尊厳を守る白い馬

ゆかりさん(仮名)とのセッション5回目。

前回の重りの話をおさらいしてみた。

すると、自分に対する嫌悪感を感じる出来事が浮かんできた。

何かを始めるときに、自らペースを崩してしまう。誰かに言われたわけでもないのに「早くやらなくちゃ」「すぐやらなくちゃ」と動いてしまう。

「すぐやる」ことは一見悪いことではない。しかし問題は、私の心のなかで起きていることだ。誰かに言われたわけではないのだが「誰かに言われている」、このコントロールされている感じなのだ。私が考える隙がないのだ。

この出来事を母と話し合った。母は思いのほか、聞き上手なのだ。小さい頃はこんな話はできなかったなあ。母はひとしきり聞いて「それっていい子に思われようとしているんじゃない」と言った。ああ、外から見るとそう見えるのか。悲しかったけれど、きっとそうなのだろうと思った。

私の感覚ではそんな気持ちはまったくないのだ。でも勝手に身体が動いてしまう。この感覚が私を落ち込ませるのだ。自分で自分を傷つける行為だからだ。自分を大切にできていない自分にショックを受ける。

この話をゆかりさんにした。
「ああ、誰かに言われている感じ…。この感じを味わってみましょう。どんなイメージが出てきますか?」
「うーん…透明な、ジェルみたいなものに自分が覆われている感じです。分厚い層のようなものがあって、外の世界は見えるのだけど直接触れることができない。とても窮屈です」
「ああ、透明な、分厚いジェルみたいなものに覆われている。とても窮屈な感じなのですね。その窮屈な感じを味わってみましょう。ゆっくりでいいですよ」

身体が縮こまって窮屈な感じ。息苦しい。狭い。この感じを味わっていると、覆われていた膜から何かが出てくる。それはまさに蛹から蝶が羽化する瞬間だった。
「真っ白い蝶…?が出てきました。あれ?蝶なのかな…。ん?馬です。真っ白い馬」
白い馬は、ひとしきり周囲を走り回ったあと、こちらに向かって歩いてきた。私をまっすぐに見つめている。私を深く信頼している目だ。
私は鼻先をなで、抱きしめた。
「ああ、白い馬…。その馬はカメさんになんと言っていますか?」
「私を信頼しています。この馬は私を信頼しているから、私が言えばきっとどこまでも遠くまで走ると思います。でも私はそれをさせてはいけないと思う。私はこの馬が元気で自由に走り回ることができるように、大切にしなければいけないと思います。無理をさせず、えさをあげたりブラッシングをしたり。この馬をいたわることが、私のやることです」

今までは、際限なく自分の身を捧げていた。しかし、私の心のなかに住んでいる白い馬には「限り」がある。いのちがあるから、この馬もいつかは死を迎える。いのちがある限りは、馬が望むように、走って風を浴びることができるように、その状態を作るのは私なのだ。
白い馬の存在によって、私は「限り」があることを体験した。限りという言葉は、そのまま尊厳に置き換わると感じた。

【尊厳】そんげん
尊く、おごそかで、犯してはならないこと。気高く威厳があること。

Oxford Languages

白い馬は、私の尊厳の象徴だ。馬自身はいつも静かに、私を心から信頼し、すべてを私に委ねている。この尊厳を守るのは、大切に扱うのは私のつとめなのだ。私が大切にしなければ、馬はどこまでも私のために無理をして、いつしか私をおいて死んでいく。しかし愛を注げば、自由にときはなてば、いきいきと走り出す。その姿が私を勇気づけるのだ。



苦しいイメージからスタートしても、すべてのものが私を支えてくれている。それは本当に嬉しい体験なのだけれど一方で課題を避けているような印象もある。

「いつも良い方にいきますよね、私。課題に触れられているのかな…」
「良いイメージを味わうのはとっても大切なことです。今日の白い馬も素晴らしかったですね。カメさんのなかにある良いイメージをたくさん味わっていいんです。でも、きっと、もう少しっていう感じがするのですよね?」
「そうです。ちゃんと触れていきたいです」
「うん、そうですね。次回は、残された透明のジェルの方を、もし見れるようなら見てみるのもいいですね。カメさんが触れたいと言っているもののように感じます」

触れたいけど、触れたくない。…のかな?
よくわからない。自分のことはよくわからない。けれど、自分でも思いもしないイメージがたくさんたくさん存在している。

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