命が軽視されている

自分の命が軽視されている。死んでも仕方が無いと思われている。

そう思っている人がいることの、なんと悲しいことか。虚しいことか。そんなことはない。そんなことはないのだけど、ここで私がいくらそう言ったって、その人はその思いを変えることは無い。私はその人の生活を劇的に変えるなんてことは出来ないし、私が嘆いてもその人には変わらない明日がやってくる。絶望に満ちた明日なのだろう。自分が大切にされていないと知るなんて、悟るなんて、そんな酷いことがあるか。

私は本当に無知で、どうしようもなく流されるだけの人間だ。でも平和を願うくらい許されるだろう。皆が穏やかに、明日を心待ちに出来るように、今日を過ごせますように。そう願うくらい許されるだろう。

そりゃ私は聖人じゃない。怒ることだって、苛立つことだってあるけれど、私の怒りや苛立ちなんて今はちっぽけだったと思う。数ヶ月前、私は上司のやり方に苛立っていたけれど、上司は別の部署に異動になったのでもう私の道を横切るものはいない。私は私の力で進むだけになったので、私の成果をもう人のせいに出来なくなった。そうなってみるとあの苛立ちがいかに小さくて、そんなに苛立っている暇があるなら見返すだけの力をつけておけと今なら言える。

話が逸れてきたけど、そもそも何かを書きたくてnoteを開いたわけじゃない。noteを始めた時と同じ、吐き出したいことを吐き出しに来ただけ。

私は聖人じゃない。けれど私の目に入る全ての人の心が穏やかでありますように。そう願っている。明日は今日よりもマシになっていますように。

今私に出来るのは家から出ないことだけだ。

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