「打席に立って失敗数を増やすこと」が腑に落ちた日
2024年10月15日。
「打席に立つ、失敗数を増やすことが大事」
この言葉がしっかりと腑に落ちた記念日として、感想ともメモ書きとも言えるようなものを書き残しておきたい。
この日は、日本仕事百貨さんが主催する"文章で生きるゼミ"の初回だった。
文章や編集を生業にしている方々が登壇され、主に「文章で生きる」ことを目指す人が集まるゼミで、私はオンライン参加をしている。
今回は、株式会社マガジンハウス〈こここ〉編集長で、株式会社きてん企画室代表の中田一会さんが登壇。ご自身の経験から導き出された文章に携わる上での"ツボ"とも言えるキーワードを8つ紹介いただいた。その中に「同じ自己紹介は二度としない」というものがあり、つまりは「言葉を世に出す機会(打席)を増やす方法を考えてみよう」ということだった。
私は不特定多数の人と話すことが大の苦手で、すべてのコミュニケーションが文字で完結するならそうしたいと考えているタイプの人間だ。そして、文章で生きられるなら話すことが得意にならなくても良い、と思って過ごしてきた。でも、そうではないのかも?文章を書くということと、話すということは同じ「言葉を世に出す機会」なんだ…とかなり新鮮な驚きを感じた。この発言があったのが、主に文章/言葉を大切にされている中田さん、ナカムラケンタさんからだったから、という理由が大きいかもしれない。
そもそも、なぜ話すことが苦手なんだろう
講義が終わった後、自分はなぜ話すことが苦手なのか、を深掘りしてみたいと思った。自分の瞬間的な発言や表情が相手に不快感を与えないかが心配。相手の発言に対して返したい内容が咄嗟に3つほどぽぽぽんと浮かんでしまって、どれを選べば良いのか、どう組み立てれば良いのかわからなくなる。逆に、相手の話に対して何の感想も質問も浮かばず沈黙する可能性があると怖い。話し方がもったりしているとか、声が小さいとか言われたことがトラウマとしてある……。
こんなところだろうか。結局、相手にどう思われるかを瞬間的に判断し続けなければならないこと、さらには自分が思い描く「すらすらと話せる自分」ではない状態を見せなければならないのが怖いのではないか。そうか。なら、その完璧主義的思想をなくす練習をしよう。そして、普段から文章を書いて、自分の中の言葉を整理整頓しておくことも、話す時の思考整理に役立つんじゃないか?と思えた。
同日、スタンミじゃぱんさんの配信の中でも、打席に立つことについての話があった。
概要としては、
自分の活動を知ってもらうには色々な場所(SNS等)で小出しに発信すること
遠い成功を設定すると挫折するから、目標は近く/小さく
結果のみを追い求めるのではなく、過程を楽しむ(楽しめるものだけやる)
自分の世界の外に出ることで、様々な可能性が転がっている
というもので、つまりは、自分が本当に心の底から楽しめることを地道に続けて行くこと、そして外に発信したり気になった場所に訪れてみることで思いがけない体験やさらなる挑戦が待っているということと理解した。
じゃあ自分に落とし込むと?
ここまでの話を自分に落とし込むとどうなるだろう、と考えてみた。
まず、毎日3行でも良いからその日起きたことを日記に書いてから寝よう。(打席を増やす・発信する・目標は小さく・頭の中を言語化して整理する。)
そしてなるべく外の世界に出よう。(打席を増やす・新しい挑戦の芽を見つける。)
最後に、失敗や完璧でない自分を恐れない練習をしよう。うまく話せなくても良い。すごいと言われなくても良い。少なくともこのnoteという場所では、何を伝えたいかわからない文章でも良い。どう思われるかを必要以上に怖がらなくても良い。
思い返してみれば「成長するなら質より量」という言葉はこれまで何回も目にしてきた。なぜ今、ここまで腑に落ちるようになったんだろうか。それは、私がこれまで真逆の「量より質」さらには「質を保った量」を追い求めてきたからだと思う。完璧であること、クオリティが高いこと、常に100%以上であることが大切だと思ってきた。そして、灰も残らないくらいに燃え尽きた。自分を壊してやっと、完璧なんて最初から無いのだ、と思えた。
とにかく、今は、書いてみよう。