非日常のような日常の集合体
誰に書いているか分からないけれど、不定期更新をしているこのnoteも書こうと思っていたことをすぐに忘れ、また思い出す日々を送っている。
コロナウイルスのおかげで、色んな行事が延期や中止が決定されているが、このウイルスの終息などあるのだろうか、と最近考えていることがある。実際ここまで感染が拡大してしまうと、これからは終息よりどう死なないようにウイルスを弱体化させるかと言ったことに着眼するそんな研究者もいる。コロナウイルスは変異体が今回大量感染になっただけで、コロナウイルスは普通の風邪でかかる人も普通にいる、なんて言う方もいる。どの情報が正しいのか、それを取捨選択する必要がある。しかし、テレビやラジオ等のマスコミ、またネット上の情報には拡大解釈やら、憶測やら、事実と異なる記述やら、そういった類のものを含む場合が多い。またそういった情報は共有されやすく共感されやすい。
そのような方々はこの非日常な日常の集合しているこの時期に、そういった類の本や論文を読むのに当てた方が良いと思う。論文は、ある程度筋の通った文章だし、「現時点での常識」と思えるものが入っている。あくまで「現時点」なので将来研究が進んでいくとその論文の結論が覆ることもあるが、それもまた面白いと感じるのではないかと思う。必ずしも「現時点での結論=未来永劫の結論」の等式が成立するとは限らないし、それが成立する可能性は低いと思う。
なぜこのような話を私が今ここに掲載しているかと言うと、大学時代もあったことだが、ネット上の記事を複製してそのままレポート課題を提出することが多く存在しているからである。そのような記事を見て自分で考えるそういう場を排除して作成するのは良くないことだ、と感じる。自分で考えるために興味のある分野が現時点でどこまで研究が進んでいて、どこが足りていないのか、それを知るためには豊富な時間がいることだろうから、それに生かすべきだと思う。
また一般の方にもだが、1つの記事で一喜一憂せず、そういう研究をする研究者の論文まで読むことが大事になると思う。前に科学雑誌が日本では売れないというニュースを見たことがあるが、こういう時に科学雑誌に興味をもつ一般の方が増えたら良いなと感じている。因みにだが、私の親は文系出身ではあるが、私よりはるかに早くこういう雑誌を書店購入し、私に質問事項を投げることが頻繁にあった。
調べ物をしたいと思える世の中ができれば良いと感じている。調べたものをただ複製するのではなく、論理的にまとめ、発表できるだけの能力を自分もより一層持ちたいし、活用していきたいと思っている。苦手分野を克服する時間を持つのは、大変酷だと感じるが、興味関心がある分野を調べていて苦手分野に差し掛かった時、それはやらざるを得ないものなんだと認識して苦手分野をも意欲的に取り組むようになったら、どれだけ時間をかけても楽だと感じるだろう。
だから、私もこれからも食わず嫌いだったものをも意欲的に取り組み、吸収していける能力を身につけなければ、とこの非日常のような日常の集合体のこの期間に感じた。
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