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追悼2023 Part 1 (1月~4月)


さて、本年度の畑仕事もひと段落して、昨日は丸一日お絵描きをしていました。
2023年に亡くなった方のイラストです。
何人かは、「iPad お絵描きギャラリー」として、Facebook にも投稿してきました。
しかし、今年も暮れようとしているこの年末に、亡くなった方のリストをあらためて眺めてみると、まだまだ「えーっ」という方がいらっしゃるんですね。
そこで、今回はそのご芳名を拝見して、個人的にその顔が浮かぶ方を、すべてイラストにしてみました。
そんなわけですから、俳優やミュージシャン、そしてスポーツ選手が中心になることはご容赦いただきます。
中西太氏や、杉下茂といった伝説のスポーツ選手も今年鬼籍に入られましたが、もちろん名前は存じ上げているものの、顔はパッとは浮かんでこなかったのでリスト外。
政治家、経済人、文筆家、漫画家といったジャンルの方にも、名前を聞いたことのある人はいましたが、顔を見てピンと来なかったので割愛してしまいました。
僕は、来年で65歳になりますが、まだ我が年齢以下で亡くなっている方は少ないようです。
ただ、少年の頃にあこがれていたり、記憶に刷り込まれている方が、いよいよその寿命を全うされる年齢になってきたんだということはひしひしと感じた次第。

さて、今年もいよいよ大晦日です。
どちら様も、それぞれの一年を振り返っていらっしゃることと思いますが、亡くなった方を偲びながら振り返るのも一興かと思います。

まず、Part 1 では、本年度の1月から4月にかけて亡くなられた方を取り上げます。



ジェフ・ベック 1月10日逝去 享年78歳

ご存じ「世界三大ギタリスト」の一人。僕はギター小僧ではありませんでしたが、「ブロウ・バイ・ブロウ」と「ワイヤード」は、結構シビれました。
改めまして、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。


高橋幸宏 1月11日逝去 享年70歳

YMOのメンバーの一人。彼はドラム担当でした。それ以前は、サディスティック・ミカ・バンドでも活躍していました。
ファッションやデザインにも造詣が深く、YMOのステージ衣装である中国人民服のアイデアは、彼の発案だそうです。
改めまして心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。


デヴィッド・クロスビー 1月18日逝去 享年81歳

元々は、バーズのメンバーでしたが、後に結成したクロスビー・スティルス・ナッシュ & ヤングの方が有名ですね。彼らのアルバム
「デジャ・ヴ」のインパクトは強烈でした。
このアルバム・タイトル曲は、当時のラジオの深夜放送「セイヤング!」の「超心理学コーナー」のテーマ曲になっていて記憶に鮮明。
映画「小さな恋のメロディ」のラストに流れる「ティーチ・ユア・チルドレン」のハーモニーも、忘れられません。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。


門田博光 1月23日逝去 享年74歳

この人の現役時代の試合は、オールスターくらいでしか見た記憶がありません。
パリーグの侍バッターという印象ですね。
特に後年の、ホームランしか狙わないというかんじのフルスイングは今の大谷に通じるものがありました。
しかし、それでいて、40歳を超えてからも成績が下がらなかったのはさすが。
通算本塁打と、通算打点数は、ともに歴代第三位の記録保持者です。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。


鮎川誠 1月29日逝去 享年74歳

シーナ&ザ・ロケッツのギタリストとして有名。ヒット曲の「ユー・メイ・ドリーム」は、日本航空のテレビCMに使われていました。
YMOツアーには、ギタリストとして参加。スネークマン・ショーのネタにもされていました。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。


バート・バカラック 2月8日逝去 享年94歳

1960年代のアメリカの映画音楽やポップスで、ちょっと洗練されたオシャレな楽曲だなあと思うと、たいていこの人の曲でした。
ディウォンヌ・ワーウィックや、カーペンターズがよく彼の曲を歌っていました。
中でも、映画「明日に向かって撃て!」のサントラ盤は秀逸。およそ西部劇とは思えないモダンな楽曲は必聴です。
あともう二曲。1967年製作の007のパロディ映画「カジノロワイヤル」のテーマ曲。そして、1969年の映画「幸せはパリで」の主題曲「エイプリル・フール」。いいですよ。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。


松本零士 2月13日逝去 享年85歳

この人といえば「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「キャプテン・ハーロック」ということになるでしょうが、これらの作品に歓喜したのは、僕らよりちょうど一回り下の世代です。
それよりも僕が印象に残っているのは、これより以前に少年マガジンに連載されていた「男おいどん」ですね。
「銀河鉄道999」の主人公鉄郎のキャラクターは、実はこの漫画の主人公・大山昇太のイメージをかなり踏襲しています。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。


ラクウェル・ウェルチ 2月15日逝去 享年82歳

白状してしまいますが、この人の全盛期の強烈な肢体には、かなりクラクラさせられていました。
「恐竜100万年」「ミクロの決死圏」「100挺のライフル」など、みんな見てますが、正直申しまして、彼女のバストラインしか記憶にありません。
改めまして、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。



笑福亭笑瓶 2月22日逝去 享年66歳

正直言って、この方の芸歴は何一つわかっていないのですが、失礼ながらこの顔の記憶だけは鮮明でした。まさに、顔は芸人の名刺なり。
Wiki してみましたら、笑福亭鶴瓶の一番弟子がこの人とのこと。
「魔法使いサリー」のよし子ちゃんのモノマネはかすかに覚えています。
改めまして、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。


大江健三郎 3月3日 享年88歳

恥ずかしながら、彼の著書はまだ一冊も読んでいません。
それなのに、この顔は憶えていました。
少年期は、本屋の息子でしたから、どこかで記憶にあったのでしょう。
川端康成以来26年ぶりの、ノーベル文学賞受賞者です。
改めまして、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。



扇千景 3月9日逝去 享年89歳

宝塚歌劇団出身の女優だった人ですが、後年は政治家として有名になった人です。
自民党の議員として、重要大臣ポストを歴任。
2004年には、女性としてはじめて参議院議長を務めています。
しかし、僕の世代で印象に残っているのは、フジフィルム「シングル8」のテレビコマーシャル。
「私にも写せます。」と微笑みかけていたのはこの人でした。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。



ボビー・コールドウェル 3月14日逝去 享年71歳


1970年代後半から、80年代前半にかけての音楽業界の一大トレンドだったのがAOR。
その代表的なシンガー・ソング・ライターだったのがこの人です。
「風のシルエット」「ハート・オブ・マイン」などはこの人の作品。
女子を口説くための必殺曲として、密かに練習していたのを思い出します。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。



団時朗 3月22日逝去 享年74歳

「帰ってきたウルトラマン」に変身していたのはこの人でした。
我が家に、はじめてカラーテレビがやってきた日に放送されたのが、この第1回目でしたのでよく覚えています。
その時は、団二郎というクレジットでしたね。そして役名は、なんと郷秀樹。
当時の男性トップアイドルを名前をそのまま使っていました。
残念ながら、この時にはもう中学生になっていましたので、「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」ほどは、感情移入できませんでした。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。



奈良岡朋子 3月23日逝去 享年93歳

1950年の劇団民芸の創立メンバーの一人。
宇野重吉、滝沢修の死後は、大滝秀治と劇団共同代表を務め、大滝の没後は劇団と法人の代表を務めていた人です。日本演劇界の重鎮。
数々の舞台や、映画、テレビドラマなどで、安定した演技力を見せてくれました。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。



坂本龍一 3月28日逝去 享年71歳


元YMOのメンバーであり、音楽家としても、「ラスト・エンペラー」で、日本人としては初めてのアカデミー賞作曲賞を受賞しています。
地雷除去運動や原発反対運動にも積極的に関わり、日本のアーティストとしては珍しく、政治的な発言も積極的にしていますね。
個人的には、1982年の「い・け・な・いルージュマジック」で、テレビの生放送中、忌野清志郎と男同士のキッスを交わしていたシーンの印象が強烈です。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。



畑正憲 4月8日逝去 享年87歳

ムツゴロウさんの愛称で親しまれる動物研究家。一流のエッセイストでもあります。
北海道に移住して、動物王国を設立。プロの雀士でもあります。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。



ハリー・べラフォンテ 4月25日逝去 享年96歳


「バナナ・ボート」や「ダニー・ボーイ」の大ヒットで知られるジャマイカ出身の歌手。
「USA フォー・アフリカ」の提唱者でもあります。
「ウィ・アー・ザ・ワールド」の録音現場で、集まったアーティストたちが、彼へのリスペクトをこめて、「バナナ・ボート」を合唱するシーンは感動的でした。
改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。



さて、5月~8月は、Part 2で!

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