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時をかける父と、母と

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若年性認知症の父と、がんで逝った母について、30代の私が記録したエッセイ。幻冬舎×テレビ東京×noteのコミックエッセイ大賞にて準グランプリを受賞。
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#病気

『時をかける父と、母と』 vol.1

父は66歳で、若年性のアルツハイマー型認知症であるという診断を受けた。一方で母は61歳で、がんステージⅣと診断された。そんな33歳の娘がイラストも含めて記録したエッセイです。 『時をかける父と、母と』vol.1 はじめに我が家には、時をかける少女、ならぬ、『時をかける父』がいる。 主な生息場所はリビングのソファかダイニングテーブル。大概テレビを見ているか寝ているか食べている。 父は66歳。若年性のアルツハイマー型認知症であるという診断を受けた。 今日は何日? いまは昼な

私が笑えるために書いた -『時をかける父と、母と』Vol.2

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 vol.2 私が笑えるために書いたさて、ここ数年の私は、人生の中で、父に一番冷たい態度をとるようになってしまっている。 認知症の家族が大抵そうなっていくように、日々同じ質問をされたり、様々なことがわからなくなっていく父に対して、毎日穏やかな言葉を選んで優しく説明してあげることなど、到底できない。 いままで私には大きな反抗期がなく、洗濯物を一緒に洗わないでほしい時期もなか

かつての父はアメリカ人 -『時をかける父と、母と』 vol.3

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.3 かつての父はアメリカ人父は本来、アメリカ人みたいな人だった。 わりと豪快な性格で、家族(特に娘)に甘く、外資系企業で勤めていてよく働き、ぺらぺらと英語をしゃべり、比較的誰とでも仲良くなるが合わない人とは合わないと決別する、フランクな性格。 基本的にはレディファーストで、人の後ろを歩くのが好き、というか後ろを歩かれるのが好きではない。ちなみに父はゴルゴ13では

60歳でアメリカ一人暮らし -『時をかける父と、母と』 vol.4

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 vol.4 60歳でアメリカ一人暮らしそして60歳になった父に、なんとアメリカはフロリダ州で、会社の支所長をやらないかという話が舞い込んできた。 テレビを買ったことを忘れてまた買ってきているような父だ。記憶が危うくなってきているし、そもそも基本的に家事は専業主婦の母任せだった父が一人で生活ができるわけがない! という家族の心配を押し切って、なんと父はアメリカへ、初めての単

母の入院とがんの発覚 -『時をかける父と、母と』 Vol.9

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.9 母の入院とがんの発覚ある日、母からLINEがきた。どうやら具合が悪いという。 日常的に連絡はよくとっていたが、母から体調不良を訴えられることはあまりなかった。 文面からなんとなく嫌な予感があり、ちょうど出先から帰る途中だったので実家に寄って帰ることにした。 ふだんはこまめに返信が来るのに反応が遅い。LINEの既読もつかない。心配になり家につくと、顔色も悪く苦

デイサービスを利用しはじめた -『時をかける父と、母と』 Vol.12

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.12 デイサービスを利用しはじめたということで施設Bと契約をかわし、はじめは恐る恐るの週1回利用。朝の10時頃に車で迎えが来て、16時くらいまで時間を過ごしてから、家まで送迎してくれる。連絡帳のようなものを渡してくれ、職員さんがその日の状況を報告してくれる。きっと子供の『慣らし保育』に似ていて、はじめは早い段階で「なんでこんなところにいるんだ。早く帰りたい」という

父の『進化』がめまぐるしい -『時をかける父と、母と』 Vol.13

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.13 父の『進化』がめまぐるしい自分の書いてきた記録をたまに遡ると、父の『進化』があまりにめまぐるしいことに気がつく。 1年前、2年前、3年前、ひいては5年前、10年前は、いまと色々なことが違いすぎて驚く。いまテレビの前で動かない父の姿ばかり見ていると、過去の父のことを忘れてしまいそうになる。 病気になりたくてなったわけじゃないこと。父も、家族みんなも、こん

母の病状が進行している -『時をかける父と、母と』Vol.14

Vol.14 母の病状が進行している父の福祉的サポートはサイクルができて安定してきた。もはや父の病気を疑う人はいない。けれど自分も家族も、そして母自身も、母の病気は存在しないものだと信じたい、そんな感覚があった。 抗がん剤治療をはじめた母は、薬によって副作用が強く出ていた。 投薬の方法も薬の種類によって異なるが、例えば3週間に1度点滴をして、2週間服薬、その後1週間休薬をしてまた点滴と服薬、といった周期で通院治療をしていた。 母はがんの専門医療病院に行っていたが、初めて同

母のアドレナリン -『時をかける父と、母と』Vol.15

Vol.15 母のアドレナリン亡くなる1ヶ月半前の、随分と体調が悪化していた頃、母は幕張メッセまで、4時間のスタンディングライブを見に行っていた。これはかなり無茶な行為だったけれど、その日のステージは素晴らしかったようで、母はとてもとても、嬉しそうだった。 ときに母の行動は、「そんな無茶な」と反対しても、しきれない力が働いているとしか思えないものだった。母のエネルギッシュさには本当に驚かされ、そして目の前のことをいつも楽しんでいる母に、私はずいぶんと救われた気がする。 し

母を亡くす準備はいつだってできていない -『時をかける父と、母と』Vol.16

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.16 母を亡くす準備はいつだってできていない検査結果を聞いてから5日後。外出先から帰ると、家にいた母が痛みを訴えていた。すぐに救急車を呼んだ。 救急隊員に状況説明をするが、経験のないことばかりで私はとにかく焦ってしまっていた。母は痛がりながらも意識ははっきりしていて、「保険証用意して」などと、どこか冷静だった。 母の病院は自宅から少し離れていたため、一度は緊急性

母が逝った日 -『時をかける父と、母と』Vol.17

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.17 母が逝った日12月15日土曜日。朝8時に、私を心配してくれた友人から連絡が来ていた。 友人からのとても優しい言葉に包まれながらウトウトと二度寝をしたら、夢を見た。 夢の中では母がうちにいて、自分の足で立って歩いている。そして気づけば母と父は一緒にお風呂に入っていた。両親の名誉のために言っておくと、そんな場面は生涯一度も見たことがない。 お風呂から上が

はじめてのお葬式準備-『時をかける父と、母と』Vol.18

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.18 はじめてのお葬式準備さて、人が亡くなると、一息ついている間もない。 母の体を病院から霊安室まで送るのを見届けたその足で、その日の夕方から葬儀の打ち合わせをする。喪主は兄で、とにかく兄弟でなんとかしなければならない。葬儀への細かいこだわりが強かった母は、入院中にも細々としたリクエストをしていた。 とにかくいろいろなことが後手に回っていた私たちは、葬儀会社の

母はどこにいるのか問題 -『時をかける父と、母と』Vol.19

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.19 父の寂しさが流れ込んでくる告別式を終えた翌日。朝ごはんを食べようかと思う頃に父が起きて来て、なんと喪服を着ていた。「今日お葬式かと思って」という。 昨日終わったじゃん、うまく話してたよ、というと、少し不安そうに、「そうだったかなあ。おれ、うまく喋ってた?」という。 隠し得ない父の寂しさが流れ込んでくる。私だって寂しいんじゃい。 ある日父が、「お母さんの

忘れゆく父のためにできること -『時をかける父と、母と』Vol.20

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.20 忘れゆく父のためにできること奇しくも私は、33歳で、母の死と父親の介護に直面することとなった。長男である兄は37歳、次男の弟は24歳。平均より10年から20年は前倒しで物事を経験している感覚だ。 同年代の友人と介護認定や入所施設の話をすることもなかなかないので、友人のご両親のほうが話が合うかもしれない。 2019年の現在、父の入所施設を探している。 母が他