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この太陽の塔は、そっぽを向いているのか?

先に断っておく。
万博の話じゃないので、それに興味があった方は、さようなら。よかったら、また来てね。


#やさしい日本語
普及推進会の講座に、4期生の藤岡郁弥さんが来てくださって
「見えないのに見えること、見えるのに見えないこと」
というテーマでお話をしてくれたときのこと。
(藤岡さんについて知りたい方は、以下のリンクへどうぞ)

「見えない」というのは、一般的に視覚情報が失われている状態をいうんだけど、実は視覚以外の情報で補ったり、なんなら、視覚以外の情報のほうが、ある意味では”雄弁”だったりするよねー みたいな話で盛り上がった。

ブレイクアウトルームでは、ずーーーと前に『ASCII24』というオンラインニュースで取材させてもらった、
#ダイアログインザダーク

のしくみや体験してっみた感想、
#グッドデザイン賞
をとった、遠隔就労・来店が可能な分身ロボットカフェ
#OriHime
の話をシェアした。

メインルームに戻ってから、藤岡さんへの質問がたくさん飛び交い、
「服装は気にしますか?」
みたいな、ある意味で遠慮のない問いかけもあった。
人間関係ができていないと、そんなこと質問するのは失礼というか、悪いというか、相手が傷つくんじゃないかとか・・・まぁ、いろいろ考えてしまう。
でもさー 気になるよね。

見えない人のファッションについては
写真家で美術鑑賞者として知られる白鳥健二さんが、こんなことを言っている。

全盲の人は、だらしなくなっちゃうか、だらしくなくできないかのどちらか

「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 伊藤亜沙 

意図的に(おそらくは他者からの評判を気にしつつ)着崩す ということが苦手なのではないか? とのこと。

つまり、見えないのは
・その服を着た自分の姿
だけではなく
・「その服を着た自分の姿」を見た他人の様子
でもあったりするというわけだ。

たしかに、他人の目を気にしなくなると、服の選び方は大きく変わる。
私だって、まだ婚活マーケットの売場に並んでいる自覚があったときは、異性ウケしそうなファッションやメイクを考えたり試したりしたし、コンサバティブな企業の社長さんに会うとなったら、着たくなくても地味なジャケットをまとう。

古いジャージを着ていたとして、
ご近所のコンビニまでいける?マズい?
宅配の人が来たら出られる? 相手による?
友だちなら? いや、友だちのほうが、むしろ無理?
じゃ、家族なら???

そういう話を延々していると、そのうち誰かが
「自分で考えているほど、他人は自分のこと気にしてないって」
という説を出してきたりする。
自意識過剰だよ! と言っているのかもしれないが、さきほど白鳥さんの言葉を引用した伊藤亜沙さんの本には

見える人には必ず「死角」がある

という話があり、おぉ✨ そっちのほうが、より核心をついているかもしれん! と思った。さぁ、やっとこさ 太陽の塔 の出番である。

「太陽の塔の絵を描いてください」

と言われたとき、
視覚がある人で、このコラムに挿入させていただいた写真の絵を描く人は珍しいだろう。こっちは

「裏」

だと思われているからだ。あくまでも、見える人にとっては。

同様に、太陽の塔に「顔がいくつあるか」と言う問いに対しても、「表」と呼ばれる顔が浮かんだ人は、1つないし、2つと答え(上下にふたつ並んでいるからね)、「裏」と呼ばれる顔があると知っている人は3つと答えて「私、通でしょ」としたり顔になったりする。

ただ、大阪の民俗学物博物館でユニバーサルアートを広めようとしている広瀬浩二郎さんの解説によると、
見えない人にとっては、「裏と表」もなければ「内と外」もない。

視覚がないから死角がない。

とのこと。
ただのダジャレじゃないですな。深いですな。

そういえば、神戸を代表する企業のひとつであるフェリシモには、
裏表のない世界 というアパレルブランドがある。

障害をお持ちの方にも企画や試着に協力してもらい、「ゆるスポーツ」で知られる澤田智洋さんと一緒に立ち上げたアパレルだ。
まだ買ったことないんだが、ヘラルボニーの次に注目している(一番やないいんかーい)。

広瀬さんの「てんじつきさわるえほん」
は、LLブック的な要素をはらんでいて、マイノリティを救う本なのかと思いきや、点字が読める人、触覚が強い人にこそ、より楽しめる要素が入っていて、とても興味深い。

ダイアログインザダーク、ゆるスポーツと同様に、
強者/弱者 の決めつけから、私たちの気持ちを解放してくれそうな本だと思っている。イラストを描いている日比野尚子さんとは個人的な知り合いだが、彼女は広瀬さんが好きすぎて、お手製のカードに自分で点字を打ち込んだりするようになった。なんか、ちょっとわかる。伝播力がすごい。

見えている人にとって、空間や面には価値のヒエラルキーがあります。まさに「面」という言い方に価値の序列がダイレクトにあらわれています。
(中略)
その反対は機械的に「裏面」とされます。(中略)「裏の顔」「裏口入学」「裏社会」といった言い回しにそのニュアンスは明らかでしょう。
先天的に見えない人の場合、こうした表/裏にヒエラルキーをつける関学がありません。
(注釈)
すべての面を対等に扱う「視点抜きの見方」だからこそできる把握の仕方です。

「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 伊藤亜沙 

このあと、盲学校美術の先生が、粘土で立体物をつくる授業で、
壺の内側に細かい細工を施す生徒がいたエピソードを紹介していました。
見える人間からすると、見えないところに手をかけるのはムダだと考えるか、何かを隠すような意図でつくったのだと勘ぐるか・・・になりそうですが、本人にとっては内側と外側とは等価であり、ただただ手に触れる「表面」に細工を施しているだけ、と。

なんとも衝撃的でした。


すっかり長くなってしまいました。

続きは別コラムにて。

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