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縄文の歌人(第1稿)

平成十九年(2007)

アパートの間より上がる小花火淡き饒抱きしめてをり
サッシュより忍び込む温き湿気台風一過独り寝る夜に
児はゲーム少女はメークの電車内我も打つなり携帯メール
一日を千五百キロカロリーと吾の決め暫くは電卓傍らに食む
あな愛し小窓を濡らす霧雨の彼方に輝く東京タワー
秋天の陽ざしは清き水底の子鯉の群れを優しく照らす

平成二十年(2008)
包丁音と中国語行き交点厨房より姑娘現れ餃子を運ぶ 
五輪開催を国隆の証と誇る中国に半世紀前の日本重なる
課題多き国の槌音高き工事場にだるくたなびく五星紅旗
日中の政治家の思惑ともかくも若者は歌ふ日本的動漫歌
スモッグの層を抜けきてやうやくに北京の青空わが旅の帰路
窓越しの女と三度眼を交はす並走電車抜きつ抜かれつ
マンションを映して寒き早渕川鯉はねあがり川面を乱す
刈りし田に小春の陽射し藁を焼く煙一筋濃尾平野に 
眼閉ぢアステカ想ふか親子ミイラ二十一世紀の博物館にて
口腹の慾も乏しくなりにけり減量もはや二ヶ月を数ふ
木枯しの吹き渡る橋を我急ぎ老婆一人を追ひ越して行く
人そして音も行き交ふ渋谷駅立ち尽くす我もスクランブルの中
母を亡くし父を介護の君の肩を師走の氷雨が優しく濡らす
三十年会はざりし友と酌み交はし思ひ出語り合ひそして別るる
凜として川面動かぬ鶴見川冬枯れ並木逆さに並ぶ
葉を落し寒さに耐へし大銀杏春の陽気をひたすらに待つ
施設にて新年迎へし母の部屋に「希望」の書き初め貼りたるをみつ
眠らむと明かりを消して天井にこの日の残像映らむとする 
心なしか人黙しがちに空見上ぐ雪舞ひ上がる渋谷交差点
この場所は立ち去り難し悲しみを眼に貯め子らにみられゐるゆゑ
この街のひとも車も雪の朝は臆病になりて心うつむく
床の上に頬をおしあて酔ひ覚ます未明の月の視線冷たし
リビングのテレビに拝む軽き時代朝の銀富士夕の金富士
かの夏の首据わらざりし乳飲み子が母になりしか如月の春
新聞の掘り込まるる音のしていつもの朝が蠢き始む

平成二十一年(2009)
この街に降りくる雨の億兆の暗渠に落ちて地下を奔るか 
景観のためと称してこの川は地下に潜りぬ五輪の年に 
物言はぬ闇の向かうの君かつて田圃うるほし子らを遊ばす
この川もまだ生きてゐるや日の差さぬ水の澱みに鰌が一匹
陽光は確かに秋の長きものされど大気はいまだ夏を抱く 
桜色に水面を染むる千鳥ヶ淵花びらの散る君の肩にも
桜愛で歩き疲れて小料理屋一献の酒花びらを朋に 
花散らし緑を纏ふ里山の萌え出づる力この時季のもの
傘布を打つ雨音の響き軽し銀座に買ひし虹色蝙蝠傘
花は花実は実となりぬひととせに再び現るる力ぞ不思議
花散らし僅か七日の桜木の萌え出る葉の力頼もし
背後より靴音来り香水の匂ひ残して女過ぎゆく 
木も岩も人慣れのせぬ峡谷を汽笛響かしトロッコ登る
冬に花夏に実をなす枇杷の木が鴉の子らの胃袋満たす
新緑の瞳せる匂ひを肺に入れペダルを漕ぎて堤防をゆく
音そして文字の力も及ばざるかモーリス・ベジャールの肉体言語に
「これが死か」今冥界のベジャールの眼に映りし光景知りたし
水茄子の茶漬けの塩味はあの夏の記憶とともに舌に沁み入る
資源国に富の移転は加速され酒場通ひの我が足鈍る
掘削の工夫悩ましし地の熱かこの湯をもちて我が足癒す
降る雨の傘越しに咲く紫陽花の記憶の向かうに朧げに咲く
あぢさゐの花咲き染る通学路此の花の香に思ひ出づる事あり
日の入りて子らの来らぬブランコを飛びては遊ぶ一羽の鴉
廃校になりて久しき校庭の棕櫚は今なほ丈を伸ばすや
平積みの『蟹工船』を手にとれる茶髪男児のピアスの光る
咲いてまた散りゆく花火を乳飲み子の眼に映し母の抱けり
灼熱のアスファルトの上飛び跳ぬる二羽の烏の喉の赤し
八年の八月八日の午後八時この時中国は世界を抱きぬ
燃ゆる聖火見つむる人ら「近代の超克」といふ言葉想起せり
ゴーグルに電光映す北島を「四金蛙王」彼の民は呼ぶ
初めての説法を聴く幼女の背を張り眼は瞬きをせず 
磐梯の朝霧吸ひし白き蕎麦の花より生まる水玉の露
会津線山並みおぼろに濃く淡く列車は過ぐる緑の回廊
用水に迷ひ込みしか緋目高の前に進まず後ろに退かず 
ふと耳を澄ましてみれば聞ゆるは女の声のみ通勤車内は
この街に降りくる雨の億兆の暗渠に落ちて地下を奔るか 
景観のためと称してこの川は地下に潜りぬ五輪の年に 
物言はぬ闇の向かうの君かつて田圃うるほし子らを遊ばす
この川もまだ生きてゐるや日の差さぬ水の澱みに鰌が一匹
陽光は確かに秋の長きものされど大気はいまだ夏を抱く 
山里に日の入り早し菜の畑のとんぼの群れはいつしか消えぬ
終電の多摩川渡る音かすか パソコン打つ手のしばし留まる
黄葉の道の彼方の絵画館に急ぐ少女の赤きマフラー
朝月を浮かぶ水母とみしままに機体は沈む暗き地界へ
草に寝て雲なき空をただ見つむ青きことのみ思ひ浮かべつ
人けなき温泉街の街灯の湯気の虹の輪冬の近づく
消去ボタン三度押したり過去となる今年逝きにし友を偲びつ
霜を踏み長坂登る南部馬のま白き息は吾の手温む 
振り返り吾を見据うる自画像のセザンヌの眼の光にたぢろく
けふはまたいかなる富士か冬晴れの家出づる間の朝の軒先
夢は時に記憶の瓦礫に灯を点す幼き吾は海に沈みゆく
黒潮の路を辿りて着きしかや伊良湖の浜の小さき藻玉は
陽の高き宮古の浜に鳴るラジオに台湾歌謡の声の流るる
霧に濡れ街灯映す石畳我が影淡く幾重ひろがる 
平成元年一月七日其の日午後ゲレンデは曇りて雪の湿りぬ
この前に立ちにし吾は十五歳再び見るグレコの「受胎告知」を
モネピカソマティスの前に絵を描く倉敷の子らの顔の眩しき
太々と山伏の読経ここに満ち護摩の煙は高く広がる
浅間より未明に吹きたる火の灰のはや朝我のベランダに降る
地下鉄のきざはしを抜け地の上の水天宮へと参道を行く
温かきカフェオレ口に含みをり時慈しむ君再入院を前に
孫に抱かれ終を迎へし老画家の家の屋根なるあまたの氷柱
内宮の荒祭宮は人まばら神職の木靴に春の風吹く  
並び立つ杉木立ゆくおもむろに見あぐれば春の風の騒ぎぬ
ほのぐらき隧道抜けて梅匂ふ春日の中に一歩踏み出づ
日の入りて汽笛の海ゆ響ききてかもめの声のかそけくなりぬ
春されど草萌え遠し千石原弥生の雪の森に降り積む
杉木立聳ゆる方をみあぐれば北に向かひて白鷺の飛ぶ
菜の花の咲く丘くだり桜木の花咲き匂ふ小径に出たり
押し黙り育児書を読む孕み女の傍らに若きら眠り装ふ
夜の明けて東方の窓開けみれば漁より帰る釣り舟ひとつ
四万倍とふナノの世界に色のなく瓢虫は足に吸盤持てり
菜の花と桜咲き盛る境目を紋白蝶は波描き舞ふ
乾く田に水ゆき渡り日々に蛙啼く声重なりていく
新緑の葉と葉が交はす風の音梅雨の兆しや曇りの深く 
サイダーのグラスに再び来し街を映して遠きあの日を眺む
若き日の想ひ手繰ひもすがらエリック・サティを聴て微睡む
少年の成れの果てなる鏡面の吾に今宵も乳液摩り込む
長雨は夕べにやみて帰り路の靴音しげき駅のきざはし
池に降る雨静かなり水際の菖蒲は近く咲く時を待つ
ささの葉の滴飲む様の人に似て蠅取蜘蛛の仕種かはゆし
脱皮とふ感覚いかにか庭先の雨を吸ひたる蛇の脱け殻
タフであらむと気負ふ君の今朝を行く学級とふ黒きコスモスに
君らしき送別の流儀か吾の名と同じラーメン宅送せしは
雨にそぼち道に張り付く紫陽花の花びら踏みてきざはし登る
宿坊の音なき中に一人居りけふも雨かと呟きにけり
雨のやみ夕陽に障子照らされて音なき部屋のひととき染まる
日蝕を仰ぎせはしきその側を貝殼骨の少年の行く
海の見ゆと呼ばれし丘の対岸の倉庫の上は飛ぶ鳥もなし
誰もゐぬスクランブルの真ん中に烏とまみゆ渋谷午前五時
夏富士に湧きいづる雲を下にみて成層圏は澄み渡りけり
鍵をかけ一人あとにす故郷の庭にはや鳴くつくつくぼふし
ひと夏の命の重さか手のひらに湿り残したる蟬の脱け殻
手渡しに玩具を呉るる小さき手の神のごとくに吾に愛与ふ
屋根裏に置きさらしたる運動靴あの日の吾の忘れ来しもの
雨の止み蟬のまた鳴く夕まぐれ友葬り来し街を歩みつ
電車待つ足元の影長く伸び鉄錆のにほひ仄かに流る
河口に浮かぶ水母におのが身の中の危ふさ思ひ浮かべつ
屋上に陽の長くさし吾が影は病みたる人の傍らに添ふ
木々群れて木洩れ日乏し山坂のわが影のなき落葉を踏む
眼下の街に花火上がりて束の間の眠気払われ中央道を行く
この家に六十年経て再びの囲炉裏の炎静かに燃ゆる
足裏の硬きは母より継ぎしもその母もまた祖母より継ぎし
訪ふたびに道路の増えて刈小田に声を落として蟻峰の鳴く
面接官吾への気負ひなく笑ふ若きが向くる尖る靴先
秋うらら光は雲に分けられて虹の柱が東京に落つ
微笑みて手を取り合へる時永し路傍の神は目鼻うするる
日の陰となりて暗める道際の男神女神にふるれば温し
「お菜洗ひ」優しき言葉はこの街の湯をもて洗ふ母らの呼びぬ
友をまた見送りし朝けふよりは死を自らの傍らに置く
眼裏に留まる影は胡坐かきベッドの上にて辞書をひく君
机には煙草に焼けたる跡のあり海鳴り聞ゆ開高の家
赤々と海面わたる日こもごもに浮かぶ帆船の色を染めゆく
イブの夜に蠟燭ひとつ輝きて遠き記憶の母の呼ぶ声
蠟燭を消せば蛍光灯の寒寒し現に戻りカステラを食む
人住まぬ土蔵の隅に鼠死に我が立つ影は壁に伸びる
辛きこと多かりし年もたちまちに去年となると自らに言ふ
夜の暗き高尾の山の道をゆく振り向けば常に風の音あり
日の光うすき朝に人はみな声をたてなく駅へと向かる
暁に月蝕終へたる望月に富士の山ぎは赤く照らさる
月落ちて半時ののち由比の海は元日の陽に黄金に染まる
蛞蝓をママ蝸牛をパパと呼ぶ子らと過ごしぬ土曜の保育所
日に日に窓の景色に染まりゆく高さ半ばのスカイツリーは
一年に十分の時を先に行く居間の時計に吾の従ふ
ウェットスーつ干されたる夕つ方潮の起伏の静まりてゆく
子供のみ知る言葉あり月割れてバナナになりしと幼呟く
ノブとめるねぢは緑の粉をふきて四年の時の過ぎゆくを知る
人間の時間と空のあらぼしの瞬く時間に補助線はなく
空遠く瞬くあらぼし透明のゆらぎは来たりわれのこころに
窓ははや少しあかりて音のなき雪のけはひをわれひとり聞く
夕餉どき母の呼び声応ふる子吾にしばしのやさしさ戻る
風すさぶ網代の街の給油所にもらひし釣銭魚臭の残る
もくろみはいまだ果たさず昼さなか猫とわれとは畳に居眠る
雨に濡れ弱き命の犬を抱くわれの心音君にきかさむ
幾百の烏賊の吊され乾きつつ港に春の風の光れり
音消ゆる夜の底にゐて寒寒と星降る空の音に近づく
自分探しとふ補助線を引きガンダムに寄り添ふ君を密かに眺む
むささびの木の間を渡る気配して高尾の山の闇のしづもる
石鹸一つ求めて帰るこの吾と同じ袋持つ少女とまみゆ
目薬を冷やして今宵も書を開く大型連休明日より始まる
葉の匂ひすがしき道をたどり来て滝の響きをわれひとりきく 
つややかなる羽広げたる白鷺の胸にゆらぎて川面の光
叱責を与へし者と受けし者喫煙室に分け隔てなし
倦怠の息吐く人らと我のゐてエレベーターは鈍く上がりぬ
定年の思ひ込めたる挨拶状小さく感謝と文字添へてあり
花びらをのせたる携帯静やかにたたみて仰ぐ初夏の風
ひとしづく眼に広がればおのづから星に向かひて言の息づく
信号はふいに黄色に明滅し日付変はるとき吾は立ちをり
噴水のやみて己のひとりあり代々木の杜に夕闇の濃く
低反発枕に頭を委ぬればこの身に静かにおりてゆくもの
甘栗の匂ひに眼閉づるとき道にはぐれし吾は七歳
人生とは流るる時間そのものかそれ以上でなくそれ以下でなし
ポン菓子の匂ひにおのづと吾の聞くうつつに遠く友の呼ぶ声
六月の黒部のダムに風のなく飛沫しきりにわが頬をうつ
南天の葉の露に喘ぐ蟻一匹吾のほかには知るもののなし
壁際のベッドの脇に溜りゆく塵紙のごとく気の沈みたり
七日経て声の戻れる夕まぐれわれの顎髭いたくのびたり
出欠の欠を知らせし青インク雨の飛沫に色の褪せゆく
バスを待つ吾が影踏みてゆく子らの麦藁帽子の風にまぶしき
熊と相撲をとりたる様を身振りするまたぎの長の手指の太し
徹宵の吾が顎白きかげのありまぶしき朝に鈍く光れり
とくとくと喉に沁みいるこの水は二つの洋を渡るとぞ知る
庭草を刈りたる夕べ月赤く声細々と蟋蟀の鳴く
静やかに墓標に好みの酒をやれば稲田の風にはや匂ひ来る
昼と夜のせめぐひととき人群れは花火を待てり暗き橋の上
輝きの空を伝ひて響き来る微かなる匂ひともなひながら
眠り浅きひと夜あけたり秋知らす細かき雨に山鳩の啼く
通夜の家を出づれば雨の蕭蕭と今宵の寒さに蟬は耐ふるか
ビルの間に上りたる月赤々と徹宵明けの我を照らしぬ
家を出でずハイビスカスの花拾ふ何事もなき一日の終りぬ
パレードの過ぎたる街に風船の赤は黒となり空に吸はれゆく
説明書の英語中国語次にある日本語を読みパソコン組み立つ
結末の見えぬ会議の言の葉の淵なす闇の重く澱みぬ
肉球に金木犀の香をまとひ尾を振る子犬に運ばるる秋
光降り風吹き渡る日曜の Brian Eno を聴かぬともよき朝
秋の気を押し上ぐる朝ベランダの蜘蛛の骸に霧の光りぬ
歩廊にひとりになれば頬を打つ雨に鉄砂のにほひ冷たし
遠雷と紛ふ砲声富士の裾に野鳥はしばし囀りをやむ 
静かなる湖畔の道にひとりなり銀杏の黄葉の吾さして落つ
一様に角度を持ちて緩やかに落ちゆく朽葉の輝きをもつ
孤を寄せて集まり来る若きらにネットカフェのココアの温し
今朝もまた葉書の届き喪に服す友の多きを知る月となりぬ
いくばくか人の歩みの緩みたり書店戻れる渋谷の一角
アベマリア静かに流るる街を行く人らはやはき面をもてり
陽を溜むる朽葉に雀ら埋まりて啼き交ふ声の愛しみに満つ
「ある種」とふ言葉を語りの先に置く衒ひ帯びたる君の口元
ゆきあひの街を歩きて夕暮れの記憶たぐりぬ聖歌は流る
またひとつ昭和とともに捨つるものブラウン管の言葉の遠く
朝刊を手にする男を包みたる逆光に浮く微塵みてをり
告知受けふた月の朝君送る死はただそこに静やかにあり
加湿器の湯気ほそぼそと上りゆく年明けいまだ雨なき朝に
まなかひに怒気を溜めつつ教職に未練はなしと若き女いふ
六本の高圧線に区切られて我が街の富士凜としてあり
ベランダに葱摘む吾の肩に降る雨は今宵に雪と変はるか
年明けの寒さに耐へたるこの葱が赤絵に盛られ淡き香放つ
静かなる自嘲湧きたるこの夕べ酒一合の身に沁むるらし
この波の最後に来るは何ものか指導者のなきネット革命よ
薄白く舗道は雪に塗られゆく午前零時の渋谷に立てり
吊革を持つ手の先に遠き日に渡らざる橋吾思ふなり
聞きしことなき音空と地を渡る三月十一日午後二時四十六分
安否不明 data に吾が打つ十一文字「心配してます連絡下さい」
終はりなき日常の果てに訪れし朝の空は青に満たさる
唇を噛むこと多からむこの子らは小さき両手に水を持ちをり
尾長きて障子の向かうに雪の落つ囲炉裏の炭は明るさ増して
その橋を渡らむとして立ち止まる我なるうちの深き声して
時永く弾き手を持たぬオルガンのペダルを踏めばふうと息吐く
降るままに雪は校庭つつみゆく友らの声も記憶も遠く
水葬に付せしものぞといふ母の眼の先に入り江の青し
この春に妻を亡くしし園丁の忘れし花鋏雨に洗はる
目覚むれば色彩のなき部屋にゐて淡き自嘲のいよいよ白く
わが街をゆたかに濡らす雨の夜に一匹の蝶を心に放っ
脂身と赤身のせめぐ舌先に沁み入る酒のほどよき温み
二合飲み店出づる吾の足元の盛り塩の塩さらにま白く 
雨蕭蕭午睡より覚めて雨蕭蕭無為にし居れば窓の寂しき
今年また紫陽花の咲く頃となり銀座の傘屋の店先に立つ
逢ふことのなきはずこの香持つ人は遺影となりて十日を数ふ
昭和とら時代を遠くに運びゆく真空管より出づる歌声
夢かなふ日か消ゆる日か酔ひ覚めの頭の上遠く雲の明るし
雲晴れて月影さやかに澄み渡り蝙蝠ひとつ空を渡らふ
四肢挙げて生を終へたる黒仔牛カメラの画角の微かに揺れぬ
『やますげ』の初版に色の鮮やかに筆勢若きたれかの朱の跡
足に触れ肩に触れつつ紫陽花の小径は吾を古刹に誘ふ
ゆくりなく出会ひたる友は吊り手持ち兎のごと目を閉ぢてをり
降り出でてをちこちの傘の一斉にひらきて暗き眼に迫り来る
七月の風に洗はれ海望む千の棚田は穂の出づる待つ
吾が靴の左のかかとの減り様の三十年間変はることなく
月冷ゆる谷間の水に耀きを競ふことなく蛍静まる
見上げたる杉の木立に風のなく吾は立ちをり夏の底ひに」
畑にて手に割り西瓜をくれし叔父梅雨戻りたる七月に逝く
親鸞の孤独鎮めし金泥の海に立ちをりこの現し身は
卵白をなづるごとく夫のなき|は地震の記憶を埋めぬ 
夕やみに静けさ渡る用水に農婦がひとり鍬を洗ひぬ
足許に咲くを知らでか息荒きジョガー過ぎたり昼顔美し
てのひらに乾きゆきたる空蟬の命の跡も消え失せにけり
一木に身を委ねたる園丁にほどよき風か背の緩む
枯れかけし花の匂ひは野分過ぐる朝の庭の辺りを乱す
この匂ひ好まぬ故か自づから歩み早まる百貨店の一階
鬱を病む友のメールに今宵また同じ返事を丁寧に打つ 」
欄干に年輪のごと張られたる蜘蛛の巣の露今朝も光れり
それぞれの帰りいかにか道なりに破れし傘の骨の重なる
夏空を蹴り上ぐるごと野分吹き朝の堤の濡れて耀ふ
処置室の音なき闇にひとりゐて濡れたるシーツに頬を沈めぬ」
看護師に甘ゆることも生くる術か午前三時の老いの背よ
銃声と血に染まりたるシャツ一枚中東の春と謳ひし果てに
盃をかかげて宴ひとり辞し枯れ芝温き庭隅にある 
釈尊と吾をへだつる燭の火の揺るるが中に心静まる
半眼のまなざし穏しへだたりて猫は日なたに長々とゐる
限りある命の移ろひ説く僧に雨やむ庭の白菊の香
広州の高層ビルの電飾は珠江の水面に富を映せり
道を訊く吾は視界に映らぬか警察官は彼方を睨めり
雨の香の匂へる夕べ患ひの友の口端の翳りを思ふ
雨のやみ潮の匂ひぬこの村の命つなぎし棚田は続くもの
倦怠の鉛をいだくゆふぐれを冬の芝刺す時雨の黒し
高層の暗き視界に瞬きて星屑のごとヨコハマは凍む
高徳院大異山に鎮まれる大仏様は猫背におはす
紅葉はすでになく凍むるその影は胸の上に落つけふあるわれの
「三月十一日」空白のまま留め置き新しき日記の箱を開きぬ
独り立つ齢千年の大銀杏木の温もりの深くすさまじ
あかときの天つ群星身に近く我は無辺に宙に運ばる
バブルとふ時代の甘味知ることなき我の記憶は泥のごとしも
子ら描きし路上の猫は夕暮の降りくる雪に今は消えしか 
隣室の鈍き笑ひのしばしありてドア閉まる音哀しみを持つ
手にしたる初めの世界か二歳児の無垢の両手は地球儀回す
千年の時を見据うる神像の厳しきまなこ今我に向くの
偽りの瞳光らすマネキンの睫の雪の白を寂しむ
春恋ふる北の人らに降る雪の空の彼方の光穏しき はる
雪やめる暗き海面の静まりをまなこを閉ぢて吾に引き寄す
"音するは時計の針のみ凍むる夜の月影たより髭を剃るなり
"
人のゐぬ屋にけふまた帰り来て扉の鍵に寒は沁み入る
整然と頭並べる甘鯛に海に群れなすまぼろしを見つ
笑みふくみあるひは憂ひ持つ人のたちまち吸はる改札口に
胃の重く車窓眺むる吾を挿む青のマスクにピンクのマスク
否定から言葉始むる同僚の机に溜めたるガムの噛み屑
耳冴ゆる夜のほどろに餌を食む鸚哥の啼き声何ぞさびしき
渋滞の車窓の中央分離帯真白きハンカチの眼に迫り来る
素足にて浜行く吾と砂を抱くつがひの鳩に春日あまねし
いとしきは去年にも増してこの吾に夕かげの中桜咲き初む
彼の頃の思ひは遠し濃く青き二十歳の服をまとひし吾は
少年の茂吉に逢ひ見む風冴ゆる港の丘をさまよひ行きて
埃吹く他郷にありて忘れ得ぬ一山白く湖面を映す
新聞の濡れたるにほひ肺に入り日曜の午後を逃れゆきたり
人けなき外人墓地の影深し朽ち葉に埋まる石の沈黙が
碑 に1864の刻みあり果てて他郷の雨降りしきる
風通る白砂に吾の影の濃く機体は遥か銀光纏ふ
ひと知らぬ速度を持ちて金環の影は巷を鈍色に染む
古びたるエスプレッソマシン今朝も亦吐息の如き蒸気零せり
一日を二つの鍵の開閉に終着せしめ春の過ぎゆく
波洗ふ船の彼方のスカイツリー静かに立ちて電飾を待つ
宿坊の軒に干さるる黒足袋の揺れの静けし風ある中に 
両肩の梅雨の重さを身に知りてバス待つわれは傘を持たざり
稜線を吹き渡る風振り向けば白衣の君のまぼろしにみゆ
梅雨晴の市場に求めしごま豆腐夏日を浴びて桶に静まる
掌の皺を辿りて進む黒蟻が咳のひとつに歩みをとどむ
遠き日の路面電車の今に聞こゆ紫陽の花雨に匂ひて
汗冷えて塩と乾ける頭を上ぐる富士を映して湖の静まる
吾の耳は蜂の羽音に奪はれて野芥子の花の黄の悲しき
草を這ふ昼の鐘は無骨なるさらにひとつの表情を持つ
ベランダの向日葵いつしか定まりて広場の児らを静かにみつむ
山の湯に病みやすき身は沈み落ち静まるなかにみちてゆく闇
砂蹴りて児等の声する彼方よりまぶしきまでに海の来る
拍を打つ音のひびける稽古場の日暮れの窓に幼ら動く 
酒と蘭と器を愛でしともがらの黒き墓標に一花を置く
ひらめきを求むる思考の二十五年革の手帳の傷み寂しむ
室外機の排気に転がる空蟬を宵の身の黙しつつ見る
八月の空にこの胸広ぐれば汽水の海は冷めて横たふ
この街の地表にひそむほろ苦きにほひ立たせて夏の雨過ぐ
蟬の音の不意に静まりこの富士の裾野のいづちに砲弾は鳴る
飼ひ主を持たざる犬は従容と吾を追ひ抜く朝の堤を
通知音明るき音にこの夏に笑顔をくれし君の訃を知る
死に水に口を濡らして言葉なく雨音繁くなりゆくを聞く
天神の四肢踏むごとく東方に雲の湧き立つ秋づく午後に
南天の照る葉にゆらぐ春の陽を患ふ友と二人見たりき (
線香の火の朱清し雨のなき八月尽日友は逝きたり
秋の夜のビルエバンスの繊細は無機質の吾が居間に染みこむ
駅に立つ少女の頬を携帯の液晶が照らす愁ひ含みて
店にある古き鏡の輝きてまぶしき中に港を映す 
雨を裂く車窓の先に白々とベイブリッジのおぼろに浮かぶ
川に浮く雲の上歩むごとき子らみな足早に駅へと向かふ
出づる日は川面に映りひてしばし競ふか妖しきまでに
夜に来て限界集落とふ名を思ふ村 の呻きは濃き闇に垂る
そぞろ立つこの現し身に人群れは残像となり夕影に融く
一様のリズムを持ちて迫り来る螺旋階段をくだる靴音
古びたるサウナルームに一人なり苦手な歌を聞かされてゐる
頬を打つ風冷え冷えと吾が立てり秋ゆく海に船の影なく
聞きしことあらぬ言葉の飛び交ひて浅草観音は香に煙れり
数千年の時を奥処に湛へたる土偶の眼今吾に向く
東京の街は暗しとふ華人のこゑ通辞の言ひて我の背に聞く
満月に呆くる我を地上にとエレベーターは引きて戻しぬ
人寄する磁力持ちたる天空樹出づれば師走の木枯しの吹く
鼻毛抜き稿に挟むとふ漱石のをかしきを知るその命日に
この弱き光は命孕むとふ声静かなり冬至の杜に
重力より解き放たれてビル街の空に吸はるるかぎりなき雪
深深と雪積もる夜に変ふること叶はぬ過去を壁に映せり
夕時雨みな押し黙る通夜の径牛歩牛歩の黒傘の列
雪の朝バス待つ人等押し黙り地蔵の如く列を作れり
重力に抗ひ雪の湧き出でてほどろに海に吸はれゆくなり
己が身に仄暗き悪を一つ見て『カラマーゾフの兄弟』を買ふ
微かなる苦味を持ちて菊酒は君と吾とののみどを下る
完成を春に控ふる地下駅は水くさき夜気に包まれてをり
午前二時牛丼ストアに弧を寄する都市住み吾らの明るき寂象
鉄板に蕎麦焼く手元にカラヤンの棒振る動き不思議に重なる
広がりて芝に群れなす椋鳥の黒き小羽根が冬の陽を受く
高層の間を昇る満月のいつしか小さし青み増しつつ 
車窓より流るる眺めよ黄濁の煙霧の街はおぼろに漂ふ
今もなほ除染進まぬこの街の児の居ぬ広場に嵐は騒ぐ 
外遊びせぬまま園を卒業す児のランドセルの赤の鮮やか
雪洞の消えたる川辺散り際を知る桜木に夜の静もり
鳩時計の鳩はあやしき毎正時刻を告ぐるにカッコーと鳴く
「高層の街が成したる風の道の明らむ如く風船の舞ふ
静まれるロスコの壁画に対ふとき我を包める耳鳴りの音
晩年は黒をしきりに描きしとふ物言はぬ壁に悲しみのあり
芳ばしく森は匂ひて杉を縫ふ光眩しく鋭角に落つ
釣り銭の十円玉の暖かし雪まだ残る道の駅行く
公園の除染終へたるブランコに児らの声なく斑日の射す
空海の真言唱へし磯に立ち海の遥かに富士山を見つ
みづくらげは黒色光に照らされて星座のごとく青く浮かび来
見あぐれば海の底なり幾千の鰯の群れは陽の影に舞ふ
枕辺のラジオに昭和の歌流れ五月の闇の雨の際立つ
酔ひの覚め夜半の月影目に冴えてベランダのタイル足に冷たし
雨上がる富士の裾野を風渡り吾が行く森のなべてふ
新聞を積めるバイクの音猛し気流を裂きて朝の開かる
鳴く声のふいなり見れば餌を食む燕の雛の切なきのみど
日に肌をさらすを厭はぬ娘らの声の賑はふ夏日照る海
パンを焼くレンジ開けば梅雨明けの夏の重さの空気出でたり
台風の近づく午後に縁側の蝸牛のどけし何とは無しに
遠きより草刈れる音風渡り夏の匂ひの土手下りゆく
渦巻きに右と左のあるといふ蝸牛の生の定め哀れむ
半世紀檻に生くるを常とせり日向の河馬はアフリカ見ずして
平日の博物館に児らのなく剥製の鹿の吾を睨めり
徹宵の固き瞼にまどろみをしづかに広ぐ目薬一滴
繊毛に滴浮かべる白桃を深々と切る梅雨明くる夜に
梅雨の雨に重さを増して門のへに風に動かぬ日の丸のあり
磯浜に寄する白波砕け散り光となりて吾を抱けり
幸せを抱きて生くる辛さとは画面の人の顔蒼白し
この夏の記憶を語れベランダに咲く向日葵よ種成す前に
雨止まぬ窓の向かうの電飾に煙れる街は過去の静寂か
ほの暗き海に対へば若き日の夏の記憶の藻の絡み来る
八月の海と空との境目の青さ極まり冒すこと無し
我が乗れる機体の影は海面に青み増しつつ昏みゆくなり
やうやくに安くなりたる秋さんま食みつつぞみる中秋の月
鈴の鳴るドアを持ちたる喫茶店探しに来たり原宿の街に
けさ二つ無精の卵産み出したる鸚哥黙りて卵を抱く
東京より六十四のトンネルをくぐりて吾立つ大阪の駅に
百二十六人今住むといふ江東区青海埋め立て地に潮風の吹く
埋立ての街は夢見む七年後あまたはためく五輪の旗を
懐に愁ひ忍ばせゆく吾にはや気まぐれの北陸の雨
待つ影は庭の緑にさらに濃く雨匂ふ部屋に端座してをり
曝されし骸に今朝もこの星の常なるやうに太陽の照る
浴室の鏡の鱗の時堆むを凝らしてみればそこに吾有り
若きより廃校訪ねて二十余年時雨に濡るる校門に立つ 
児らのなき花壇にけふを咲き盛る村人育てしコスモスの花
児らかつて雑巾掛けせし長廊下主なきまま磨かれてをり
「希望」の字数多に並ぶ教室の壁に届かぬ斜めの光
仕事へと向かふ車窓に映りたる銀杏の黄のわれに問うもの 
時雨ゆく夜の市バスをわれ降りて客なき車内の灯り遠のく
一年の幸ひを競ふごとくにも電飾耀ふ家々の窓
われ知らず酔ひて眠りぬ雷鳴の過ぎたるあとに雪は降り積む
旅先に今年の初雪迎へたり障子を開けてしばしを望む
ひそやかに雀は眠るか月影の夜空に延びし冬の梢に
夕時雨通夜に行き交ふ山門の黒きかうもり愁ひを覆ふ
青空に枝広げたる樫の木に冬至の日差しのやはらかに落つ
けふもまた整骨院の戸を押せば吾を迎ふる骨格模型
明け方に鍵穴探る日の続く鉄の扉の冷えゐて重し
北陸の雨は気ままに肩を打ち濡るる階吾の踏み行く
ものを飲む力なくしてゆく君の手は未だ吾を強くたぐりぬ
大寒を過ぎたる今宵丸餅を水に沈めて白蕪を切る
空瓶を十本抱えごみ置き場正月明けていつもの日常
シャワー浴び入院準備を整へて一一九番自らの呼ぶ
胃から鼻へ鮮血赤く吸はれゆき血圧計の数字下がりぬ
血へど吐く吾の現し身気の付けば幾多の手にて背中摩らる
降る雪を窓に見遣りて薬飲む吾の意識の白く濁りぬ
目覚むれば吾はベッドにひとりゐて無音の中を雪は降り積む
吾の知らぬ渋谷あるらし休日の少女ら溢るセンター街に
冬の海のほのか明りて日の沈み佇む吾の頬を風打つ
ベランダに置くタロ芋の葉は強し今年の二度の雪を知りをり
引き出しの古びたる時計手に乗せて時間の重さを暫し思ひぬ
文庫本の文字の小さきにまた閉ぢぬ管て耽りし順三郎詩集
病室の窓に雪降り吾が胸の内の里にも白く積みゆく
混濁の意識の濁り目の覚めて降りゆく雪の白に重なる
渡り来し海のうねりは天井の板に重なり吾にまつはる
吾よりも少なきを知る漱石の吐きし血の量八百CC
戒名も墓も要らぬといふ君の手に持つ数珠は母の形見か
パーカーのキャップを嗅げば卒論に向かひし頃の思ひの出づる
開店を告ぐる音楽それぞれに午前十時の駅の地下街
燭の火を見つむる先の釈尊と吾と二人のひととき幻
散る花の数限りなし白旗のかつてたなびきし源氏山行く
屍蔵転じて鎌倉名の由来知りて散る花吾にいとしき
向日葵の苗は伸びたりその種を好物とせし仔鸚哥の墓に
夕つ日はデスクに入りてマウス持つ吾の拳に影を成したり
ダム底のなだりの先に井戸ひとつ少なき雨の季に現る
遠くとほく有線放送音流れ湖底の村の家家無言
陽を乗せて寄せ引く波の輝きに現し身置きて風の静まる
翼無き自転車を漕ぐ吾が前に富士出でにけり梅雨の晴れ間に
同じ舎に棲み同じバスに乗る白髪の男が独り堤を走る
いのちある物のあはれか回廊の蜘蛛の仕種をいとしく思ふ
広き野を貫く川の水光り機体は静か富士山に向かふ
雷の雲の光の中を行き窓の翼のしきりに揺るる
足延ばし今宵は橋のたもとまで頬打つ雨の吾を奮はす
坂登る心の鼓動は我がものかこの街に住み年を経るなり
気の付けば閉園近き庭にあて耳に入るものただ吾は聞く
波音の静まる浜に時は消え空より海に落つる星筋
花火には弔ふ意ありと教へけるかの人逝きてまた七月の来ぬ
無造作にボウルに放りし野菜屑喉にむするか週末の夜に
雨あとのにほひを踏みて行く園の池にまだらの白雲浮かぶ
足早に茶房に入れば雨音の消えてやはらにジャズの流るる
微睡みより覚めて車窓を眺むればあまたの星の海底に墜つ
夜の底を這ふ深夜バス静まりてひと等の面を外灯照らす
十七の真夏に駈けしこの道の吾のゆくてに潮風の吹く
初盆を迎ふる墓標に風の無く線香の煙去りがたくして
風はやき浜の広らに鷗らは何処に鳴くや海に漂ふ
法師蟬の声の透りて夏深む林にひとり吾を立たしむ
街路樹に蟬鳴き鎮み月影は青みをまして吾に迫り来
蜻蛉の羽根振り柔き真日の中夏の光は縮み遠のく
夜の空を見ぬ日常に長くゐて星座の名さへ忘れたる夏
青く澄む月もひとりぞわが行きて岬の宿に文書きてをり
草に寝て吾の視界に広がりぬ青を切り裂く機体のひとつ
午前三時帰ればけふもぽつねんと常なる部屋の常なる灯
陽を受けてふくらむ鴨の傍らに吾を見つけつ午後の川面に
電源を落とせばテレビに埃浮き今宵現の吾と向き合ふ
休日の何せむことなき夕暮をむづかりやまぬ幼な児の声
二十年使はぬままの香水に戻る事なき来し方みつむ
地下鉄の扉の開きこの街のにほひ纏ひて人の入り来ぬ
秋の陽の約まる午後を噴水の水の頂しばしとどまる
封開き遺伝子検査の結果読む見知らぬ吾と向きあふ思ひす
台風のあかとき過ぎてベランダに大きく傾ぐオーガスタの鉢
孤を寄せて酒房に集め男等は淵なすものを黙しつつ呑む
旅にある夜の底ひに湧きいでて夏の疲れのベッドに吸はる
対岸の堤を走りゆく人ら陽炎のなか遠近持たず
靴の音にぶくたてつつビルの間にのぞく青空男等は見ず
輝きを空に返せる海面に赤さえざえと一艘の船
吾が知らぬ未来の吾を医師診つむ輪切りされたる脳の画像を
同性の夫婦の愛を懇々と聞かされてをり今宵バーにて
幕のおり楽屋に戻り煙草吸ふ女優の和らぎ鏡は映す
酒場にて独楽に戯るる男あり父と稚の二つの面持つ
年明けて社の参道風清か冷ゆる気配にこの身洗はる
戦後とふ残像今年も重ねつつ遺影は常に己をみつめつ
空の色やさしくなりて陽は入りぬ冬潮けむる浜に風無く
車の音消えたるのちにわが町を真白に包む雪厳かに 
雨を吸ひ街の空気の緩まりて濡るる靴下市バスを待てり
窓の辺の壊れかけたるラジオより不意に流るる巴里の雨音
電飾は雨に光りて透明の傘持つ群れに夜の虹出づ
白粥は陽に照らされて菜の清か昭和を終へて二十七年の朝
妙高のゲレンデの雪軽かりき昭和の終を迎へたりし朝
春嵐背を叩く夜を帰り来てひとり白湯にて鼻を漱げり
加賀の酒汲みてかすかに喉元に故郷の水の苦味広がる
紅梅のほのかなる闇三月の京都を去りし彼の日思ひ出づ
噴水のやむ公園の静もりを覆ひて童謡の楽の鳴り出づ
底深き駅を出づれば陽の輝ふ足もと軽く春の風吹く
葭切の鳴くふるさとの森深く振り向けばそこに夕映えがあり
「創造的過疎」と謳へる神山の丘の畠に菜の花の咲く
満開の桜の下に写真撮る二人は明日の退職を待つ
陽の差して光沢戻りたる屋根に時の過ぎにし花びらの舞ふ
花の下にビールごくりと飲み干しぬ定年明日に控へし君は
雨にほふシングルベッドと吾独り夕べに旅の荷物を解く
葉桜の下のベンチに座り居て数字少なきバスの時刻表
白つつじ咲く街道をバスの行く大型連休始まりし朝
この先は人足踏まぬ原子炉の底を動かぬロボットカメラ
葉桜の枝枝わたる雀等に朝よりつづく温かき雨
欄干に蜘蛛等それぞれ城占めて広さ均しき巣を張りて待つ
猫のやうな眼を持つ者ら集まりてライブハウスは開演を待つ
海近き病棟の屋上風渡り背の君は運河を見おろす
閉店の決まりたる日の銭湯の湯船のへりに顎をのせをり
陽の差して朝じめりする堤防を行く人と犬しづかに交差す
通勤のいつもの道を少し変へ紫陽花の咲く庭二つ過ぐ
二十代に出会ひし人々微笑みて吾をみて居り雨静かなり
ベランダに巣作りすらむ鳩厭ふ吾の肩先驟雨に濡るる
潮匂ふ梅雨の晴れ間の石段に昼を微睡む江ノ島の猫
友を送り黒のネクタイややゆるめ朝の光の添ふ庭にある
「おや確か名古屋でお会ひしましたね」異動の六月昇降機前
眼に満ちて窓に移らふ紫陽花に箱根の山の姿荒々し
梅雨晴の公園に来て弁当を食む男等の風に耀ふ
影を踏む靴音怠き男等は高層ビルに吸はれつつ消ゆ
梅雨明けの午後に一人し歩く身は自虐の二文字背に担ふ
ベランダに生る茄子ひとつ煮る夕べ日はまだ明かし吾の晩餐
屈まりてベランダに憩ふ鳩一羽けふは止まる朝の水遣り
この道は鹿も通ふか峠道村営バスの警笛響く
端座して大拙館の石壁に対ふわが背に晩夏のひかり
武蔵野の駅を出づれば稲香る都会に育ちし汝は識らず
うつうつと力無く啼く法師蝉夏の翳りをすでに知りをり
花の無き墓の幾多に白紙の張られてをりぬ連絡せよと
ひと隅に集めらるるか無縁墓小さきものはより小さく見ゆ
参道を歩みつつ肩濡れそぼつ吾の記憶の雨に煙りぬ
わが前を失せたるものの返りくる今宵地酒の妖しき磁石
木の葉はや降る堤には椋鳥の孤を寄せ合ふか秋はめくらむ
バスを待つ男三人黙しゐて人と人とのあひを抜く風
口中に塩飴ひとつこの夏の吾に加はる習慣となる 
戦争とふ一語の響く重さゆゑ議事堂前に集ふ哀しみ
金木犀ほのかに匂ふ駅に立つ吾の巡りに雨の冷えつつ
陽の果つる高度一万くきやかに尾翼の彼方に雲のプリズム
飴玉を二つ含みて寝入る身の奥処に響くAMラジオ
教科書の意味不明なる書込みに蒼き面せし彼の日思ひ出づ
新しき珈琲カップの相性を口元は探る三日目の朝
実の熟るるトマトを独り煮る夕べ朱は鍋より部屋を染めゆく
ビルの間を縫ふ影すでに赤み帯び東京午後二時冬至近づく
サクマ式ドロップ空にせし夕べ昭和九〇年の師走近づく
秋晴の愛宕の山の石段を登り詰むれば無言の鳥居
鼻と牙削がれてなほも起つ象の哀しき鳴き声吾が耳は聞く
秋の陽を寂しむ吾の影の先に鉄道技師のモレルの眠る
噴水は五時定刻に静まりぬ憩ふ人なき水際の闇
美術館の椅子に眼を閉ぢ音のなき絵に包まれて暫し吾がゐつ
野ざらしの肘掛け椅子に陽の当たり人なき家は九年を数ふ
寡黙なる母の清らに保ちるゐし流し台には蜘蛛の巣のあり
テロに揺るるパリを思ひつイブの午後レ・ミゼラブルの映画を見むとす
イブの夜を電飾仰ぐ若き等の華やぐ群れに吾がまぎれ行く
イブの夜をいつものバーのドアあけて今宵最初の客と言はるる
年の瀬の日に照らされて枯れ枝の近きは白く遠きは黒き
くきやかに空の映れる川の面に冬木の枝の揺れつつおぼろ
鉄柵に四方囲まるる大仏の窮屈ならむ座禅を組めり
林なす松の木立の音静か煙るうしほの匂ひ冴え来る
雲の間を抜けて海面を照らす陽の斑の光しばし愛しむ
午前三時編集続きしばらくを渇く眼を懈怠の覆ふ
人の声いつしか去りて窓の外は冬日の褪する庭のひそけさ
「自己本位」とふ漱石甘しと十七の吾のノートのインクの青し
午後五時の静ある教会そぞろ来て猫背の神父が言に会釈す
日の沈む浜を歩めば江ノ島も二十歳の記憶も霞む如くに
微睡みに夏の記憶の浮かび来て時間の海に船を出だす夜
のどに沁む震災の日の握り飯語りし娘は母となるらし
斑目の揺るる障子の開かれてはや枯るる梅の匂ひ寂しも
ラジオ点け懈怠の中に微睡むに夜の遠くに噺家の声
咲き初むる時待ち侘ぶる目黒川ひととき静か賑ひ前に
人群れに飽くらむあひる一羽来て昼の小庭にわれと憩ひぬ
早起きの日本人の増えしとふ目覚むる吾は終電の中
先輩の片付けられし椅子ひとつ吾に残さるる時間を思ふ
母国語を受話器に話す友の声吾の知らざる心をみする
雪洞をおぼろに映す目黒川咲き初むる花の四方に匂へる
湯の名残硫黄の匂ふ浴衣着の干さるる数多に昼の風無く
珈琲を三杯飲み干し職辞する友の決意をひたすらに聞く
ねぢ式の鍵持つ窓の板硝子春の陽射しに虹の彩なす
碧深きダム湖の底にひと筋の放水白く音のかそけし
整然たるスクランブル交差点行き交ひを不思議とも見つ外国人は
ゆくりなく声をかけたる人のゐて振りへるとき鴉鳴きたり
うちの心遊ばす術を知るといふ無弦の琴を愛せし漱石
回転の皿に乗りたる烏賊の眼は集ふ家族の何を見るらむ
猫の写真フェイスブックに載する君とすでに十年逢はず過ぎたり
慰霊碑に立つ影深くその奥処原爆ドームの無言なる闇
晩春の雨降るひと日家ごもりアスパラガスを塩ゆでにせり
川の面の光のまぶし対岸にジョギングの人らゆるやかに過ぐ
慰霊碑を背に立つオバマの声通り彼の日の蝉の幻聴を聞く
棘ひとつ抜かれし思ひや眼閉ぢ被爆二世の吾の自問よ
EUを離脱せし西の端の島に自らを重ぬるこの国の民
独立記念日と叫ぶ彼等のすがしき眼見つむる先に未来のありや
家族連れし職場の守衛笑みにつつ吾の片方を過ぎて行きたり
誕生日の次の日が原爆記念日とふ祈り鶴二つ残ししオバマは
青蛙飛び交ふ畦に円座して有機農法の話に聞き入る
一日を青田に居れば鬱失すと港区育ちの百姓の笑む 
頬に二つ蚊に食はれたる嬰児は何の夢見る梅の木の下
また一年戦後の数増えうたびとの戦の記憶つむぐ夏来る
家族連れし職場の守衛笑みにつつ吾の片方を過ぎて行きたり
誕生日の次の日が原爆記念日とふ祈り鶴二つ残ししオバマは
青蛙飛び交ふ畦に円座して有機農法の話に聞き入る
一日を青田に居れば鬱失すと港区育ちの百姓の笑む 
頬に二つ蚊に食はれたる嬰児は何の夢見る梅の木の下
また一年戦後の数増えうたびとの戦の記憶つむぐ夏来る
少しづつ赤の絵の具の足されゆく我の書斎の小さき窓に
暗き井戸掘りて水汲むごとくにかこの夏逝きし面影を追ふ
噴水の光に憩ふ雀らの秋を恋ふらし声のかしまし
風呂を焚く煙漂ふ山の辺に身を折り栃の実拾ふ老いあり
週一度花を買ふこと始めたり吾の生活変るともなく
マンションの最上階に住む君はカーテン持たぬ日日を楽しむ
廃校の運動場に湧き出づる蜻蛉清し雨後の夕空
煮浸しの秋茄子を食む休日の居間に入る陽の午後をふくらむ
仮眠より覚むれば小窓に冷え冷えと主翼の遥か北斗七星
目の前の主翼に触れて流れゆく雲の光の柔くふくらむ
賞味期限消費期限の境目の開封を待つ総菜幾つ
夜の酒に痴れて買ひたる冷菓子が朝陽を浴びてテーブルにあり
午後三時手元のマウスに日の延びて冬の気配の吾にせまり来
三笠宮薨去の原稿を読みゐたるラジオの声は平成生まれなり
箪笥よりゲバラのTシャツ取出だすカストロの訃報流るる夜に
星空の如く海月の耀きてアクアリウムの先に漂ふ
式のなく墓も持たずに逝くことを決めたる三人吾は知るなり
彼の日より四十六年甲高き三島の檄をYoutubeに聴く
一年のはや過ぎ今宵書き込みぬ君の遺ししフェイスブックに
閉ぢらるる事なき君のフェイスブックに想ひの並ぶ供花の如くに
クリスマスソングの街に流るれば寂しと話す君の今宵よ
イブの朝輝くまでの富士山をケーキのやうと児の呟けり
峠道雲を望みて汗あゆる夢中の吾は吾より若し
陽の入りて表参道交差点銀杏を踏めば渦なして舞ふ
小春日のまだら陽温む朽ち葉蔭くぐる雀ら見えつ隠れつ
冷えゐたるこの亡骸は夜半泣きし嬰児吾を温めてくれし
電車降り木犀の香にのりかへる妣の詠みし句脳裏にひとつ
火葬され骨壺一つとなる迄を冬の海原見つめて過ごす
海原を跳ぬる兎のごとくにか白波の立つふるさとの海
カップ酒に痴れて微睡むこの吾に車窓の月の青みを増せり
有明に堤をあゆむ人と犬吐く息しろしのごと
ドアの開き押し出されたる背中たち振り返ることなく階上る
母を運ぶまだうら若き納棺師視線の先に冬枯れの野辺
悲しみを抱く空なく刻刻と遺影を選び柩を定む
母の逝き記憶の中の人となる死への怖れのまたひとつ減る
吊革を握る男の取り出だす定期の裏の家族写真よ
西明かりしながら小雪降りしきる日比谷の外灯にぶく輝く
眼差しに暗き影持つ君の国はテロルの歴史建国に持つ
言葉には罪なきものを付度の言葉を哀れむ夕べのニュースに
永訣の朝に流るるピエ・イエス静もる柩窓は雪なり
母の逝き程なく伯父を葬るけふ死は川のごと流れゆくなり
この年は幾度唱へし正信偈口耳に馴染む帰命無量寿如来
欄干の灯の影落ちて酒に痴れ揺らぐわが身を川面に映す
若き日に求めし自由と今欲しき自由の落差ふと笑ふなり
雨上がり湖畔の水面に山の映え数多の野鳥囀り渡る
一周忌桜好みし君よりのメールを今宵返送してみつ
小窓揺る夜半の嵐の過ぎされば桜並木の景色変へたり
銭湯に並ぶ背中の各々に背負ふものあり流されゆくや
用水の流れの青く音かすかこの村かつて人住みしなり
買ふよりは捨つること多きこの頃か諦むることまた増ゆれども
蔓を出し支柱を上る朝顔のまさぐる如く生を乞ふにか
死に際の吾に聞きたし君は今誰かに何を伝へたしやと
この街の空気にはやもひそのたる夏の句ひか梅雨入り近し
押し黙る母のむくろは正確に六十分の炎を浴びぬ
高層に映る陽の影眼に冴えてミッドタウンを泳ぐ鯉幟
おのおのの孤独に黙しひしめきて吊革持つ手を夏日が照らす
首筋を柔らに打つ雨公園のベンチは今はわれのみのもの
これもまた日本の今か路地裏に広東語行き交ひ京の夜更けぬ
川暗き空にふ星いくつ吾の心に灯し見るなり
昼に覚め昨夜の疲れ残りゐる体を温きシャワーに包む
半地下の窓よりみつつ階を行き交ふ靴はものいふごとし
あかつきの雨音やさし四歳の記憶の雨に響き重なる
ふるさとの商店街は人よりも街猫多し微睡みてをり
物書くになにか際どし書きし文字消すボールペン日々使ふなり
「音姫」と名付けしトイレの水音の虚ろなるもの虚ろに響く
要のなき薬を鞄に二つ三つ重き心を背負ふが如く
空襲警報をJアラートに言ひ代へて老いらは持てり遠き記憶を
反核の声今いづこ晒さるる核の脅威に朝空仰ぐ
しとやかに亡き人迎ふる盆提灯遺影の笑みをやはらに包む
症例を世に知らしめて百十年アルツハイマー博士何思ふ 
密やかに覚悟決めたりいつか詠まむ認知の病に向き合ふ歌を
炭酸水飲むを諫めし医者の逝き媼は今年百寿を迎ふ
「圏外」の表示の常あるこの里にしばしを憩ふ夏の深みに
北に逃ぐる義経見けむ松の樹の風に傾ぎて潮風に鳴く 
浜に果つるペットボトルの鈍色のうすき曇りにハングルのあり
朝に起き如雨露の水を注ぎつつ軽くなりゆく心のなじか
七十年平和の続くこの国の戦争報道ふと考へてみむ
早熟の漱石はまた淡々と老いを引き受けたをやかに逝く
海の端に立つ月青し人のなき港の船の白く揺れつつ
圏外の二文字常なる珠洲に来て祭りの列に吾の人りゆく
くきやかに富士の頂望む朝暦跨きて冬は来にけり
野分してまた木枯しの吹く朝川辺の鷺の鳴き声寒し
高層のビルの間より涌き出でて落葉は空に噴き上がりたり
満州に斃れし祖霊は東京を知らで異国の雪に埋もるや
もの言はぬ下弦の月にさはさはと囁くがごと枯葉舞ふなり
振り仰ぐ銀杏の先の空は澄み機影の白の目にさやかなり
生誕の日の記憶は持たずとも鼻腔を昇る大気の嬉し
われ通ふオフィス街のコンビニの惣菜何れも一人分なり
哀しきはラジオが茶の間の真ん中にありし日知らず昭和の遠く
LED六十万の燐光のひと色に染むる公園通り
もの言はぬ下弦の月にさはさはと囁くがごと枯れ葉舞ふなり
ビル間の狭きを昇る円月の木枯し吹けば青み増したり
棕櫚縄の雪吊り纏ひ五葉松人なき闇に静かに佇む
水のなき底に積もれるもみぢ葉が油彩のごとく川面を画く
センター街写すレンズの球面は恋に別れに犯罪も知る
生徒らは何見む鉄に区切られし窓より写る街の流れを
スクランブル交差点今青となり色絵なす傘交じりゆくなり
喪中葉書幾つか届き新年を迎ふる前に死を思ふ時
降る雪にいかに解くらむ多摩川の西部邁の凍れる涙は
箒掃く微睡みの中幻の母の背を追ふ旅の宿りに
見あぐれば厚らなる雲黒々と南岸低気圧近づく夜半に
徐行する登山バス止め揚々と野猿の群れが道を横切る
おのがじし平成追ひて集ふ中に吾もまたをり一般参賀に
口開きてタイの少女は受け止めぬ銀座の街に降る白雪を
狼の声を演ぜし永山一夫万景峰号にて北に渡りしや
消息を絶ちたる永山すでに亡く粛清とも聞く夢は儚し
屋根の雪落つる音など思ひつつ地下鉄のなか故郷遠し
土のにほひすると甥言ふ古き屋に炭焼べ独りゐたる一日
この春に米寿の師なり静かなる歩みに添ひて教室に入る
またひとつ書店の消えて駅前にドラッグストアの幟はためく
日を呑みて凪にふくらむ加賀沖の黒き海面が車窓に流る
縁側に黄砂のにほひ立ちこめて春めくなかに古里寂し
彼の日より八年の春に咲く桜今ある帰宅困難地域に
描く事は見つむる力か筆を持つピカソのぎよろ目セザンヌの刺す眼
紅梅の夜気に流るる匂ひありかの一本は咲き初めしらし
静かなる昼を桜の花満ちて面上ぐる人等の煩を染めたり
吾が内の底なる澱に藤棚の積もる落花の重なりゆくもの
濡れ窓を拭くださヘ笑ふ児か我の心の曇りも拭ヘよ
決めぬことこれもひとつの決断なり机の資料閉ぢて息吐く
残影を天井に映し眠ること常にし吾の眼寂しも
席一つ譲り合ふこゑ人人に伝ふ穏しさ宵の庫内に
右脛の瞬間焼き付く思ひして気づけば鋪道が吾に迫り来
高熱と敗血症におびえつつ抗生剤の点滴の夜
膿盆に血塊溜まりゆく様を眼虚ろにしどけなく追ふ
風車まはる地蔵の奥つかた徳川廟に昼の静かさ
累代の将軍と妻ひとところ窮屈さうに向かひ合ひをり
右脛を車輪に掬はれ瞬間に視界百八十度ぐらりと廻る
気が付けば道に臥す吾を誰か呼ぶ喉より声の出ぬ身もどかし
糠雨の本降りとなる夜吾が居間はハロル・バッドの音に静もる
暗黒の海に轟く浦波をこの村千年夜々に聞きしか
吾の知らぬバンドの名前口遊む列の傍へを独り行き過ぐ
明け方の空腹満たすコニャックは唇に甘く喉に熱し
ほどもなく母とならむ人バスの中母の自信をにほはせ歩む
鳩一羽吾の傍へに歩み寄る足に釣り糸絡まるままに
朝顔に七歳の夏思ひ出づラジオ体操出席帳など
白壁に吾の影映す誘蛾灯記憶の闇の何かを照らす
沈黙の後に息吐く媼ゐて炎熱車両は鉄橋を越ゆ
音持たぬ運河の碧を眺めゐつ現逃るろ微睡みの中
梅雨明けの川面飛び交ふ鶺鴒の朝まだ浅き光に紛る
噴水のしぶき頬打つ駅前に光の粒のきらめき流る
立秋の朝亜麻色の海穏しく徹宵開けの瞼にやさし
新しき靴底の減りこの夏の疲弊の果てと吾の呟く
哀悼の言葉の乾く八月の空気の揺らぐ九段の坂道
何となく秋の匂ひの漂ひて通勤車両は地下に入りゆく
人去りし門の仁王の夕翳り無言の姿威圧を増せり
耳に入るラジオやさしも日曜の雨降る午後を何するとなく
倦怠は時に至福か微睡みの中をこの夏逝く友に逢ふ
号砲の音青空に吸はれゆき一秒あとに応援の声
潮の音独り聴き入るこの吾に同類のごと猫の近づく
海に落つる陽の塊を吾がうちに入れて独りの故郷を去る
徹宵の朝の現し身貫きて川面反照す戸惑ふまでに 
暗黒の塊として神宮の森は見澄ます新宿の夜を
魚消え人去る市場に残り棲む猫はこの冬如何に生くるや
潮の香とかしましき声のやがて消え築地の空を風の吹き過ぐ
晴るる日の病院行きのバス停に老いら相寄り病言ひ合ふ
笛の名は乃可勢といへり強者の手を経て此処の寺に静もる
戸隠の夕の宿場に蝙蝠の数多飛び交ふ音も立てなく
秋一日銀の秋刀魚を焼く吾に哀れみもなしひとつ骸に
ベランダの盥の水の輝きの白さを増して冬は近づく
たちまちに木犀の香の消ゆる道十月朔日風過ぐる朝
理科室の雰囲気に似る部屋に居る土器修復とふ仕事に就く君
心病みしロスコの壁画に囲まれて独りの音は耳鳴りを聞く
落葉を踏む音の消え土にほふ縄文住居にわれの影落つ
手を合はせ膝抱へ土偶は何祈る暗き眼窩はわれを見つめぬ
貝塚を行く現し身に冬日射し吾の影出づ土偶の如く
0.5進む度数の老眼に性なきものよ岩波文庫は
寂しさは冬に覚醒するものか雪吊り終へし金沢にゐて
ジングルベル街に深深流るれば平成の終りふといとほしむ
水ゆらり木綿豆腐は樽底の絹豆腐へと光りつつ下る
明け方の意識の底より除雪車のうなり近づく寝床の吾に
未来への展望阻むその壁は我と過去への哀れみなりや
幾筋の光のさしてくきやかに入江に浮かぶ小島の遠近
通勤の朝焼けの海工場の煙は横に長くうごかず
参賀にと集ふ人等に丸の内の歩道の埋まる平成惜しみて
見あぐれば手を振る君か人けなき校舎の西日追憶の窓
眼差しの交錯いかに青春の太郎とピカソパリに会ひし日
色彩は幸福祝ふためなるか紅梅白梅咲く丘を越ゆ
青深き空に南風吹き冬の底融かす如くに春は来たりぬ
若き日に読み耽りたるウェルテルの悩みは黄変の記憶に埋もる
若き日に通ひし酒房の古き戸は吾を拒むか灯りの消えて
北陸の海は小暗し元旦のこころにひとつ松明灯す
土偶かなし文字持たぬ世の縄文の歌人の心ふとも思ひつ
雫らはおのおの朝の日を宿し緩みて落ちぬ時は過ぎつつ
古き屋に祖母がひとりに謡ひつつ石臼挽きき背の夕つ日
「奇想」とは枠持たぬことと評されて三百年前の若冲思ふ
収録を終へしスタジオ暗がりの鎮まるなかに幻聴を聞く
多言語の行き交ふ中を咲く桜平成といふ時代の終る
新しき令和迎ふるわがうちの高鳴るなかの違和感は何
若き等は未来を思ひ老いたちは昭和偲ぶか令和の二字に
対面の男七人うち五人携帯に時を徒になす
泥酔の底より現るる幻聴にしばしつきあふ花みし夜半に
雨孕む鉛の雲の膨らみて車窓に広がる色を奪へり
左から右に令和の二字流れ電黒映らむ数多の目にも
散る花はビル間漂ひ陽春の風の断層がふが如くに
新緑の欅を包む春光に雀らいこふ午後のビル街
四十年前座りし席に腰をかけ師の影の無き黒板眺む
夜の深き底に吾ゐて眠たさの軟体動物近寄る如し
時長く乗客の足にて磨かるるホームの床の時の光沢
堀水は葉群の青に覆はれて午後の物憂さ春の終りは
古きビルの巡る空調の低き音呪詛にも似たり長廊暗し
汽水湖に浮かぶ月影揺るるなか朝鮮鐘の鳴る時を待つ
沈黙の時間互ひに長きこと積みし記憶の重さ知るなり
諦めを知ることのまた清々し吾に巡り来新たなる思ひ
竹林に吹く風厚き雲呼ぶかうつむく吾は影を失ふ
喉仏上下動してジョッキより涼しさ骨へと猛く運ばる 
白砂の熱き感覚取り戻す足裏転し梅雨明けの浜
髭剃らぬ我の浮かび来トンネルに入りて「のぞみ」は京都へむかふ
いつの間に気付かぬうちに身勝手と臓病をまとふ中年我は
気の付けば鼻腔に管の通されてわれの胃壁に初めて見ゆ
「お地味」とふ美化語のあるを教へらるスタイリストの娘は二十歳
釈尊の光背に塵耀ひゐて朝の読経の静かにはじまる
空席の目立つ車内に女学生吊革に厚き文庫本読む
八月の南風吹き渡りふるさとの稲田の先に青き白山
夕さりてほの暗き闇に稲刈りの田の香漂ふ村の静まり
捨つる物残す物との境界に計られてゆく記憶の重さ
灘うなり散る白波のとなり淡き光の虹を纏へり
聞く人のありてし音はあるものか過疎なる村に瀬音の高し
闇に聞く音は異なる貌を持つ虫鳴く先に潜む雨音
信仰を秘する人等の守りぬるマリア観音目元の優し
森中に隠るる如く鎮もれる切支丹墓地にこほろぎの鳴く
信仰と漁に生くるか集落の礼拝堂に潮の香ながる
家を出ぬ週末のあり独り居の心に降り来しづかなるもの
丸窓に庭の緑の区切られて遠くに秋の白雲ふはり
映像の消えゆく断片解き放ち夢の底より浮かび来る朝
十年を樽に寝かされし泡盛の喉の奥処にとろりと緩む
星落つる夜の霧のなか角笛の自由の響きか香港の声
黒マスク雨合羽着る若き等を励ます歌よ「願榮光歸香港」
嬰児を抱きてデモの隊列に加はる母は車椅子なり
高御座御立ちの君のこの国を背負ふ覚悟や厳し御面よ
台風の近づく夜を独りして汲む燗酒のしづけし喉に
野分過ぎ風倒木に付きて鳴く九月の果ての蝉は逞し
眠さうに車窓見遣れば外つ国に船の向かふや白き煙吐く
霧深き里山の朝雉鳩の羽毛のなかに頭をうづむ
赫き火に滅ぶ首里城かの日より那覇の友よりメール未だなし
中国語ハングル英語響き合ふ富士山仰ぐ野天の湯壺に
核憂ふ教皇の声長崎の丘を響むる雨のしとどに
父母の声の若きを夢に聞く記憶の底に吹く風白し
気が付けば亡き人達に呼び掛る時の増えたり師走近づく
賀状書くひとひなりけり永らへて年を迎へむ人人に宛つ
トンネルを過ぐる車窓にまみえたる吾うちに住むひとりの他人
午後二時の赤み帯びたる窓の陽の手許に延びて冬至近づく
新月の月の真裏は満月なり見えざるものの美しき思ふ
裏側を人類知りて六十年黙す月読雲間にのぞく
人のゐぬ島になほ住むシロとはな尾を振り船の人を見に来る
AIの美空ひばりが愛歌ふ冥府知りたる貌を見せつつ
暁の野天の湯より帰るさの雪の猛りが我が身貫く
永き時座を組む雲水座りたる無言の壁に陽の影深し
只管打坐訥訥と説く雲水に若き己をふと重ねつつ
鴻(ひしくひ)の羽をやすらふ湖の水底にある地図になき村
砂の丘さまよひゆけば雲低き空に抗ふしらとり白鳥の群れ

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