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時をかける父と、母と

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若年性認知症の父と、がんで逝った母について、30代の私が記録したエッセイ。幻冬舎×テレビ東京×noteのコミックエッセイ大賞にて準グランプリを受賞。
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#生と死

私が笑えるために書いた -『時をかける父と、母と』Vol.2

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 vol.2 私が笑えるために書いたさて、ここ数年の私は、人生の中で、父に一番冷たい態度をとるようになってしまっている。 認知症の家族が大抵そうなっていくように、日々同じ質問をされたり、様々なことがわからなくなっていく父に対して、毎日穏やかな言葉を選んで優しく説明してあげることなど、到底できない。 いままで私には大きな反抗期がなく、洗濯物を一緒に洗わないでほしい時期もなか

母のアドレナリン -『時をかける父と、母と』Vol.15

Vol.15 母のアドレナリン亡くなる1ヶ月半前の、随分と体調が悪化していた頃、母は幕張メッセまで、4時間のスタンディングライブを見に行っていた。これはかなり無茶な行為だったけれど、その日のステージは素晴らしかったようで、母はとてもとても、嬉しそうだった。 ときに母の行動は、「そんな無茶な」と反対しても、しきれない力が働いているとしか思えないものだった。母のエネルギッシュさには本当に驚かされ、そして目の前のことをいつも楽しんでいる母に、私はずいぶんと救われた気がする。 し

母を亡くす準備はいつだってできていない -『時をかける父と、母と』Vol.16

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.16 母を亡くす準備はいつだってできていない検査結果を聞いてから5日後。外出先から帰ると、家にいた母が痛みを訴えていた。すぐに救急車を呼んだ。 救急隊員に状況説明をするが、経験のないことばかりで私はとにかく焦ってしまっていた。母は痛がりながらも意識ははっきりしていて、「保険証用意して」などと、どこか冷静だった。 母の病院は自宅から少し離れていたため、一度は緊急性

母が逝った日 -『時をかける父と、母と』Vol.17

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.17 母が逝った日12月15日土曜日。朝8時に、私を心配してくれた友人から連絡が来ていた。 友人からのとても優しい言葉に包まれながらウトウトと二度寝をしたら、夢を見た。 夢の中では母がうちにいて、自分の足で立って歩いている。そして気づけば母と父は一緒にお風呂に入っていた。両親の名誉のために言っておくと、そんな場面は生涯一度も見たことがない。 お風呂から上が

はじめてのお葬式準備-『時をかける父と、母と』Vol.18

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.18 はじめてのお葬式準備さて、人が亡くなると、一息ついている間もない。 母の体を病院から霊安室まで送るのを見届けたその足で、その日の夕方から葬儀の打ち合わせをする。喪主は兄で、とにかく兄弟でなんとかしなければならない。葬儀への細かいこだわりが強かった母は、入院中にも細々としたリクエストをしていた。 とにかくいろいろなことが後手に回っていた私たちは、葬儀会社の

母はどこにいるのか問題 -『時をかける父と、母と』Vol.19

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.19 父の寂しさが流れ込んでくる告別式を終えた翌日。朝ごはんを食べようかと思う頃に父が起きて来て、なんと喪服を着ていた。「今日お葬式かと思って」という。 昨日終わったじゃん、うまく話してたよ、というと、少し不安そうに、「そうだったかなあ。おれ、うまく喋ってた?」という。 隠し得ない父の寂しさが流れ込んでくる。私だって寂しいんじゃい。 ある日父が、「お母さんの

おわりに -『時をかける父と、母と』Vol.21

Vol.21 おわりに 時をかける少女 愛は輝く舟 過去も未来も 星座も越えるから 抱きとめて 「時をかける少女」(作詞:松任谷由実)の歌詞の一節だ。 父はいまも、時をかけている。 過去も未来も、たぶん星座だって超えている。 だとしたら、母とも頻繁に会っているのかもしれない。 私はそんな父が、少し羨ましい。 母の死からおよそ半年あまりが経って、この原稿を書き終えた。 もう半年。されど半年だ。 そしてこれを書き終えた現時点の父は、この原稿の中よりもさらに少しずつ『進化』