知らない星との交信


先日、Twitterで被写体を募集していたCBさんに撮影をしていただける機会に恵まれた。
CBさんが被写体を募集しているコンセプトについては、ご本人のブログを読んでもらうのが早いと思うのでリンクを貼っておく。

僕はこのブログを読んだ時に、ヒプノシスマイクというラップコンテンツの楽曲である「Stela」が思い浮かんだ。

『叶うならいつか故郷が見たいな なら決まりだ あるのかもわからない 此処にいても変わらない では虚ろなこの船がどこへ着くのか賭けてみないか』
星を追われた元王様と盗賊と人の道を外れた科学者の、それぞれの掛け合いの部分なのだが、なんとなく似ているものを感じた。社会に馴染めなかったり、マジョリティに対する歪さに引け目を感じたり、なんとなく、ここではないと自分を取り囲んでいる空間にしっくりこなかったり……。そんな形容しがたい息苦しさや疎外感に惹かれるように、あるのかもわからない星を目指す。
だが、リリックにもあるようにそれは賭けだ。
「あってほしい」という願いは、「必ず存在する」に帰結するかどうかは誰にもわからない。

だけども、僕らはそれぞれがどこの惑星にも属せなかった、広くて暗くて果ても見えない宇宙を手探りで進む星で、きっと光度を表す等級も低い。そのあらゆる星をCBさんは尋ね歩き、小さな星を写真という形に残してくれる。
展示会はブログ内でのお写真でしか拝見したことはないが、それはまるで新たな星と星とを繋いだ星座のようだった。

僕らはきっとそのCBさんが繋いでくれた軌道によって、会ったこともない見知らぬ星と繋がることができたような気がした。
それこそ星座だって「あれとあれを結べばなんかいい感じの形になるんじゃね?」みたいな曖昧なもので(違ってたらすみません)僕らだって、繋がったと言っても実際に話したこともなければ、被写体になった方々はそうは思っていないかもしれない。
でも確かに、僕らは存在しているんだという証は残ったのだ。

今日、先日撮っていただいた写真が届いた。
A4サイズにプリントアウトされたそれに、僕は初めてしっかりと自分を認識することができた気がした。
今までコスプレイヤーとしてカメラに納まる機会は多かった。けれどそれはある意味なんらかの役を演じている自分だ。
地元で陽光に目を細め、ただそこに佇んでいるだけの自分は、まぎれもなくただの「僕」なのだ。あらゆるデジタルツールを駆使して、肌の粗をなかったことにした自分ではなく、地元を忌み嫌っているはずの自分が、物寂しい景色の中で微笑んでいたり、ちょっとむすっとしていたり、消え入るような秋の中に見え隠れする冬の厳しさが無意識に表情に出ていたり。
そんな、ありのままの自分と、それを形成してきた空気や景色がCBさんのカメラに捉えられることによって「なんだ、そんなに悪くはないじゃないか」と思えたことが、とても不思議だった。
僕も、地元も含めて、他者のフィルターを通したこの星を少し好きになれそうな気がした。
これもひとつの星座になるだろうか。
僕も星座の一部になれるだろうか。










                                                                                                    

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