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余白のない社会

HSP(highly sensitive person)という言葉が一般的になってきたように、ぼくたちの社会は繊細だ。

というよりも鈍感ではいられなくなっている。

ソーシャルメディアが発達し、インターネットの高速化•大容量化で時空間の隔たりはなくなりつつある。

よく言えば透明な社会だ。裏を返せばパーソナルなエリアがどんどん狭くなってきて、となりには常に誰かがいる状態だ。

他者との比較が余儀なくされて、内省や自己嫌悪や自己防衛がはたらいて、正直つかれてしまうことがよくある。

「他人が見えること」と「自分と比べること」は本来切り分けていいはずのことなんだけど、そう簡単に割り切れない。

物理的且つ時間的に余白があっていいんだろうなっておもう。それを日々の中で見出すのか、長い人生やキャリアの中で見出すのかはそれぞれだとおもうけど、そういうことがコントローラブルに、かつ社会の一般認識として実現できたらいいな。

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