お母さんのこと忘れちゃったら

「お母さんのこと忘れたらごめんね」を読んで

 小学生の夏休みの読書感想文のようなタイトルになってしまった(笑)でも実際私は夏休みだし、自分の中での課題図書も多い夏だったのでまあいいか(←国試の勉強をしろ)

 高次脳機能障害のある母の福祉サービス申請に本格的に取り組むと決めたが、右も左もわからず同じ県の家族会の方にメールで相談させていただいたところ、この本をいただいた。会ったことも無い私の相談を親身になって聞いてくださっただけでなく、本まで下さって本当にありがたかった。

 『お母さんのこと忘れたらごめんね』は、作者の石崎泰子さんの娘さんが抗NMDA受容体脳炎という病気になり、後遺症として高次脳機能障害が残った経緯をまとめたものである。

 私は日ごろ、元ヤングケアラー・現若者ケアラーとして「当時者の子供の立場」で日常を振り返ることが多いが、この本を通して当事者の親、当事者本人の立場から感じる気持ちを改めて考えることができた。

 当事者の親の立場。本に登場する作者の娘の美香さんは9か月もの間意識を失っていたそうだ。私の母も交通事故後、3か月ほど意識を失っていたらしい。祖母と祖父は当時18歳の母の振り袖姿を見ることを半ばあきらめかけ、棺桶には振り袖をいれてやろうと思いながら過ごしていたそうだ。その時の気持ちたるや、想像してもしきれない。親が子を思う気持ちは、時に子が親を思う気持ちに勝るのではないかと思う。私には母のために自分の全てを投げ打つほどの覚悟は無い。しかし、親は違う。そう考えると、母のことについて祖母から私への期待がどうしても大きくなってしまうことも理解できた。美香さんの意識が回復した後の一見わがままに見える行動に辟易する様子も描かれていたが、基本的には娘が可愛いという気持ちが大きいと思う。残念ながら私は母を可愛いとは思っていない(笑)親は発病前の子供のことを知っている。高次脳機能障害によって大きく変わってしまった様子にはショックを受けることもあるだろうが、それでも子供の好きなもの、元々の性格を知っているというのはうらやましく思った。私は「高次脳機能障害のある母」しか知らない。何を聞いても数分で答えが変わったり、要領を得なかったりするので、「本当の母」はどう思っているのか全く分からない。娘の私に関することでさえも覚えていられない様子には悲しさすら覚える。「母」という一人の人間に対する絶対的なもの、そこに存在しているのが「母」であるという安心感を感じられない。私は母の好きなものがわからない。どんな性格の人かもわからない(好ましくない性質はすべて高次脳機能障害がそうさせていると思っている)。小さい頃は無条件にママが大好きだったと思うが、今はそれが揺らいでしまった。母は私をどう思っているのか、母が私にしてくれたことは何か、わからない。私も祖母のように、発病前の一人の人間としての母を知ることができれば。私の質問に対して障害ゆえの答え(直近に覚えたものなど)しか返せない母では無く、母本人の気持ちから出る答えを返してくれる母がいれば。当事者の親の立場には、想像できない苦しみだけでなく、少しのうらやましさも感じた。

 当事者本人の立場。これは画期的だった。前述の通り、私は「高次脳機能障害のある母」しか知らない。それはまるで「何もわかっていない」かのようにさえ見える。たまに意思らしいものを訴えても、それが「母本人の意思」なのか「高次脳機能障害のある母の意思?」なのかわからない。コロコロと意見が変わる様子や作り話をする様子を見ていると、やはり高次脳機能障害があるがゆえに発されている言葉に過ぎないのだな、と思う。ところが、美香さんは、本の中で病前の自分と今の自分の違いを理解しているような言動をしている。

 まず、発病したときの「入ってくる!」「壊れる!」「頭の中がヤバい!」といった発言がとても衝撃的だった。脳が壊れるとき、それを理解できるのか。とても興味深いと思った。(「交通事故で頭を強打したらどうなるか? 」という本も読みたいと思っている。)

 そして、意識が戻ってからは、「本当の私は、こんなんじゃない」と話していることや、残されたメモから、「本来の自分」と「高次脳機能障害が残った自分」とのギャップに美香さんが苦しんでいる様子が描かれている。私の母は病識が欠如していることもあり、一見するとただただあっけらかんと開き直っていて、美香さんのように本来の自分とのギャップに苦しんでいるような様子は到底見受けられない。その様子は時に腹立たしく思う。(本の中では、美香さんは落ち込んでいることを引きずらない、という表現が出てくるが私の母はそもそも落ち込みすらしない)そんな母も、見えないところでは美香さんのように本来の自分とのギャップを辛く思うことがあるのだろうか。そもそも、今の母の中に、「病前の母」「本来の母」は存在するのだろうか。もしそうなら、「本来の母」の部分は、私を大切に思ってくれているのだろうか。高次脳機能障害というフィルターの奥には、強く優しい母が存在しているのだろうか。

 細かい感想としては、高次脳機能障害についての体験記を読むといつも思うが、「うちだけじゃないんだな」ととても安心した。私の父はいつも母の言動に対して文句を言っているが、一度、高次脳機能障害をもつ方のご家族の本を読んでみたらよいのだ。「仕方ないことなんだな」とあきらめがついた方が日々いらいらせずに過ごせる。また、美香さんが高次脳機能障害の診断をした病院として国立リハビリテーション病院が登場するが、私も母に2週間の評価入院を受けてもらえたらどんなによいだろうと憧れていた病院だったので、さらに母を連れていきたいという気持ちが膨らんだ。

 改めて、このような素晴らしい本をくださった同県の家族会の方に感謝したい。今後は、元ヤングケアラー・現若者ケアラーとしての体験を話すことだけではなく、高次脳機能障害についての理解を広めるようなことにも積極的に取り組みたい。

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