを成立させるのは難しいんだよなどと、私の知らない建物の見方を色々と教えてくれた。

帰りの車のなか、なんだかふわふわした音楽が流れている。浮遊感がある音だとしか言いようがなかった。

FISHMANS、いちばん好きなバンドなのだと彼は言った。

なんの曲かは覚えていないけど、強烈な懐かしさを感じた。

また、どこかに建築を見に行きましょうとお互いに言いあって別れた。

どうしてもFISHMANSの音楽が忘れられなかった私は家に帰らずにカフェで調べまくった。そうすると、私はすでに『人のセックスを笑うな』という映画の中で出合っていたことに気づいた。 

あの、なんともいえない切なさの残る音楽はFISHMANSだったのか!!その映画では女性ボーカルだった。それも確かに映画にぴったりと合っていていいのだが、本家はまた別の良さだった。

それから、次回のデートを楽しみにしながら、TSUTAYAで適当に借りてきたFISHMANSを何度も聴いていた。こんなに素敵な音楽が好きな人なら、掘り下げればもっと素敵な人にちがいないという恋愛ならではの盲目モードに入ってしまっていた。 

(長くなったので後編へ続く)

くらいのパトロンになりたいという奇特な方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いします。その際には気合いで一日に二回更新します。