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理想郷



ほんとうはオメラスにはひとりの犠牲者もいなかった。

西ヨーロッパ、東アジア、欧米某所、果ては赤道付近の島など、あらゆる場所に存在が噂される理想郷『オメラス』。
オメラスは平和で美しく豊かであり、差別や飢えに苦しむ者もいない、まさにユートピアだ。
しかしそのオメラスの平穏は、地下牢に繋がれ、痩せ細り、汚物にまみれたひとりの子どもの犠牲によって成り立っている。
その上、オメラスの住人はある一定の年齢になると、その子どもの存在を知らされる。
もちろん始めは誰もが子どもを哀れみ、オメラスのやり方に憤る。しかしその事実を教えられる年齢の者は、子どもを解放することでオメラスの平和が崩壊することも理解している。さらには、自分がその子どもではなかったことに安堵する者さえいる。また、オメラスが平和で豊かであるのは、地下牢に繋がれ、痩せ細り、汚物にまみれた子どものおかげであると、感謝の祈りを捧げる者もいる。
こうした各々の解釈を免罪符として、オメラスの住人は今日も平和で豊かな生活を送ることができるのだ。

だが稀に、そんな理想郷であるオメラスを去る者もいる。その者たちは二度とオメラスの地を踏むことはないばかりか「オメラスという理想郷は、地下牢に繋がれたひとりの子どもの犠牲によって成り立っている」と、あちこちで吹聴してまわった。
彼らはオメラスで生まれた住人ではなく、理想郷の噂を聞いてオメラスへと移住してきた者たちだった。
はじめこそオメラスの平穏に感動し、永住するつもりでいたのだが、やがて何事にも不満を口にせず、諍うことも、他人を乏しめることもないオメラスの先住民に対し違和感を抱くようになった。
人の営みとしての最上位とも思える先住民の思想に、諍いや差別があたりまえであり、もはや人間であればそれらは避けられないと思っていた移民たちは、次第に先住民を不気味とさえ感じはじめたのだ。
オメラスへの移民は、長くても三年ほどでオメラスを去って行った。
オメラスを去った者たちにとって、平和で豊かな理想郷が、なんの犠牲もなく成立している真実は恐ろしく、耐え難いものだった。
彼らはこのすばらしい理想郷は、きっと地下牢で鎖に繋がれ、満足な食事も与えられず、汚物にまみれたひとりの子どもの犠牲で成り立っているはずだと決めつけた。もちろん、誰も地下牢の子どもを見たことはない。そんな子どもはオメラスには存在しないのだから。
しかし、そういった小さな子どもがひとつの理想郷のために聞くに耐えない生活を強いられているという、理想の真実でもなければ、移民たちは自分たちがこれまで置かれていた環境はなんだったのだと、生まれ故郷の地面が揺らぎ、その穴からこれまでの人生が真っ暗な穴へと落ちていきそうな気がしたのだ。
オメラスを去った者たちは皆、理想郷の噂を聞きつけ遥か遠くの国から訪れた。理想郷に希望や救いを求める一方で、そんな塵のひとつもない国があるはずがない。結局、人間が住む場所には多かれ少なかれ諍いや差別が生まれるものだと、理想を追い求めつつも人間の愚かさを願っていた。自分と同じように、そうであってほしいと。
オメラスを去った者のほとんどは、あちこちで「あの理想郷には実は地下牢に繋がれたひとりの子どもの犠牲によって成り立っている」と吹聴してまわった。
またある者は「オメラスで採れる果物を食べると幻覚を引き起こす」と触れ回った。
完璧な理想郷などはなかった。
それがオメラスを訪れた者たちの理想の真実だった。

ではなぜオメラスはそれほどまでに平和で豊かなのだろうか。
百年ほど前から世界中で貧困格差が急速に広がりはじめた。
情報が驚くほど速く伝播し、また誰もが多くの情報に触れる機会を得た結果、多種多様な生き方を選ぶことができた。
しかしその結果、子を産み育てることの苦労や重責、なにより経済的な問題から子どもを授からない生き方を選択する者が増えた。
一方で、経済的に余裕のある層は積極的に子を成した。結果、裕福で教養や経験、知識を得る機会をふんだんに与えられた子どもが成人し、また子を成すというサイクルがこの百年あまりで確立していった。
その者たちの親は経済的に安定した職に就くことができるほどの知能が備わっていることが多く、必然的にその子どもの知能も高い。
そうした子ども達が成人し、このオメラスという理想郷を築きあげたのだ。

しかしこの話も、オメラス以外の地に住む者の理想の真実かもしれない。
今日もオメラスの外では理想の真実に慰みを求める者が絶えず薄い小さな板を覗く。手のひらの中の理想郷は、オメラスとはほど遠いが、簡易的で刹那的な平穏は手に入るだろう。

『オメラスから歩み去る人々』
アーシュラ・グローバー・ル=グヴィン

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