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山札からカードを1枚手札に

2022/09/05(月) #118 : suke

今日は何をしたかと言うと、昨日のhikoの日記を読めばほとんど分かってしまう。

昨日の夜、鳥貴族に飲みに行き、その後俺の家で朝までゲームしたり途中家系ラーメンを食べに行ったり。

昼過ぎにhikoが帰ったあとは特に何もしていない。

そんな感じ。


昨日の話を書いてもhikoと同じようになっちゃうし。

てことで、昨日のことも入れつつ珍しく俺の話でも書こうか。


昨日、俺は初めて将棋というものをやった。

だいたい一通りのことは経験してきたつもりだったが全然そんなことはないらしい。

ボードゲーム系は意外と手を出したことがないかもしれない。
近いうちやろう。ってそんな話も最近ちょうどあったし。

将棋って言っても、昨日やったのはほとんど5五将棋というやつ。軽い説明は昨日のhikoの日記で説明してくれているのでそちらで。

結果的に言うと将棋ってめちゃくちゃ難しい。飲酒後にやるべきものではない。ただとても面白かった。

最初はまじでどう動けばいいのか分からず、戦略もクソもなかったが、回数重ねてくうちに少し先のことを考えて指せるようになっていった。

それでも、やっぱ将棋は難しいね。

テレビとかで長時間将棋をしている、プロ棋士の人たちは本当にすごいことしてるんだなって初めて思った。藤井聡太とか。(藤井聡太しか知らない)

将棋のルールを知ってて軽くやった事あるくらいの人や、普通にできる人ならスト缶2缶ほど飲んでいただければもう勝てると思う。たぶん。


俺は意外に頭を使うゲーム、心理戦などのゲームが割と好き。

相手の性格とかクセを考えて、動きを読めたら楽しいじゃん。スマブラなどのアクションゲームもスポーツも。

特に、ここ最近では2週間前にやった人狼ゲームがやっぱり楽しかったなって思う。またガチ人狼やりたくなっちゃったわ。


ところで、今日の日記のタイトル「山札からカードを1枚手札に」ってどういう意味かわかるだろうか。

パッと見た感じだと、トランプや子どもの頃よくやっていたと思われる遊戯王やデュエマなどのカードゲームをイメージすると思う。

でも、全く意味は違う。

その意味を説明する前にまず俺の考えとして、なんでも普通よりできるようにしたいって割と前から常に思っている。

なんでもって言うのは本当になんでもで、例えばスポーツもそうだし、歌の上手さや運転の技術、コインマジックなんかもそう。

このような歌の上手さや運転の技術などのスキルを1枚のカードとして考えている。
様々なジャンルの話のタネなどの内面的なのも1枚のカードとして考えてもいい。

今現在自分が出来ることが手札として持っているってイメージ。

そこで話を戻し、タイトルの山札というのはこの世の中に沢山ばらまかれているカードのこと。

何を言ってるのか意味分からないでしょう。
大丈夫、俺も分からない。

ただ、なんかぼんやりとそんな感じに思っているってだけ。

どうして、なんでもできるようにしたいかと言うと、シンプルにできるかできないかだったらできる方がいいじゃん。

そんなことみんな思っているでしょ。って?たしかにみんな思ってる。でも、なんでもできるようになりたいって実際みんなはそこまで思わないでしょ。

俺はそう思う理由として、最近hikoとかと話してて気づいたのだが、俺は人生楽しいことをしたいだけらしい。ほんとにそれだけが目的。

もし俺が運転免許を持っていなくて、友達数人が免許持ちだけでドライブする場合、俺はそこに参加できない。

それでその日がとても楽しい会だったのならば、俺は楽しいことをできなかったことになる。

運転ができないだけで。

このように、今の例はカラオケやボーリングなど、他の遊びなど全てにおいて言えると思う。

だから、俺はそのためになんでもできた方がいいって話。手札を増やしたい。

遊戯王やデュエマなどのカードゲームとは違って、このスキルのカードは手札の枚数制限がないらしい。

それなら、手札は多い方がいいでしょ。

別に持ってる手札を絶対に使わなきゃいけないわけではないんだし、持ってて損はない。

手札を使う、使わない、捨てるどれ選んでもいいんだから。
手札がない人はなにも選ぶことができない。

まぁ、要するに選択肢は多くあった方がいいよねってこと。



ここまで話が脱線してるのかしてないのか、戻っていたり、戻っていなかったりと長ったらしく話してきたが、昨日俺は将棋という新しいカードを手札に加えた。

これからこの将棋というカードをhiko以外で使う場面が来るのかは知らないがそんなのどうでもいい。

手札を持っているということが大事。

そういえばhikoが帰ったあとの夜、家の食卓で親にhikoと朝までずっと将棋をしていたという話をすると、「もっと早く覚えたらじいじとできたかもしれないのにー!笑」と冗談交じりで言われた。

じいじというのは俺のおじいちゃんのことで3年ほど前に亡くなった。
将棋が好きでよく1人でしていた。たまに父親ともやっていた気がする。

別に全く後悔はしていないが、もしもその時に俺が将棋という手札を持っていたら、また変わった未来になってるかもしれないし、それはそれでよかったのかなと思った。



まぁ、とりあえず人生楽しみたいよね。

そのために俺はいろいろな経験をしたい、できることを増やしたい。

そう思う。


死ぬ間際に悔いはないと
              言えるように生きたいだけ


By suke.


「5五将棋」
アソビ大全より

最後の一言は書いてる時に急に頭に浮かんだ
昔聞いた ある曲の歌詞の一部

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