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「第2回ヤングケアラー・若者ケアラー支援シンポジウムに参加して」

世田谷区の「第2回ヤングケアラー・若者ケアラー支援シンポジウム」に参加した。
初めて自分からヤングケアラーという言葉に向き合って、澁谷先生にお会いしたのは1年前のこのシンポジウムだった。
ヤングケアラーである自分を見つめなおして、いろいろなところで自分の話をして本当によかったと思う。
以下は、今回の感想。
・母親に障害のある14歳の女の子が家事や弟の世話が大変で学校生活に影響が出ていたが、様々な制度を利用することで介護負担が減ったという内容の劇を見た。実際は、様々な制度を負い目無く使えるのだろうか。自分が力不足なばかりに、たくさんの人を巻き込み、おおごとにしてしまったと感じることはないのだろうか。私は自分の生活(学校生活)にはケアが何も影響を及ぼしていなかったためにそう思うのだろうか。また、今回はヤングケアラーに着目した話ではあるが、ほかの家族それぞれの意見も気になった。特に父親にはもう少し登場してもらいたかった。

・ヤングケアラーたちがケアを担うことを通して身につけたプラスの面を言語化する→「忍耐強い」とか、「思いやりがある」とかは個人的なものであって、今現在まだ社会的な評価につながらない気がする。子供たちが評価されることは、勉強とか部活とかであることが多く、ケアは評価の対象になりにくいと思う。「お家のお手伝い」は、家の人にとってはありがたいことだとしても外からの評価にはならないのでは。家の手伝いだと言い訳して部活をさぼってる、とか。
・ヤングケアラーは、既存の行政の制度ではなかなか対応しにくい存在→最近、ホームヘルパーはいろいろな縛りがあると知った。我が家の状況とヘルパー制度は合わないからヘルパーを使わなかったのかな。行政が縦割りでなく一括で対応することが大事◎
・子供時代にほしかった支援→たまに聞かれるけどわからない。
・自分のせいかもという罪悪感→それはあった。高校生の頃のメモにも贖罪って書いてある。
・「死にたい」、自分は母の生きる理由にはならない、自分の感情や気持ちは考えたことがなかった。→切ない。私も、母にとって私は何なのかと考えてしまうことがよくある。
・高次脳機能障がい者の子供の会つくりたい。身体障害もかな。合わせて脳損傷患者の子供の会。「麹の子」「こうじっこ」とか?高次脳機能障害のある子供みたいになってしまうかな。Cozy(コージー) …居心地の良い、も使ってみたい。
・各地にヤングケアラーが集まれる場があるといいと思う。横浜ヤングケアラーヘルプネットのお二人が4月に茨城に来てくださったことについても書きたい。
・ネウボラ…妊娠から就学まで担当の保健師が家族の健康を支援するフィンランドの制度。
・ヤングケアラーはどこまで親のケアをするのか。お金があればなんだってできるのにな…そして結局誰のための支援なのか。
・ホットライン的なものがあったとしても、子供が知らない人に電話かけるのはハードル高いのではないかと思ったり。そもそも相談するとは…?サービスを利用したいんじゃなくて、“相談”がしたいけど、そういうのって公の立場の人とは難しいと思う。
・健康福祉課長さんが、子供と一緒に何が必要か考えたいとおっしゃっていて、それは良いなと思った。
・信頼できる人の探し方や、人との距離感の取り方が難しいと感じていたことを思い出した。

1年前は「ヤングケアラー」という言葉をなかなか受け入れられていなかった。
これからは本格的に母の福祉サービスを考えていくことになるので、今までよりは素直に「ヤングケアラー」という言葉に頼りながらやっていこうと思う。


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