口をぱっくり開けて待つ拉麺屋

 喰っているのは客のようでいて喰うのは拉麺屋である。たいてい閉じている門扉を遠慮がちに開けば、待ち受けるのは忙しさを充塡させた店員である。相変わらずの視野狭窄で入ってすぐ右の食券販売機が目に入らない。調理中の店主が重く口を開けば逃げ場は便所ぐらいしかない。混乱のまま逃げ帰ってもよいのだが居並ぶメニューが阻止する。ノーコートンコツショウユ、ノーコーギョカイトンコツ、シオトンコツ…混乱の中で早くも薄れゆく意識を繋ぎ止めるメニュー。額から滴る汗が頬を伝い、唇にかかる瞬間、わたしは電撃のごとく決断する。
「ん~、塩豚骨拉麺」

 わたしの血中塩分濃度より濃いスープが出来することを祈念して着座する。提供前に店内を見回すときが最も安らぐ時間である。この店は入口からカウンターが最も狭い通路になっており、奥まった場所には座敷席が広がる。店舗の扉を口だとすれば、わたしが着座しているのは食道の噴門付近である。そのすぐ奥には胃の広がりが待っている。来訪者を溶かすべく待ち受ける胃たる座敷席は意外にも多くの女性で賑わっている。若い女性もいる。エロい女性もいる。シュッとした男もいる。エロい想像は自由である。店裏へつながる勝手口はさながら十二指腸。積み上げられた食材は十二指腸潰瘍さながらである。厨房につり下げられた重厚な鍋や調理器具は胃壁の凹凸を表していて、ある種のポリープである。必要に応じて、店主が切除していく。壁紙のキャンペーンガールはただの胃壁である。そう念じて、食事を前には異なる欲求の加速度を落としておく。

 わたしはやや暴走した妄念から自らを摘出し、提供された塩豚骨拉麺と真夏に対峙する。後頭部に吹きすさぶエアコンからの強に違いない冷風がわたしの進軍を後押しする。しかし、待ち受けるのは飛来する選択の礫である。プラスチック箸で喰うのか割り箸なのか、水はセルフなのか店員が忘れられているのか、紅生姜が載っているではないかうれしいが、どう喰えばいい、混ぜて紅色が落ちてクレンジング後を楽しむべきかチャーシューに載せていただくのか。だいたい、お気軽に頼んでいいはずのすだち果汁をマストと捉えながら、麺を啜り始めてしまった今ではタイミングを逃しすぎていて、気を利かせた店員が訊いてくれるなり、そもそも一緒にサーブするなりしてくれないとわたしには手出しが不能である。わたしの憤怒に満ちたまなざしを理解した店員は果たしているのか。わたしは敗走する。拉麺ではない、選択に破れたのである。

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