こんなことが書きたいんじゃないんだけどさ。
2022/10/26(水) #169:hiko
この2日間は代わり映えのしないものだった。
ほんとうに何をしていたんだか。
何もしていない、以外の言葉でいうなら、停滞していた。
進むでも下がるでもなく、停滞。
何についてかっていうのはまた後日書こう。
最近、何かにつけて心に靄がかかるというか、重くて息苦しい思いがのしかかってくる。
そういうときはきまって、イヤホンの音量をうるさいくらいに上げて、ちょっとだけ頭に響くようにしている。
すると、聴いている曲にしか頭が働かなくなるし、より音楽を楽しめるようになる。
たぶん、これは俺なりのリストカットなんだと思う。
そう考えると、この行為も楽しくなくなっていく。
わざわざマイナスに考えて、無駄に意味をつけて、それに縛られて。
これが俺の最もくだらない愚行なんだ。
だからってどうにかなるものでもないが。
いや、こんなことが言いたいんじゃない。
久しぶりにプロ奢の話でもしようか。
なんてったって、読むことはインプットでありアウトプットで、書くことはアウトプットでありインプットなんだって、プロ奢も言ってたし。
彼は最近、やたらと「ともだち」が大事だと言う。
その真意は、まあ、彼のnoteなりTwitterなりを見てみて。
そしてこの間、っていっても結構前だけど、目を引く記事があった。
「しあわせは小鳥のように」という記事だ。
書いてあることにはみんな、なんとなく納得できると思う。
そのせいで、いつものように読み流してしまうところだった。
内容を簡単に。
しあわせには、大きなしあわせと小さなしあわせがある。そして小さなしあわせは、小鳥のように扱えってこと。
ベランダに小鳥が、つまり小さなしあわせがやってきたとき、勢いよく捕まえようとしたり、鳥籠に入れて逃がさないようにしたりしてはいけない。それをすれば、小鳥は警戒して2度とやってきてはくれない。
じっと眺めて待っていれば今度は恋人なんかも連れてきてくれるかもしれない。ゆっくりと手を差し伸べたとき、気まぐれにひょいと乗ってくれるかもしれない。優しく扱えば、そこに時折訪れてくれるかもしれない。
こんなふうに、気づけば小さなしあわせがひっそりとそこにあり続けることが、大きなしあわせなんだ。
ってこと。すごく大事なことだと思った。
まだ随分わからないこともあったけど。
で、なんで目を引いたかというと、これは「ともだちのつくりかた」なんじゃないかと思ったから。
考えてみてほしい。当てはまるところが多いだろうから。
「ともだちが大事だ」って言い続けて、ついでに「ともだちのつくりかた」も教えてくれるプロ奢、ほんとうにやさしい人だなぁ。
って、勝手に解釈して勝手に感心してた。
俺も、しあわせは小鳥のように扱っていこう。
そのためにはまず、小鳥が止まってくれるようにベランダを掃除しなきゃ。
いや、日記じゃなさすぎやしないか?
By hiko
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