sukebouの過去とこれから

どうもSUKEBOUです!
今回はAKIOさんのGOAL-Bプロジェクトに参加するべく僕の過去とこれから、生き様を書いた投稿をします!
もし宜しければ見ていって下さい!

SUKEBOUの幼年期から青年期

僕は3000g越えのめちゃくちゃ大きい子だったみたいです
幼稚園年中(5歳)の頃、僕は初めてサッカーを見ました。
そこで僕はサッカー選手になりたい!
そう思うようになり、サッカーを始めました。
入ったクラブチームはジュビロという大御所チーム。
周りには本気でプロとして生きようとしている人間しかおらず、レベルの差を感じました。
最初はプロになりたい!と思ってやっていた僕もそのレベルの差に耐えきれず、どんどん緩くサッカーをやっていました。
そして小学校六年生までユニフォームに袖を通す事はなく、僕より後に入った子がレギュラーになっても
『あいつには才能があったんだ』
そういって諦めていました。
そして卒業後、ジュビロでは中学生でもクラブチームとして活動する為には試験のようなものがあり、それに合格しないとジュビロの選手として活動出来ませんでした。
そこで初めてまだジュビロ選手としてサッカーをしたいと思うようになりました。
しかし、結果は最終選考止まり。つまり落ちました。
そこで初めてサッカーで泣きました。
何故努力を怠ったのか
何故才能のせいだと諦めたのか

自分の弱さに嫌気がさしました。
そして迎えた中学校。
部活としてのサッカーに僕はやる気が満ち溢れていました。
周りに僕と同じようにクラブチームに行けなかった選手が集まっていたし、何より同じ後悔をしたくないと思ったからです。
勿論同じジュビロに通っていた選手もいました。
そして部活に入り、僕は練習でどんどんアピールをしていきました。
技術が足りない分、周りよりも声をだし、大きな身体を使ってフィジカルで勝負をするようになりました。
その甲斐あってか一年生でユニフォームを手に入れました。その時一年生でユニフォームを着れたのは4人。
2人は僕を含め同じジュビロでプレーしていた選手
もう1人は他のクラブチームの選手
もう1人は地元の小学校チームの選手でした。
そんな4人のうちの1人に選ばれた事。
これが努力が報われるということなんだと思いました。
誰よりも走り、誰よりも声を出し、誰よりも身体を鍛え、そうしてきた日々がこのユニフォームには詰まっているんだと思いました。
そして2年生

僕は大きな怪我をしました。

それは右足首の骨折。
これにより、僕は2ヶ月程度サッカーができない身体になりました。
元々怪我が多い選手ではあったのですが、ここまで大きな怪我は初めてでした。
そして2ヶ月経ち、すぐの練習試合。僕はレギュラーとして呼ばれる気満々でした。
しかしそこに呼ばれる事はありませんでした。
まだ監督は僕の怪我に気を遣ってくれていると思い、次の週の練習試合に臨みました。
結果はまだ呼ばれません。
おかしい。自分の怪我は治っているのに、なぜ呼ばれないんだ?
当時本気でそう考えていました。
そしてBチームの先発として呼ばれました。
何故自分がBチームなんだ?
そう思い、Bチームで圧倒的なパフォーマンスを見せました。
これなら来週こそまたAチームに戻れる!
そう思ってました。
次の週にも呼ばれません。
そこで僕はもう自分は呼ばれないんだと諦めていました。
それからの練習は殆どおぼえていません。
それくらい手を抜いていたのだと思います。
僕と入れ替わりで入った選手に練習後呼ばれました。
何なんだと思いながらついていくとすごいキレられたんです笑
何でそんなちょっとレギュラー外れただけで諦めてんだと
お前はデカイ身体、デカイ声、走力、全部持ってるのに何で諦めるんだよ!
って怒られたんです
もうぐうの音も出ないような怒られ方をされ、僕は心を動かされました。
一年生のあの時行っていた事をもう一度思い出し死ぬ気で練習しました。
そして1ヶ月後僕はレギュラーを取り返しました。
そして副部長に選ばれ、新チームで数々の大会を優勝しました。
そして地域のトレセンにも選ばれ、非常に充実した時間を過ごしました。

高校時代とこれから

僕は高校に入ってもまた努力し、レギュラーになろうと本気でおもっていました。
その思いが強すぎたのか、高校に入り、減量した時、無理な減量をしすぎてしまいました。
1日1食しか食べず、ハードなトレーニングを2ヶ月程度行いました。
その結果腎臓を壊しました。
そして、運動が出来ない体になってしまったのです。
そしてサッカーが出来ない自分に価値は無いと思い、サッカー部を辞めました。
そして、自分に価値を感じられない日々を過ごしました。
当時患っていた病気は急性腎不全。
死亡率は50%。
いつ死ぬか分からない恐怖と戦いました。
腎不全は無事に治りましたが、それでも自分には何の価値もないと思っていました。
何ならそのまま死ねばいいのにと何回も思っていました。
友人には病気の相談ができず、バレたらどういう対応をされるかわからない恐怖から、何度自殺しようかと思ったか分かりません。
しかし、そんな自分を救ってくれたのが中学時代から仲の良かった親友でした。
そいつは僕の病気をしっても何の変化も無く接してくれました。
そいつは成績優秀で、めちゃくちゃ頭が良かったです。裏では努力してるのにそれを表に出さないタイプでした。
そいつには建築士になってスーパーゼネコンに入るという夢があり、それを叶えるために毎日死ぬ気で努力していました。
そんな姿を見て自分も何かしたいと思って僕は資格を取ることにしました。
そしてそいつと一緒に努力を続ける日々、めちゃくちゃ充実していました。
そして僕と親友の2人に先生から生徒会をやらないかという話が舞い込んできました。
僕たちは特に断る理由もなく、生徒会に入り、最終的には僕が副会長、親友が生徒会長になるまで上り詰めました。
僕は家の経済的な理由で大学に行けませんでした。
しかし、親友は建築士になる為に国立大学に行く事をきめていました。
ここで道が分かれる事は分かっていましたが、やはり辛かったです。
僕は就職し、親友は大学に合格しました。
そして卒業式。
僕は親友に絶対に夢を叶えようという話をしました。
そして親友は今国立大学に通って自分の夢を叶える為に努力しています。
僕は就職して1年目、何も出来ませんでした。
いつも言い訳ばっかり。
『疲れたから』
『働いてるから仕方ない』
『時間がない』

と。
そこで気付いたんです。
『僕は親友の隣にいて、親友にくっついていただけなんだ』
と。
そして今年から2年目になります。
僕はそんな自分を変えたい。
僕の親友は絶対に夢を叶えるでしょう。
だからこそそんな親友の隣にもう一度立った時、恥ずかしくない自分でいたい
あの日約束した夢を叶えたい。
じゃあ自分の夢って何なんだろう。
そこで1番に出てきた事はこれでした

『何者か』になりたい。

僕はこれから自分を何者かにするために行動したい。
僕自身めちゃくちゃ怖いです。
でも今までの行動出来なかった自分を後悔しながら生きていく事に比べたら行動出来る気がします。
そのスタートダッシュを切る為に僕は本気でGOAL-Bプロジェクトに参加したいと思います。


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