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公立高校は受験を認めるべきだったのでは?

こんばんは。

先日、福岡県で中学校で高校入試の願書を中学教諭が提出期限までに出願できず、願書の受取を拒否したために中学生3人が受験できなくなったとのニュースがありました。中学校の校長が高校に交渉したそうですが、高校側は「例外を認めるわけにはいかない」とのことで願書を不受理にしたそうです。

もちろん、中学校が願書の提出期限を間違えていなければこのような問題が起こらなかったことは確かです。しかし、わたしは、高校が願書を受理すべきだったと考えております。受験を希望していた中学生に過失がないですよね。

ミスが認められないことが時としてあること、それ自体に問題ないと思います。しかし、他人のちょっとしたミスで自分の人生を狂わされる理不尽を今ここで中学生に体験させる必要はないかなと思います。少なくとも、教育上ためになる良い効果はないでしょう。

この件で提訴しても被害者側が納得できない結果になる予感がして仕方ない

中学校の過失が認められるとは思いますが、せいぜい精神的苦痛程度だと思います。年収に関して、この高校に入れなかったからこれぐらい生涯年収で損失を被ると言えればいいのですが、これは、被害を受けた中学生の学力にもよりますし、最終的に受験できなかったところよりいいところに入れてしまった場合には被害額ゼロですよね。

高校を訴える手もあるのかなと思います。高校にも過失はないので過失を認めさせるのも難しいと思います。ただ、ここは公立高校であり、公立高校は社会インフラの役割もあると思うのです。

教育基本法のこの条文使えませんかね?

すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。

教育基本法第四条

なんとなく日本国憲法からコピペされている感じのする、やましい大学生が作った条文みたいですが(失礼すぎますね)、要は差別禁止ですよってことです。中学生がコントロールできない教諭のミスを理由として受験の機会を奪うのは、広い意味で教育の機会を剥奪していますよね。どうでしょう? ちょっと難しいですかね…… 一般に、社会的身分に学歴を含めませんし、その中学校には選んで入っていますからね。

こんなこと言わずとも、教諭の不手際を理由に中学生の受験を認めないことは、社会通念上相当と認められないと裁判所が判断してくれるかもしれません。少なくとも、この高校が提示している締切というものは、願書を高校に持っていく中学校に課されたものですから、これの締切が守られなかったが故に中学生に受験の機会を与えなかったのはやりすぎだと思います。因果に対して結果への影響が大きすぎます。

なお、高校の不受理とした関係者を訴えてもダメです。これは、公立高校ですので、関係者は公務員です。公務員は個人の賠償責任を外から負わされることがないようなことが法律で定められているからです。したがって、ここでいう「高校を訴える」は実際に高校や高校の関係者を訴えるのではなくて、設置者となる地方自治体を訴えることになります。

(最後に)ミスを認められない社会は脆弱

ミスを認められない社会というのは脆弱です。ミスを隠すようになります。それで困るのは社会です。部外者のわたしは、今回の願書不受理事件を、先生もミスをするんだから受験を認めようよと言うしかできませんが、その声が「社会通念」をつくるのであります。

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