幸せとはなんだろうか

幸せの定義とはなんだろうか。
人それぞれとはよく言うけれど、私の場合は他人と比べて自分がどの位置に立っているかで「幸せ」を測っているように思う。あの人よりは幸せだとか、あの人よりは不幸だとか、そういう他人基準。
あまり良くない測り方だとは思う。他人がどうあれ、自分が幸せだと感じていればそれは幸せなんだという考え方の方がずっと合理的だし、楽な生き方だと思う。でも私にとってそれは理想でしかない。なにをどうしたって他人と関わっていくことが“生きる”ということだと思う私にとって、幸せの基準は他人と比べることでしかない。

私は今、そんなに幸せじゃないと思う。
不幸だという程ではない。

仕事はあるし、明日、明後日食べていくことに困らない蓄えもあるし、困ったら頼れる両親も、それなりに話を聞いてくれる友人もいる。会社の人間関係もそんなに悪くないと思う。
けれど、私は少し前に人事異動で慣れない職場に変わり、通勤時間が倍以上になった。世の中はテレワークを推奨していて如何にして他人と関わる時間を減らすかを考えなくてはならないご時世だというのに、私は毎日電車とバスに一時間以上揺られて通勤している。感染リスクが高すぎる。どう考えても納得のいかない人事異動に会社を辞めたくなったが今のご時世、辞めたところで行き場がないので飲み込むしかない。会社の給与も仕事量の割には安い。通勤時間を含めると拘束時間は1日13時間ほどだが私の手取りは交通費などを抜くと12万程。他人と比べてしまう私はこの薄月給に泣きたくなる。大学生の初任給の平均金額を大きく下回っている。もう4年も勤めているのに。

悲劇のヒロインになれるほど不幸ではないけれど、100人が今の私を見て100人が皆私になりたいと思うほどに幸せな訳でもない。

でもまあ、人は幸せそうに見えても実際はそうじゃないことだって沢山あるんだと思う。まだ記憶に新しい自ら命を断ってしまったあの人だって、私から見たら十分に成功者でこの先の幸せだって確約されていたようなものなのに、自ら明日を手放すほど苦しかったんだと思うと幸せかどうかなんて他人が決めるものじゃないんだと思う。結局は自分、自分がどう思うかなんだろう。

幸せとはなんだろう。
お金があることか、変わらない明日があることか、語り合う仲間がいることか、五体満足でいられることか。その全てなのか。全て違うのか。

私は満たされているときだと思う。何で満たされているかはその時々によって違うけれど、こぼれ落ちて行くもののほうが多い時人は不幸を感じて、こぼれるものより満たしてくれるものの方が多い時、人は幸せだと感じるのではないだろうか。
心が満たされると言う表現があるけれど、その表現を借りるならば心は器で、その器にはふとした瞬間穴が空く。基本的には常に何かが器を満たしてくれてはいるけれど、その量が少なければ器が満たされることはなく、挙句にふとした瞬間空いた穴から満ちていたものがこぼれ落ちていく。全てこぼれてしまえば絶望に、こぼれ落ちる前に穴を修復できたならまた満たされる。
私の穴はまだ小さい。だからまだ大丈夫。きっとすぐに穴は埋められる。きっと。きっと。

最寄り駅に着くまでまだ15分はある。少し目を閉じよう。

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